『はじめての沖縄』刊行記念:岸政彦さん×温又柔さんトークショー 「境界線を抱いて」その2

青山ブックセンター、岸政彦さんの棚

10. 書くこと、そして境界線を引きなおすこと

岸さん、温さん
岸政彦さん、温又柔さん

岸さん:温さんにとって、「書くこと」って何ですか?

温さん:私にとって「書く」ことと「考える」ことは直結してます。考えこむと、書かないではいられなくなる。逆に言えば、書かないと考えた気がしないんですよね。ここ15年はずっと、日本人じゃない自分が日本語とこんなにも深い関係を結んでいることの意味を考えるためだけに書いている気がします。

岸さん:ぼくは、書くことって、言葉がちょっと悪いですけど、昔の自分に対する「おとしまえ」なんですよ。

温さん:わかります。

岸さん:業績を上げないと就職できないので、ずっと形だけの論文を書いていた。書きたいことをほんとうに書いてなかったんです。

5年ぐらいかけて博士論文を書いて、なんとか前任校の龍谷大学に就職できたので、その博士論文を、さらにまた10年かけて書き直したんです。だからそもそもぼくは15年かけて『同化と他者化――戦後沖縄の本土就職者たち』を書いた以外には、ブログで炎上するくらいのことしかやってないんですよね。

岸政彦さん『同化と他者化 ―戦後沖縄の本土就職者たち―
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岸さん:こないだ社会学者の友だちに言われましたが、「90年代に『ソシオロジ』って雑誌で岸政彦って人がすごく面白い論文を書いていた。しかしその後一切名前を見なくなった(笑)。そして『同化と他者化』って本が突然出た」と。それくらい時間をかけて書き直して、いろいろなケリをつけようと……まあいまだに全然ついていないんですが。

いずれにしても、いろいろな語りがあるし、いろんな境界線があるんだよ、というのがとりあえず私の出発点です。でもその言い方自身もすごく危険なところがあって、どっちが正しいかわからないんだよ、という書き方に引っ張られてしまうことがありますね。いろんな境界線があるんだよ、沖縄も本土も多様なんだよという言い方でいいのかどうか。

この本でも引用したんですけど、沖縄の元知事がインタビューで、「オール沖縄はおかしい、それは幻想だ。沖縄っていうのはいろいろな血が混ざって、いろいろな文化が混ざって、いろいろなところに世界中に行っている民族だから、一つの血などないし、一つの言動なんかないんだ」と語った。

オール沖縄ってご存知だと思いますが、いま辺野古の新基地建設に反対して頑張っている沖縄県知事の翁長雄志さんのスローガンですね。これを批判して、その前の知事の仲井真さんが、こういう言い方をしている。仲井真さんって、辺野古の埋め立てを受け入れちゃったんです。自分は悪くないって言いたいんでしょうけども。

翁長さんはもともと沖縄の自民党の保守本流のひとで、それが辺野古反対に回った。だからこそ、オール沖縄というスローガンを立てて、右から左まで幅広い支持を集めて当選しました。翁長さんに対して仲井真さんは、オール沖縄なんて嘘だ、ひとつの沖縄なんて虚構だと言ってるんです。

これは構築主義的な発想を完全に悪用してるんですよ。多様性や複数性、流動性という概念を悪用している。だから、場合によってはポストモダニズムはきわめて保守的な言い方になりうるのだという実例です。

岸政彦さん、温又柔さん
岸政彦さん、温又柔さん

温さん:すごくよくわかります。私、そういう人は「ポストモダンマッチョ」って呼んでます。たとえば私が自分と似た境遇の、外国人の親がいて日本で育ったという人たちと「日本語を母語と呼ぶにはためらうけれど、やっぱりいちばん楽につかえるよね」とか「日本のことも母国だと思いたいよね」みたいな話をしてるときに、「そもそも日本語は歴史的に漢文から派生していて」とか「そもそも国家とは恣意的なもので」みたいなことを得意げに語り始める左翼であることを誇らしげに自称するおっさんたちには、正直、本当に本当に辟易してるんです。とりあえず定義を疑えば何か言った気になっているという人たちね。

もちろん、自明と思われてきたものを根本から問い直し、再定義をするという作業はすごく重要だと思います。自分の上の世代の人たちが、懸命にそうしてくれたことのありがたみもよくわかります。

ただ少なくとも私は、そういうポストモダンマッチョたちが、いろんなことを解体してきたあとを生きているんですから。その先を創らなきゃいけない。それはもう切実に。だからそういうおじさんたちが「そもそも論」をはじめると身構えちゃう。この人は、こちらの個別の悩みと真剣にむきあう気はなくて、20年以上も更新されていない持論を披露して威張りたいだけなんだろうなって。そういう人と出くわしたらどう対応したらいいのでしょう……今日ちょっとアドバイスをいただけたらなと。

岸さん:なんで俺やねん(笑)アドバイスなんてそんな。

温さん:この本って読み手によって感じ取り方が違うと思うんですけど、権力者というか、大きな力に押し付けられた苦痛に対して、ちょっとそれはないんじゃないのと思ってる人達の共感を呼ぶものだと思うんですね。

岸さん:まったくその通りで、そういうふうに書きました。というか、そういう仕事をこれまでしてきたし、これからもしていくつもりです。

やっぱりぼくの本も時代の影響があるんですよね。ぼくが勉強しだしたのが80年代、90年代なので、一番最初に構築主義が出てくるんですよ。例えば最近欧米でも、盛んに「実在論」というものが哲学でも言われるようになって、ひとつのブームになってますが、わりとぼくと同世代のひとが多いんです。といってもぼくなんかとは格がぜんぜん違いますが(笑)、たぶんみんな、若いころにぼくと同じような本を読んでイライラしてたんちゃうかなと感じることがありますね。

ともあれさまざまな境界線があるなかで、ぼくは境界線をもう一回引き直す作業をしたい。沖縄の人から見たら結構複雑でしょうし、微妙な反応をされてもいるんですけれど、だけどぼくとしてはまず自分に落とし前をつける意味でも、絶対ここから先には入ったらアカンという線を引いておきたいんです。

沖縄にはどんどん詳しくなっていくし、そうして調査をしていくんですけども、相手のことが分かるとか絶対に言ったらあかん、と思う。相手を丸ごと理解することはできない。でも、やっぱり「言葉を交わす」くらいはできる。言葉の政治性、という問題はあるけれど、それにしてもやっぱり、できるだけ「合理的」な言葉を交わして、合理的にそういうことがあったんだ、という理解ができたら十分だ、それでいいじゃないか、と思うんですね。共感はできないかもしれないけど、対話はある程度はできるはずだと。

ただしマジョリティの側が、わざわざ線を引こう、線を引こう、という作業をしようとしてるのも、ほんとは反対側から見たらうざいんじゃないかと思うことがありますけどね……。例えば温さんが言うのと私が言うのとではポジションが違うわけですよね。

温さん:何と言えばいいのでしょうね。私はごく単純に、善良な人に「国とか関係ないよ、仲良くしようよ」ってやっぱり言われることがあるんです。それは彼・彼女の純粋な気持ちなんですけど、でも関係ないならなんでこんなに私、悩んでるんだろう?っていう気持ちになるし。

逆に、「私とあなたは違うからね」って言われちゃうとそれはそれで寂しい思いをするし。じゃあ何がしたいんだろう?って時があります。私個人の考えですが、できれば生きている間に楽しい会話ができる友だちを一人でも増やしたい。

岸さん:ほんまやねえ。

温さん:だからそのために、目の前で関係が築けそうな人がいたら私も頑張るし、向こうにも私のために頑張りたくなる価値がある人間として自分を思ってもらいたいし、っていう感じなんですよ。

岸さん:違う戦いをしてるんだけど、どこか戦友、っていう……

温さん:多分一緒なんですよね。

11. 何を語りはじめるべきなのか?

岸政彦さん、温又柔さん
岸政彦さん、温又柔さん

岸さん:話を戻すようですが、マイノリティの女性に寄ってくるリベラルなおっさんのきもさっていうのもありませんか。そこでは、なんかどういう言い方したらええかわかりませんけども、「当事者に託す」っていう快楽があるんですよね。温さんみたいな若いマイノリティの女性をもてはやして、自分の言うこと、言いたいことを代弁させる快楽みたいなものがある。

温さん:いや、私は、いわゆるおっさんからもてはやされる側に立たされる女性のほうでも、自分がそういう側にいるってことはしっかり自覚しておかなくちゃ、と思ってますよ。これは逆に言うと、そうやっておっさんたちからちやほやされることに気持ちよくなって、テレビで変なことを発言する女性も出てきてしまうことがある……

岸さん:ぼくは自分がおっさんだから、女性たちをそうさせるおっさんが悪いと思ってるんですけどね。

温さん:いや、どっちもどっちです。女性のほうにとっても、自分が何を言ってもおっさんたちが熱烈に支持してくれるという状況って、たぶんすごく気持ちいいはずなんだから。人間は弱いから、「何言っても私は正しいんだ」って思ったら、思考停止しちゃう。もちろん、そうさせてしまうおっさんは悪いけど、そこに乗っかってしまう女性にも責任がまったくないわけではない。まあ、これは私がおっさんではなく、女性側にいるからこそ自戒を込めてそう思うのですが。

岸さん:マジョリティというかおっさんの立場から言えば、おっさんたちは境界線をこちら側から越えないこと、自分でできる範囲のことを知ることが重要だと思うんだけどね。

温さん:そこは難しいところですね。そういうリベラルなおっさんが思わず夢を託したくなるような条件を備えたマイノリティ女性としてあえて発言させてもらえば、私は自分には自分で自分の機嫌を良くする責任があると思ってますよ。そこがちゃんとできていないと、たぶん、きもちわるいおっさんたちにちやほやされることが自分の価値というか、そうされることで有意義な人生を送ってるって錯覚しちゃうんじゃないかな。

そう考えると、まっとうな意見を保つことの秘訣は、目の前の人をちゃんと見つめることと、その人からもちゃんと見つめてもらうための努力にしかないのかもしれませんね。ものすごく「普通のこと」だけど。

岸さん:ぼくの立場で、沖縄の政治的なところを引き受けて、ナイチャーの社会学者として育って、男性としてできることは何かって考えると、結局それは「普通のこと」なんですよ。つまり、「普通に調査しようよ」と。なにかそこで、他者は理解できないんだあ、とか、当事者の痛みが、とか、そういうことを言わずに、ただ淡々と黙々と、普通に調査して、データを蓄積して次世代に残す。これしかない。一切の意味づけとかロマンチックなものを全部捨てて、なおかつ沖縄にコミットした本を書きたい。妙なナイチャーのロマン主義をすべて棄てさって、でもやっぱり政治的にちゃんと役に立つような。そういう本です。

これまで、ポストコロニアルとかのこういう「立場性」みたいな議論って、「突きつけて終わり」みたいなところがあって、そこがものすごく嫌いだったんです。絶対に答えの出ない問いを突きつけて、「これからも考え続けなければならない」「応答し続けなければならない」みたいなどうでもいい一般論で逃げて終わり。

でも、その先に議論を進めたい。私たちは他者になりかわることはできない。その固有の経験を共有することもできない。でも、「だからこそ」、社会学者であれば社会学の、歴史学者であれば歴史学の、人類学者であれば人類学の、「普通の仕事」をしなければならない。最近はあえてそういう発言をしています。

岸政彦『質的社会調査の方法』
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岸さん:これは、研究から離れてもそう思うんです。できるだけ妙なロマン主義は捨てたい。「いまどんどん開発されて、昔の本当の沖縄らしさが失われつつある!」なんて、ナイチャーがむしろ言いがちなんですけど、もっと「普通の沖縄」をちゃんと理解したい、ちゃんと知りたいと思う。

やっぱり沖縄大好きなナイチャーというのは、本当の沖縄を探したいわけですね。本物の沖縄を探して、今の沖縄をディスっちゃうんですよ。

温さん:そう。それはとても重要な指摘ですね。

岸さん:「おもろまち」って再開発地域があるんですが、例えばそこで「赤瓦の古民家がどんどんマンションになっていく!」って言う人も多いです。でも、そこに住んだことがあるのか? トイレ外やねんぞ!?って思いますよ(笑)。だから結局そういうことを言っているひとは、古民家を誰が掃除するのか?とか、どうやってそこで洗濯したり干したりするのかっていう観点が抜けているんです。普通にマンションに住んだほうが家事もしやすいわけですから。

ぼくは土産もの屋ばかりになった国際通りも好きだし、マクドとか、ショッピングセンターしかないようなおもろまちも好きだし……ぼくはきれいになっていく、普通になっていく沖縄も好きなんですよ。そういうところで生きている、普通に暮らしてきた人たちを記録に残したいんです。

昔ながらの民俗的なものや伝統的なものがどんどん失われていっている、という言い方がよくされますが、でも実は、意外に資料や写真が残ってるんですよ。ほんとうに何が失われているかっていうと、実は逆に、戦前から普通にいた公務員とかサラリーマンとかの方がたの暮らしの記録のほうが、残ってない。だから、残されていない普通の沖縄を残さなきゃ、残さなきゃってずっと思っているんです。

温さん:まさにそうですね。小説を書くために祖父母が子どもだった頃のことを調べようとすると、知識人による日記や手記ならたくさんあっても、たとえば学校に行けなかったとか、要するに、文字とは無縁だった大多数の人たちの「日常」ってなかなかアクセスしづらい。逆に、わかりやすく民俗的なものや伝統的なものの資料ならあるけれど、もっとそこに含まれない、含むほどでもなかった日常というとかえって難しい。まあ、私の調べ方が未熟というのもありますが。だから、たぶん、手に入れやすい資料だけで見ようとしたら、本当に普通の暮らしって見えてこないんですよね。

岸さん:先の発言と矛盾するようですけれども、ちょっと前に取り壊されてしまいましたが、先代の那覇のバスターミナルも好きだったんですよ。1950年代に誕生して、つい最近まで那覇市の交通の中心だったバスターミナル。それがものすごい建物だったんですよ、コンクリート造りの、モダン様式の。当時どこかに調査しに行くときにはいつもそこから出発していたんです。そこが去年なくなって、大きなビルが建つんですが(8月完成予定)、それが心から寂しいですね。

だから、一方ではやっぱりマジョリティ側の妙なロマン主義を批判しながらも、じゃあ沖縄らしさはぜんぶ「メディアがつくりだしたイメージ」とか「植民地主義的欲望がつくりだした虚構」っていうことにもならなくて、やっぱり沖縄らしさというものはある。そのあたりをどう描くかが課題だと思ってます。

温さん:バスターミナルで思い出したのですが、実は私、自分が懐かしくなる原風景的なものを考えるとき、何が浮かぶかというと、空港なんですよね。もっと厳密に言えば、羽田空港の国際線ターミナルなんです。

政治的な理由で、80年代前半は台湾の飛行機って羽田にしか止まらなかったんですね。羽田ってあの頃、国内線しかなかったから、台湾行きの飛行機が唯一の国際線乗り場になるんです。羽田の国際線ターミナルに、私は3歳のときから行き来していたわけですけれど、なんだか全体的に薄暗い記憶がありますね。端っこのほうには喫茶店があって……その入り口にはちょっと埃をかぶった食品のサンプルがならんでたり、ソフトクリームの看板があって。その羽田空港へ台湾から祖父母が来るのを家族で迎えに行ったり、出張に出かける父親を母と妹と見送りに行ったり、というのがけっこう懐かしい風景なんですよね。今はもうなんの痕跡もないけど。

岸さん:沖縄でいま建設してる真新しいバスターミナルのビルも、あと40年経ったら……

温さん:誰かの懐かしい風景になるかもしれませんね。

岸さん:寂しいことではある。けれども、沖縄の人が決めたんだったら、それはいいじゃないですか。例えばバスターミナルが建て替わったことをものすごく批判して、懐かしんで、「あれは観光資源なのに内地みたいにしちゃって」という言い方をする社会学者もいるわけです。

「でも沖縄の人の判断だからこちらが受け入れればええやん」と思うんですね。たとえば沖縄本島って自然の海岸がもうほとんど残ってなくて、全部埋め立てられて人工ビーチになってるんですよね。そういうことも地元の人の判断があってそうしている。

自分の中で書く言葉が見つかっていないんですけど、このあたりをどこまで言っていいか、どう捉えるべきなのか分からないところがありますね。ただ、選択肢の一つに「発言しない」っていうことはあるんだろうな、と思ってます。偉そうに診断しない。

温さん:それはすごく誠実な態度だと思いますけどね。私も、日本に対して、そして台湾に対して、何かあるたびに自分はどこまで言及するべきかいつも迷います。完全に関わりながらも距離を持つ。先人たちに敬意を払いつつ、でも自分にとっての台湾や日本も考えたいと思う。すごく悩ましいことです。これは答えが出ないことでもあるわけなんですが、やはりその都度その都度そう思うんですね。

岸さん:敬意を払って、どう考えるかですよね。自分が止まっているところはそこなんです。禁止していた沖縄を好きっていう気持ちも少し整理がついたというか、本にも書いたんですが、はじめて沖縄に行った学生たちの姿を見て、やっぱり沖縄っていいところだと思ったわけです。沖縄に学生を連れて行くとはまるやつがいて、沖縄のひとと接して、いろんなことがあって感動して号泣してるやつもいるわけです。コロニアルな幻想じゃなくて、ほんとにいいところだった、とそう思ってもいい、と気づいたわけです。

だからぼくは職人として調査をして、普通の論文やエッセイを書こうというところまでは来れたんですけれど。いまはとりあえずそこが目標になってはいますが、まあでも、多分それだけじゃすまんやろな、と……。いつかはね。それはそれで限界にぶちあたるやろなと思いますわ。

温さん:今が始まりの地点ですね。

岸さん:そう。自分自身の仕事によって25年の間のケリをつけ、自分でもきもかった沖縄病を埋めて、上に土を被せたところまできましたね(笑)。でも、その土を被せてる自分もいつか埋めて土を被せてしまうかもしれない。

温さん:でも書くことって、その繰り返しであるような気がしますね。

岸さん:ですねえ……。そろそろ時間になりました。本日はありがとうございました。

温さん:ありがとうございました!

岸さん、温さん、ありがとうございました!

参考リンク

『はじめての沖縄』刊行記念:岸政彦さん×温又柔さんトークショー 「境界線を抱いて」その1
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岸政彦さんブログ「sociologbook」
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温又柔さんブログ「温聲提示」
白水社『台湾生まれ 日本語育ち』ページ