潰れかけた時に奮起できた「郵便的コミュニケーション」―東浩紀さん『ゲンロン0 観光客の哲学』ブクログ大賞受賞インタビュー後編

前編中編に続き、東浩紀さん『ゲンロン0 観光客の哲学』ブクログ大賞受賞記念インタビュー後編です。
中編では『ゲンロン0』が世に出た理由をさまざまにお伺いできました。インタビュー最後を飾る後編では、2010年に合同会社コンテクチュアズを興してから現在の株式会社ゲンロンに至るまで、東浩紀さんの「人生」の変遷をさまざまにお伺いしています。東さんが率直に語ってくれた「中小企業のリアリティ」とは?

取材・文・撮影/ブクログ通信 編集部 持田泰 大矢靖之 猿橋由佳

「ゲンロン」というプロジェクトは、今、人文書なんて売れないと言われている中で、どうやって新しい活路を見出すかという問いに対する僕の提案

ゲンロン本社にて東浩紀さんからさまざまなお話をお伺いしました!

あんまりこれ言われないんですが、『ゲンロン0』が今回ブクログ大賞を取ったのは非常に光栄なことだと思っていますし、さまざまに本の書評が出たことも大変喜んでいて、なぜかというと、これは基本的に雑誌だか本だか分からない体裁ですし、そもそも僕が作っている出版社で、つまり社長が自費出版しているようなもんですから、僕はいまの出版界ではこの本はまともに扱われないだろうと思っていたんですよね。

だからこそそんなに売れるわけないと思っていたので、書評も出て、今回こういうふうにブクログ大賞さんにノミネートされたときにも驚いたし、大賞もとれて本当に良かったと。

つまり「ゲンロン」というプロジェクト自体が、いま出版界は様々に問題があって人文書なんて売れないって言われている状況の中で、どうやってこの新しい活路を見出すかっていう僕の提案なんですよね。それが評価されたってことが僕はすごく嬉しいなと思っています。

―ありがとうございます!ブクログ大賞今回は7部門ありましたが、雑誌なのかどっちなのかという体裁もはじめてなので、非常に面白いユニークな形だなと思っていますね。

だから流通方面や、書店員さんから様々に『ゲンロン』を扱うことには壁があるといわれていたものが、少し穴があいたのかなと思っているので、すごく嬉しいですね。

―この本の作られ方について少し細かく聞かせていただくと、基本はほぼすべて東さんの頭の中にあるものが、形になっているということですが、たとえば誰か編集者として、そういうアドバイザー的に「こうしたらいい、ああしたらいい」っていう人は、いなかったのでしょうか?

いないです。これほんとに普通に考えたらありえない(笑)。僕が書いて僕が出版して、僕が編集して僕が出版しているわけですから。入稿も含めて全部やっている感じですから、もう自費出版的なもんですよこれ(笑)。

―先ほどの「読みやすさ」をプラスして、表現がすごく野蛮なところもあったりするじゃないですか。普通の流通出版だと「ちょっと…」と指摘受けてしまいそうなところも多いですよね。「セックスしたけど愛がない」とか、人文書では奇抜な表現が(笑)

そうそう、下品ですからねネタが(笑)。なので、人の言うことを聞かずに好きなようにやっている本なんですよ。

―それで不思議なのが、たぶんそういう好きなように書かれたものでいえば、ブログなどガーッと書いて自分だけ気持ちのいい文章というものが世の中いっぱいありますけど、普通それは結果的に「通じない」じゃないですか。ですが、東さんが勝手に書いたと言われるわりには、ちゃんと「通じる」回路で書かれている。さっきいった「読みやすさ」とあわせて、こう冷静にまとめられているのがすごいな、と。

まあそこは、最初の話に戻りますが、僕は基本的にはもう大学から出ていて、こういう小さい会社をやっていて、基本的に日々雑事に追われているわけですよね。つまり実態は単なる「中小企業のオヤジ」なわけですよ。そのなんていうか、生活感みたいなものがですね、僕のもともともっていた資質にすごくこういいバランスを与えているのではないでしょうかね。

僕はもともと、非常に思弁的で抽象的な人間なので、それに僕自体が会社員経験もないからやっぱり非常識というか、根本的なところがいろいろ分かっていないところがあったんですが、会社をやることによってかなりいろんなことがわかるようになってきました。すごく普通のことなんですよ。たとえば社会保険のシステムとか(笑)。

―なるほど(笑)

そういうことが普通にわかるようになったので。わかるというか、ぼくが決めていって社会経験として学ぶようになったので「なるほどこれがこうなっていたからあれをああいうふうに反対していたのね」というようなことが具体的に分かるようになったんですよ。

なんていうか僕みたいな仕事をしていると、学者さんはみんなそうだと思うけど、やっぱり「理念」のほうが分かるんですよね。たとえば選挙とかでも「理念と理念の争い」だと思ってしまうわけですよ。そっちのほうが分かりやすい。しかし実際には「理念」の下に実際の「生活」があって、で、その具体的に「あ、実はこの法律のこれについて言うためにああいう言い方をしていたんだ」ってことがわかる瞬間ってあるわけですよ。そういう部分がかなりわかるようになったので、それがなんか議論に落ち着きを出していると思うんですよ。

―そうですよね。生活者としてのちゃんと地に足がついた形で展開されていて、空中庭園みたいな議論にはなっていないような感じがします。自己啓発書とも全然違うんですけど、リアルな生活のアクチュアルな部分がにじみ出ているような気がしますね。

そうだといいな、と思っています。まあ実際にはね、これは全然生活について書いてないんですが。やっぱりそういうのは「ふわっ」と現れるものなんだな、と自分でも思いますね。ここ2,3年で僕は書くものの質が変わっているんだと思います。自分ではよく分かってないけど。

―東さんが書かれる、そういう形のジャンル的なものをあえていうと「批評」といったものを、今いろいろ再生されようとしていますけども、そういう生活感情の基盤の上で、立てていこうという感じですか?

いや、それは、それこそ本当に教えることができないものだと…なんかそれは、それこそ、「生きる」ということのような感じがするので(笑)。それは僕は教えることができないものだと諦めていますね。教えても分かんない、というか。で、その人の生活の選択全部が関わる話だし。

―そこも含めてオチみたいなことを言ってしまうと「不能の父」として立つということですかね。

ああそういうことですね。

批評家として「新しい批評」のシーンを立ち上げようって思ったら、出版社と組んでという形ではダメ

あとこれはやっぱり僕自身が、このゲンロンという会社をやっているのも、まあこれもアクシデントといえばアクシデントで、最初はご存知の通り、「コンテクチュアズ」って会社を立ち上げて、いろんな経緯があって参画メンバーが離れていって自分ひとりになったと。

それでいろいろ二転三転し、一度は会社なんか潰れかけたんだけど、なんとなく作ってみた「ゲンロンカフェ」のほうが快調で。もっとも「ゲンロンカフェ」が快調ではなく正確にはカフェのニコ生の放送なんですけどね。これならニコ生の放送で売れるんじゃないかと考えてやってみたら意外と売れて。これが結構潰れかかっていたときに収益として支えてくれたわけです。

そういうのも全部偶然なんですよね。本当に。だからそれがちょっとでも一個でも偶然がズレていれば、会社は潰れてて。で、潰れていたらぼくは大学の先生にでも戻ったか、何かしていたはずで。そうなったら全然今みたいなものを書いてはいないでしょう。僕自身もそういうふうになっているし、「なるようになる」ものなので、いろんな人がいろんなことやったほうがいいなと思っている感じなんですけどね(笑)

―いまのお話など、中小企業の社長、ベンチャーの社長そのものですね。

そうですよ。思ったようにはいかないんです(笑)。そして「思ったようにいかない」ってことを、受け入れていく強さがだんだんついてきましたね。「まあそうか。またか。わかったわかった」みたいな。

―変な質問ですが、東さんは90年代に『批評空間』からデリダ論で出られて、その後もオタク批評的な形で精力的な活動されてきたかと思うのですが、そのままでも通常の流通出版内で大学にいながら執筆を続けることは決して難しいことではなかったと思うのですね。にもかかわらず、あえてこういう難事、インディペデントな形で「コンテクチュアズ」から今の「ゲンロン」まで挑戦されようとしたのでしょう?

契機はいろいろありますが、一つには、2008年に『ゼロアカ道場』というのを講談社さんと一緒にやっていたんですね。僕はもちろん一生懸命やっていたわけですし、担当編集者さんもすごいやる気だったんだけど、とはいえ僕は基本的には「神輿」なわけですよ。そんな中で担当編集者が途中で異動になってしまったんですね。「僕は異動になったんで、次の担当編集に渡します」みたいな感じになっちゃって。

その時にガクッときたというかですね、まあ「現実」を思い知らされたというか。「そうだよな」と。考えれば講談社という大きい組織の中で、たまたまこの人が僕を担当していただけであって、別に二人三脚でやっていたわけではないよねと。そう思い込んでいたのはこっちだけで、実は経済の回り方としては、組織の実態としては違うよね、と理解したんですよね。その時に、もしほんとに面白いことを継続的にやろうとしたら、自分で組織を持って、自分が本当に決定できる状態でやんないといけないんだなってまず思いましたね。

やっぱり批評家とか、批評家に限らず作家もそうかもしれませんが、やっぱ編集者と二人三脚だと思ってしまうんですよね。でも実態は全然違っていてむこうはサラリーマンで、こっちは自営、下請けなわけですよ。だから全然立場も違う。いざとなったら向こうは当り前に会社をとるんですよね。それをわからないで傷ついてしまう書き手とか批評家とかってすごく多いと思うんですよ。僕もそういう弱さがあってですね。だからなんか「現実」が分かったなって気がしたんですよね。それが一つの大きなきっかけですね。自分で会社を作ろうと思ったことの。

だから、批評家として「新しい批評」のシーンを立ち上げようって思ったら、出版社と組むという形ではダメなんだと。出版社はいつ気が変わるかわからないし、こっちは何も文句言う権利なんてないんだ、と。それは当たり前のことなんですけどね。でもそれまでは僕も、わからないんでいっぱい文句を言っていたんですよね。出版社のいろんな人に。『群像』はこうなるべきだとかね、『ユリイカ』はこうなるべきだとか生意気にいろいろ言って疎まれていた。その頃は「僕が言ってることが正しいのに何で聞かないんだ」って思っていたんですよ。でもなんかその事件があったときに「いや、聞かないのが普通じゃないか」と思ったんですよね。「なんで俺は、自分の言うことが他人に聞いてもらえると思っていたんだろう?馬鹿か、僕は」って思ったんですよね。あれが大きな転機ですよね。

だからそれから後は、出版社が出版社のルールでやっていることにまったく口を出すことがなくなったっていうか。だって向こうは聞く必要がないわけだから。そこで不満をぶつけても意味がないんですよ。だから逆に、僕なんか今でもツイッターとかでときどきつぶやいてしまいますけど、『ゲンロン』についても僕が僕のお金でやっているんだからほっとけと思うんですよね。話を聞いてもらえないことが嫌なら、その人は自分でやるしかないんですよね。

物書きってそこが分かってない人たちがやっぱり多いんですよ。昔の僕もそうでした。それがわかるようになったのはやっぱり大きいですね。

同じことで言うと、やっぱり大学がうまくいかなかったのも、どっちかっていうと僕が中学高校時代からなんとなく学校ってものがあまり好きじゃなくてですね(笑)。やっぱり大学で教えていて、とくに大学で嫌なことがあったわけじゃないんだけど、「決定的に大学というものが自分には向かないな」って思ったんですよね。生徒に教えるっていうのがピンとこなかったんですよね。なんか自分でもの書きになりたいとか、そういう人に教えるのは好きなんだけど、ただボーっと単位を取りたいという言う人に対して「それでも何かの糧になるかも」って感じで教えるのが全然ピンとこなかった。

潰れかけた時に「郵便的コミュニケーション」から奮起した

―今、ゲンロンスクールやっている「批評再生塾」などは、私塾ですよね。

そうですね。

―完全にそのために来ている人たちが集まっていて。

そうすると教える気も沸いてくるんだけど。ただあの、いま僕が言ってることは教育ってものに対してすごく偏屈な見方なんで、一般化しないほうがいいとも思います。本当は教育ってのは、やる気のない人にも教えないといけないものだと思います。そうじゃないと、専門家養成塾になってしまう。それはわかっているんです。だけど僕はできなかった。みんなに教えるっていうのが性格的に向いてなかったんですよ。

―なるほど。しかしそうなにもかも自分でやるしかないと思っても、そういう形を成し遂げている人は、本当に世の中で珍しいどころじゃないと思うのですが。おそらく特にこの人文書執筆業の界隈といいますか批評の界隈では、2000年代初頭の柄谷行人さんによるNAM(※New Associationist Movement :2000年に柄谷行人さんの提唱によって結成され2003年1月に解散した日本発の資本と国家への対抗運動)の批評空間社とかもありましたけども。東さんはコンテクチュアズ時代から考えるともう7年ですか。この長期間、商業の中できっちり独立系出版社をまわしているというのは、相当すごいことなのでないのかと思うのですが。

でもいろいろさっき言ったとおり、いろんな「偶然」ですよね。ただまあなんていうか、こうすごく危機的なときに、つまり本当に潰れかけ、社員がどんどんやめてった時があって(笑)、そういう経験っていうのもなかなかいいもので、そうなるとやっぱり真剣に考えるわけですよね。「これやめるか?やめないか?」と。「今やめた場合、いくらいくらの借金が残り、で、どうなるんだこれは?」みたいなね(笑)。そう考えていくと、「いやこれはやっぱりどんだけ苦しくても踏ん張らなくてはいけない」と。「どんだけ無理があって、どんだけしょぼい会社になったとしても、やんなきゃいけない」って思ったんですよね。

そういう時に、やっぱりひとつ強く思ったのが、これはちょっと反面教師といえばそうなるわけですが、やっぱり柄谷行人さんのNAMがすごい期待されていたけど、すぐ終わっちゃいましたね。


柄谷さんはあの後、すごく発言しにくくなったと思うんですよ。今でもNAMについてほとんど発信されていない。僕は「ああいう状態になりたくない」って思ったんですよね。聞き方によっては語弊がある発言になりますが…そのことが僕にがんばる気力を与えてくれました。「ここはなにがなんでも踏ん張らないとダメだ」と。

―僕も東さんと同世代ですので、その当時NAMに関してある種特別な期待感はありました。

そうなんですよね。ただ僕はさきにも言ったように、「人は間違うからこそ人間である」のだと思うし、結局たいていのことは偶然で決まっている。だから、柄谷さんの試みを「事後的」に批判するつもりはまったくないんですよ。そもそもゲンロンだって、来年にはつぶれているかもしれない。それが「中小企業のリアリティ」ですよ。

でも重要なのは、彼が「失敗」したからこそ、逆にぼくががんばれたってこと。そしてそれこそが「郵便的コミュニケーション」ってやつなんじゃないかと思うんですよ。柄谷さんのNAMがなければ、ぼくはゲンロンを途中で投げ出してしまったかもしれない。それこそが柄谷さんが僕に与えてくれたもっとも大きいものだと思います。

―本当にそこで奮起していただいてよかった。というのは大変おこがましいんですが。こういう形で『ゲンロン』が続いて『0』が出て、みなさんからの評価もあって、ブクログ大賞はウェブのユーザーが選ぶ賞ですので、権威というものではないのですが、あえて言えるとすれば「観光客」賞だと認識いただければと思います。おそらく今期、いろんな形で、われわれ以外にも何かしら評価されるのかなと思うところなので、ぜひ引き続き頑張ってください!本日はありがとうございました!

<了>


ゲンロン0 観光客の哲学

著者 : 東浩紀

株式会社ゲンロン

発売日 : 2017年4月8日

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