『はじめての沖縄』刊行記念:岸政彦さん×温又柔さんトークショー 「境界線を抱いて」その2

青山ブックセンター、岸政彦さんの棚

こんにちは、ブクログ通信です。

岸政彦さん、温又柔さんによる、『はじめての沖縄』(「よりみちパン!セ」新曜社)刊行記念トークショー 「境界線を抱いて」その2をお届けいたします(その1はこちら)。お楽しみくださいね。

登壇者プロフィール

岸政彦(きし・まさひこ)さん

1967年生まれ。社会学者。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。博士(文学)。研究テーマは沖縄、生活史、社会調査方法論。著作に、『同化と他者化—戦後沖縄の本土就職者たち』(ナカニシヤ出版、2013年)、『街の人生』(勁草書房、2014年)、『断片的なものの社会学』(朝日出版社、2015年、紀伊國屋じんぶん大賞2016受賞)、『愛と欲望の雑談』(雨宮まみとの対談、ミシマ社、2016年)、『質的社会調査の方法—他者の合理性の理解社会学』(石岡丈昇・丸山里美との共著、有斐閣、2016年)、『ビニール傘』(新潮社、2017年、第156回芥川賞候補、第30回三島賞候補)など。

温又柔(おん・ゆうじゅう)さん

1980年、台北市生まれ。小説家。3歳から日本に在住。法政大学国際文化学部卒業。同大学院国際文化専攻修士課程修了。2009年、「好去好来歌」で第33回すばる文学賞佳作を受賞し、作家デビュー。両親はともに台湾人で、日本語、台湾語、中国語の飛び交う家庭に育つ。創作は日本語で行う。著作に、『来福の家』(集英社、2011年、のち、白水社、2016年)、『台湾生まれ 日本語育ち』(白水社、2016年、第64回日本エッセイストクラブ賞受章)、『真ん中の子どもたち』(集英社、2017年、第157回芥川賞候補)など。近刊に、連作短篇小説集『空港時光』(河出書房新社、2018)。

8. 岸さんが自分自身に感じた「気持ち悪さ」について

岸政彦さん
岸政彦さん

岸政彦さん:これも本に書いたことですが、一時期は、沖縄を好きって思うことそのものを自分に禁止していたんですよ。沖縄を好きって思ったらイカンと。そして一時期、何も書けなくなったんです。

温又柔さん:『はじめての沖縄』の中で、民宿の綺麗な女の子との出会いのエピソードがありますが、それがとても絶妙な気持ち悪さですよね(笑)。

岸政彦さん『はじめての沖縄 (よりみちパン! セ)
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岸さん:わははははは、あの話な………。若い頃に沖縄の離島に行くんですよ。いつも一人で。あるとき、黒島っていう、人の数より牛の数が多いといわれるくらいの島なんですが、安い民宿があった。そこに大体17、18の黒髪のきれいな女の子がいたんですよ。ぼくは当時20代。

彼女がその民宿のおばちゃんと親子っぽい会話をしてたので、そこの娘ということがわかったんやけど、それ見たときに何かこう、いたたまれないというか、「わーっ!」ってなったんですよ。こっちから何も声かけてないし、何にも言われてへんねんけど。「構図」なんです。行き場所を失った内地の男性が……

温さん:内地の傷ついた男性が……

岸さん:ちょっと、よりきもいほうに誘導するのはやめてくれますか(笑)。でも傷ついた居場所のない内地の男性が、宿で島の美少女と……という構図がたしかにあった。「いや俺は絶対そんな欲望なんか持ってへん!」「目も合わさへんで俺は!」って、自意識でガチガチになってしまった。結局彼女と一言も口をきかず、すぐに石垣島に戻ったんです。

あとから考えたんですけど、これ余計にきもくなっただけですよね。

温さん:いや、気持ち悪いって紹介しちゃったけど、私、このエピソード、すごく重要だと思っているんです。対象を女性化する。自分の傷や居場所のなさを何かに受け入れてもらおうとするときに起こりがちの現象で、主体が女性、少女の場合でもありえますよ。

昔、十代の頃、ちょっとおとなびた高校生の女の子が沖縄の離島に行って、そこで現地の男の子とひと夏の恋をするっていう小説を読んだことがあるんです。男の子のほうは確か耳が聞こえないという設定で、東京からきた女の子にサトウキビをとってあげて……海をながめながら日に灼けた男の子とサトウキビを齧る、というシチュエーションにすごくどきどきしたし、あこがれをおぼえました。「わたしも南国で素敵な男の子と恋がしたい」って(笑)。

だから女性にも起こることなんですけど、圧倒的に男性のほうが多いんですよね。この話をあえてしたのは、台湾に対する日本人男性のある種の幻想って、ここに立ち戻るんです。ビビアン・スーみたいな美人が自分を癒してくれるとか、そういう女性が住んでいるのがちょっと田舎とかだと、都会で疲れた自分を自然も包み込んでくれてると錯覚したりとか……

岸さん:無垢な存在。

温さん:そう。さっきの小説の男の子は耳が聞こえないっていうのも、今思えば罪深い設定だなあって思うんです。要するに男女関係なく、無垢な対象を欲望してしまうときの、そういう構図を自分が思い浮かべていることについての反省、あるいは激しい照れみたいなものって、普通に生きていたら抱くはずなのに……でも、意外とそうじゃないんですよね。日本人男性向けの台湾の女の子にモテる方法、みたいなサイトが平気であったりして。

温又柔さん
温又柔さん

岸さん:ちょっと補足すると、いま私が話した逸話って、別にきもいおっさんより自分の方が誠実って言いたいわけじゃなくて、むしろ逆です。その時に普通に喋っていたら普通に恋愛したかもしれないし、友だちになったかもしれない。宿の食堂でちょっと飲んで話して、明日帰ります、という感じで楽しい一夜を過ごせたかもしれない。

けれどもそれが妙な傷になってしまったことを、ぼくは構造の問題として考えてます。でも、そこでそのきもさをわきまえて自分で反省した結果、よりきもくなってるとしたら、どっちを選んでもきもい(笑)

温さん:あはははは(笑)

岸さん:構造の問題なので、きもくない、となりようがない……(笑)

温さん:どうなんでしょうね。なりようがないかどうかはさておき、普通に喋っていたら、「本当の出会い」はあったかもしれない。その契機はあったかもしれない。けれどきっと、こっちが沖縄を好きって思うことに対する自分の感度みたいなものがすごく高まっちゃって、そういう図、そういう流れに見事にあてはまっちゃう自分が自分できもくなって受け入れられなかったという話じゃないですか。

岸さん:『ナビィの恋』って映画が同じ構図だったんですよ。地元でも評判になって、上映会をしたときに地元のおばあたちがめっちゃ並んだんですよね。それでこれ当たるわ、ってことで地元から火がついて、めっちゃひろがった。そういう、沖縄の人びとから愛されてた映画なので、否定はしないんですけども、映画のなかに、やっぱり内地のバックパッカーの青年が地元の美少女と出会う、という構図も含まれてたんです。

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9. 沖縄や台湾を好きと思う気持ちに混じるもの

岸政彦さん、温又柔さん
岸政彦さん、温又柔さん

岸さん:やっぱりどこかで沖縄や台湾が好きっていう気持ちの中に、政治的なもの、例えばジェンダーが入っていたり、セクシュアルな欲望、ポリティカルな欲望が混ざる。ポストコロニアルの話って、いつも性的なものと政治的なものの両方が混じるんですよ。政治的な欲望は、性的な欲望としても現れる。性的な問題は、政治的な問題としても現れる。従軍慰安婦っていうものが一番炎上する問題になっているのは、見事に両方が交差するトピックだからですよね。修復不可能なほど対立してしまう。

温さん:まさにおっしゃるとおりです。

岸さん:でもこんなぼくは台湾も好きで、すごく好きで。この流れでそれ言うか、とか、叱ってもらっていいですよ(笑)

温さん:「台湾好き」って言ってる人に「叱ってください」とか言われたことないですよ。言われたら叱りますけどね(笑)

岸さん:20年くらいまえ、大阪市立大学の院生だったときに、大学から派遣されて、台湾に初めて行く機会がありました。そこでめっちゃ台湾が好きになって。連れあいと何度も一緒に行きました。飯もうまいし、治安がいいし、人が優しいし、安いし、街がきれいだし、女の子が可愛い。そう思ってたんですが……そこにはジェンダー化されているコロニアルな関係性がもろに出ちゃったんだと思います。ゼミの卒業旅行でも何度も台湾に行ってるんです。

いつもそこでよくわかるんですが、台湾というのは全体的にもてなしが多いんですよ。だからおっさんははまるんやろうなって思います。

温さん:人から聞いて驚いた話なんですけれど、台湾に行った日本男性がそこで女性と仲良くなる秘訣は、「『オレ、日本人だ』って言うこと」らしいんですよ。だからそれは、日本人側だけの問題ではない。やはり台湾人女性からしても、日本人が憧れの存在、という部分がどうしてもある。

岸さん:うーん。前任校である龍谷大学で、授業の一環として、毎年夏休みに学生たちを沖縄に連れて行っていたんですが、4月から沖縄の歴史、それこそ琉球王国からの歴史を全部叩き込むんです。少女暴行事件や基地の話もします。で、いざ現地に行って、コザとか連れていくんですが……やはり女子学生が米兵見て「やばーい! 外人さん超かっこいい!」って声を上げる(笑)

温さん:それはまあ、ごもっともですよね。本当に微妙なところですが、インテリたちから「そんなことはけしからん」と言われてその感情を押さえつけられてしまうのも変な話で、目の前に魅力的な人が現れて「あ、素敵だな」って思う感情そのものは仕方ないと思うんですよね。

岸さん:もちろんですよ。あと、「日本の女は日本の男のモノ」みたいな考え方してたら最低ですよね。だから別に「外人さんかっこいい」でもぜんぜん構わないんですよ。

ただ、やっぱり「水路づけ」というか、行動が特定の方向へ限定されていくというか……やっぱり多くの女の子たちの好意は白人、アメリカ人に向くんですよ。対して、ぼくらはアジアの女性に向く。この非対称性みたいなものが、いつまでも戦後、というべきでしょうか。個人のいちばん実存的で個人的な、性的な欲望やファンタジーさえも、国際関係が裏側に入っている。

温さん:さっき、もてなし、歓迎の話が出てきたので言及しておきたいんですけど、私が一番苛立たしいのは、台湾では日本語を喋れる人たちがすごく日本人を歓迎してくれるんですが、そこで「こんな風に受け入れてもらったことがない」っていう人が台湾にハマりがちなことなんです。

岸さん:なるほど……。

温さん:そもそも、台湾の歴史って、ここ百年だけ見ても、とても複雑で一筋縄ではいかない。立場、境遇、階級、性別、世代などによってぜんぜん別の台湾史があるといっても過言ではないんです。

日本語がすごくよくできる台湾人が語る台湾史は、そういう複数の台湾史のうちの、一つでしかないんですよね。いうまでもなく、私は彼らの語る真実を否定するつもりはない。それはまちがいなく彼らの真実なのだから。ただ、そういう人たちがとても巧みな日本語で自分の歴史を語って、それを聞いた台湾語も中国語も勉強しようとしない日本人が、「これが台湾だ」と信じて疑おうとしない状況には強い違和感があります。

私の印象では、そういう日本人って、日本語をとおしてしか、台湾を理解しようとしない。日本語を通すと、必ずバイアスがかかる。だって、台湾人側ですすんで日本語を話したい人たちのほとんどは、もともと「親日」が多いんですから。「親日」の台湾人が日本語で語る話なら聞くけど、たとえば日本があまり好きじゃないという台湾人が中国語で発言しても、彼らはそれを聞く耳もないし、それ以前に聞く能力がない。聞こうと歩み寄る意識もない。だからすごく偏ったイメージがどんどん再生産されていってしまう。これは言語の問題だと思うんですよね。

岸さん:構造を再生産する人たちがいる。沖縄でもやっぱり構造に乗っかっている人々がいますね。

温さん:構造に乗っかること自体は避けられないんですよね。でも乗っかってることに無自覚な状態で、それだけが真実なんだと、そんな風潮を作り続けることはやっぱり反省しなきゃいけない。シングルストーリーというか「こういうものだ」という沖縄や台湾に対して、そうではない破れ目みたいなものをやっぱり大事に見ていきたいなとも思うし。それをどう表現するかっていうのが、私の、自分の書くことの意義だなと思わされます。

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