『はじめての沖縄』刊行記念:岸政彦さん×温又柔さんトークショー 「境界線を抱いて」その1

岸政彦さん・温又柔さんトークショー

4. 海外の人々が話す日本語について

岸政彦さん、温さんトークショー会場は満杯でした
トークショー会場はお客様で満杯でした

温さん:ただ私のイトコたちは日本語が好きで、片言ながら喋れるようにはなりました。私が台湾に帰るときには、おばあちゃんが統治時代の日本語をしゃべってて、イトコは日本のアニメやマンガを通じて日本語を喋る。

岸さん:あああ、それはおもしろいですね……。同じ日本語といっても、それぞれの世代でかなり違う。複数の日本語がある。哈日族(ハーリージュー)っていう、台湾で日本のことを好きな若い人たち、日本大好き族、という人たちがいますね。

温さん:ええ。私の叔父なども、商売で日本人と付き合うからちょっと日本語ができる。みんなそれぞれの日本語をしっちゃかめっちゃかに喋っている(笑)私だけが日本語が流暢だと思っていたのに、3日くらい台湾にいると私の日本語ってなんだったんだろう、って思えてくるんですよね。揺らいでくる。

岸さん:台湾で「~的」って意味合いのことを、日本語のひらがなの「の」で言い表すことがありますよね。

温さん:そうそう。「の」が大好きなんですよ。

岸さん:普通の台湾語表記されている印刷物のなかでも、「の」が使われていることがある。哈日族のような人たちが使う日本語は、多分こっちで韓流ファンが使っている韓国語のような、くだけたような表現になるのでしょうね。反面、おじいちゃんおばあちゃん世代の人たちは昔の丁寧な日本語になる。

温さん:そうなんですよ。私が子どものとき、台湾から祖父が遊びにきたことがあるんです。1987年頃、当時光GENJIが大人気だったころなんですけども、それをおじいちゃんと一緒にテレビを観ていて、おじいちゃんが「光GENJIなら自分はよく知ってる」って。子ども心にも、うそでしょ? みたいな……そしたらおじいちゃんが「よく知ってる」って言ってたのは、紫式部の「光源氏」のことだったんです。

岸さん:原典のほうやんか(笑)(笑)

温さん:こっちはまだ小2だから紫式部とか知らないんですよ(笑)

岸さん:言葉って何だろうな、って改めて思いますね。温さんのお母さんの言葉は、日本語台湾語中国語が混ざり合ってチャンポンで出てくる。そんなお話も温さんは書かれていますが、その混ざり具合にはすごく心当たりがありますね。ぼくは一時期、滋賀県のブラジル人学校の支援活動をしていたんですけど、そこの子どもたちも独特な日本語の使い方をするんです。形容詞の言い切りに、否定の「じゃない」をそのままぶらさげる。「おいしいじゃない」、「つかれたじゃない」、「さむいじゃない」という表現をする。こちらにもその使い方がだんだんうつってきてしまうんですが。

他に、朝鮮学校出身の友人が先輩に会ったときに「ソンベ、ほんま久しぶりイムニダ」って言うって言ってました。日系南米人の方には、「エストイ頑張ってヤンド」みたいな表現をつかうひとがいる。これは現在進行形で、わかりやすくいうと、アイアム頑張っティング、みたいな意味合いになります(笑)。ぼくはこういうの、ぜんぶ好きです。とてもおもしろいと思うし、どこかとても切実でもあります。

5. 温さんの家族が話す日本語

岸さん、温さん
岸さん、温さん

温さん:混ざり方も面白いですね。私の家の場合は中国語に影響された喋り方が面白くて。迷子になることを「迷子する」って言ったりする。

岸さん:それは中国人留学生がよく使いますね。

温さん:自動詞か他動詞かがわからなくなっちゃうんですよね。

岸さん:台湾では「~的」が「の」になる話をしましたけど、「おいしい『の』餃子」って言い方もされませんか。

温さん:かなり使われる言い方ですね(笑)。

岸さん:心当たりのある言い方が多いですね(笑)。間違い方にも規則性があるんですよね。

温さん:小さい頃、父親をはじめ中国語に影響された日本語を話している大人が周囲にたくさんいたので、今でも私、台湾系中国語ネイティブの方がしゃべる日本語を耳にすると懐かしいというか、なんだか好きなんですよね。会話において、彼らは彼らで独特の間違い方をするんですよ。

岸さん:お母さんの日本語がすごく好きだと著書で書かれていましたね。

温さん:そう。まあ、好きは好きだけど、自分の話すことが娘のあなたに通じないはずがない、という母の自信たっぷりな態度にイラっとすることは今でもあります(笑)。あれはもう移民云々の問題じゃなくて、もっとこう、お母さん力というか。「おかん語」の迫力ですね。

岸さん:おかん語(笑)。ちなみに温さんの台湾語や中国語は、どれくらいのレベルなんですか。

温さん:3歳児まで向こうにいた時はペラペラだったんですよ。よく喋る子どもだったんです、岸さんほどじゃないですけれど(笑)。聞いてくれる人がいると喋ってたのかもしれないです。

岸さん:いまでも喋れるんですか?

温さん:ペラペラではないけど、まったくできないというわけでもないレベルです。ただ、台湾の人たちには、子どもっぽい喋り方というか、幼稚な感じに聞こえるらしいです。多分、5歳くらいで日本を離れちゃった人が、その後17、18歳くらいで勉強し直したけど日常的に使っていない、って日本語のレベル。「ぼく、おいしい」「これ、かわいい思います」くらいに聞こえるんじゃないかな、って。

岸さん:もうちょっと喋れるでしょう(笑)

6. 沖縄におけるウチナーグチ、話し言葉の問題

岸さん:ぼく、いまちょうど50歳なんですが、沖縄ではぼくくらいの世代ぐらいから、ウチナーグチが消えていくんですね。それは72年に本土復帰があったことが影響しています。ぼくよりちょっと下の世代に『裸足で逃げる』(太田出版、2017年)で知られる教育学者の上間陽子さんがいますが、彼女が沖縄出身でちょうど72年生まれ。彼女ぐらいの世代から急激にウチナーグチがほぼ消えているんですね。

上間陽子さん『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち (at叢書)
ブクログでレビューを見る

ぼくの世代くらいだと、自分は喋れないけれど、戦前の父親母親が話すウチナーグチを聞いてて理解はできる。ただ、その下の30代40代だと、そもそも聞けないんですね。戦後生まれになる彼らの父親母親世代だと、標準語がメインになってしまうからなんです。

温さん:なるほど。そうなんですね。

岸さん:沖縄において、言葉というものは、世代やアイデンティティの問題と一体となって、歴史と社会構造にものすごく規定されている。もっとも、今はリバイバル運動もあって、小学校や中学校でウチナーグチを教えたりしてます。

また一方で、ウチナーグチを理解して日常的に使っている若い世代の子たちもいますが、かれらの多くは、階層が下の子たちなんです。それを調査している打越正行という研究者がいるのですが、彼は排除層、不安定層の若者たちのコミュニティの中に入って研究を続けているんです。かれの調査によれば、そうした若者たちはとても流暢にウチナーグチを使いますが、いろいろな事情で、親ではなくておじいちゃんおばあちゃんたちに育てられている子も多い。つまり、世代を一つ飛ばしてウチナーグチを直接受け取っているんですね。

「じゅん選手」って沖縄のローカル芸人がいて、彼にはウチナーグチのネタがあるんです。たとえば、沖縄のA&Wっていうハンバーガーショップのドライブインで、ウチナーグチでオーダー通じるか、みたいなね。ぜんぜん通じない(笑)。めっちゃくちゃ面白いんです。でも沖縄の友だちによれば、「あのじゅん選手のウチナーグチはウチナーグチじゃなくて、ヤンキー語だ」って言っている。やっぱり階層が出てくるんです。

温さん:やっぱりそうなんだ……。

岸さん:言葉には社会の境界線がいっぱい交わっている。しかもそれが一人の個人の中に直接入ってくる回路になっている。ナショナリティもそうだし、歴史性もそうだし、階層……もちろん男女でも違ってきますね。社会学でも言葉と階層の問題は結構、論じられています。

温さん:今、ノーマ・フィールドさんの本を再読しているんですが、彼女はお父さんが軍人で、お母さんが沖縄の方なんですね。ノーマさんがご自身の少女時代を振り返った文章を読むと、母方の叔母や大叔母によって、言葉遣いとか礼儀作法とかを厳しく叩き込まれたという。おばさんたちは、アメリカ人の父親をもつ姪がそのせいで半端な日本人としてバカにされないように、と思ったんです。

ノーマ・フィールドさん『へんな子じゃないもん
ブクログでレビューを見る
ノーマ・フィールドさん『祖母のくに
ブクログでレビューを見る

岸さん:なるほど。白人系米兵と沖縄系の女性の間で生まれた子に対しては、たしかにとても差別が大きい。アメラジアンって言葉があります。差別語になることもあるのですが、「アメラジアンスクール」っていう学校が沖縄に存在するんです。

温さん:差別は米兵の階級にもよるんですよね。ノーマ・フィールドさんのお父さんの階級はわりと上のほうだったらしいのですが……母方の祖母や大叔母たちからしてみたら、半分アメリカ人の顔をしている孫娘がもしもまともな日本語を話せなかったり、礼儀作法がなっていなかったら、同胞から白い目で見られると心配したんです。

どんな環境で育ったかって、どんな言葉を話すかに出ちゃうでしょう。例えば「だりー」とか「めんどくせー」とか「かえりてー」とかね、生意気ぶってあえて言ってるだけの子ならいいけど、ほんとうにそういう言葉遣いしかできない子は、それだけで周囲から下に見られてしまうことがある。深夜のゲームセンターで男の子と一緒にいる中学生の女の子が「うぜー」とか「やべえ」とか言ってたら、たぶんほとんどの人は「この子の保護者は何してるんだ」と心配するだろうし、反感をもつひともいるでしょう。実際にその子は親との関係が危うい可能性がある。喋り方にその人の背景が透けて見えちゃうんですよね。

岸さん:そうですね。さっきの話ですが、お父さんは米兵で、お母さんは沖縄の女性という状況が多いですね。そしてどっちが男でどっちが女か、っていうことはそれ自体が社会、コロニアル(植民地的)な問題なんですよね。

7. おっさんの気持ち悪さ

温さん:『はじめての沖縄』は、構造として批判しなきゃいけないことと、とはいえ目の前にいる生身の他人ともちゃんと関係を築きたいということの両方が書かれているのが、すごくいいなって思うんです。構造に組み込まれているという自覚を促しつつも、構造の中での人間関係はそれぞれ個別に見ようと努めているというか……実は私も、ふだんよく思っていることなんですが、例えば私が目の前の日本人のオジサンにひどいことを言われたとき、「日本のおっさん全滅しろ」って思っちゃうことがあります。

岸さん:めっちゃありますよね。ぼくもいつも思ってます、自分も含めて(笑)。

温さん:でも、日本のおっさん全員がわたしにひどいことを言うわけではないから(笑)。全滅しろ、は言いすぎなんです。つまり、私が他人と「関係し損ねた経験」を振り返ってみると、たとえば相手が私のことを「台湾人の若い女の子」と思っていて、私がその人の期待に沿う「台湾人の女の子」でなかったことが原因で壊れてしまったみたいなことがいくらでもある。そういうときって、私のほうも苛立ちながら「日本人のおっさんはこれだから」とカテゴライズしちゃってて、本当に不幸な出会いになる。いや、結局、出会えてないんですよね。だからこそ『はじめての沖縄』にある、ある構造の中にいやおうなく取り込まれてしまった人と人同士がどう向き合うべきか、みたいな部分は切実に受けとめました。

岸さん:『はじめての沖縄』は、3年くらいの短いあいだに書いたものが、気がつくとこれくらいの分量になってたってことでもあるんですけど、改めて全体を通して一冊の本として構成するときに、「俺ずっと同じ話書いてるんだな」って気づきました。「相当俺はめんどくさい人間やな……」って思いました(笑)。

温さん:いや、むしろ、そのめんどくささがすごく大切だと思うんですよ!

岸さん:最初に沖縄に出会ったとき、ぼくは本当に居場所がない時だったんですよ。大学院に落ちたし、仕送りもないし、当然彼女からふられ……「岸くんと付き合ってると結婚できないから」ってほんとに言われましたよ。じゃあ何で俺と付き合ったんや!(笑)と。

たまたまそんな時に沖縄に行って、ムチャクチャはまるんですよ。ムチャクチャ好きになる。でもそれは、いまから思うと、そうとう気持ち悪いやつだったにちがいない。その時の自分の気持ち悪さとどう対決するかっていうのが、この25年間のやってきたことというか。「気持ち悪かったよな、俺」って今も思います。

そしてぼくらは沖縄にどんどん詳しくなっちゃうんですよ。「沖縄に詳しくなっちゃうことの気持ち悪さ」というのもあります。ぼくは沖縄好きのおっさんがめちゃめちゃ苦手です。スナックとかで飲んでて、大学教員で沖縄をテーマに研究してます、って言うと、けっこうな確率で絡んでくるんですよ。

温さん:そのあたりのこと、『はじめての沖縄』にも書かれていますよね。

岸さん:そう。そういうおっさんは「沖縄って基地で潤っている一面もあるんでしょ?」みたいなベタベタなこと、いかにもネットで聞きかじったような話をしながら絡んでくるんですよ。研究者の俺に(笑)。

一番すごかったのは……沖縄には「桜坂」っていうところがあって、そういうおっさんが「ディープな沖縄なんだよね、ここ」って言いそうな、下町のバラックの飲み屋街があるんですが。

語り手の方とそこでインタビューしてたんです。こちらは二人だったんですが、店にいたおっさんが「ぼくが○○新聞にいたころ、△△△△に連れてきてもらってー」とか話してるんですよ(笑)。帰り際に目が合って、うわー絶対なんか言うてくるわって思ってたら、「模合(もあい)ですか?」って言ってきたんですよ。

模合って、沖縄独自の「頼母子講」みたいなものがあるんですけど、だいたい10人とかで集まって、会費を毎回5千円とか、それくらいずつ出しあって、その集まった5万円を順番にひとりずつ取っていく。庶民の暮らしの知恵で、いわば民間の金融システムのことなんです。例えば「このあいだ風呂場の換気扇が壊れたから」みたいなことがあれば、その人が修繕費をもらっていくような。親睦も兼ねた飲み会という機能もある。それが模合なんですよ。だから、二人で模合なんてやるわけないやん、って思わず笑ってしまったんですよ。それ、二人のあいだで金が行ったりきたりしてるだけやん!(笑)

温さん:言いたかったんでしょうね、その人たちは。「模合を知ってる俺たち」をアピールしたかったんですよね。


トークショーはまだまだ続きます。この続きは岸政彦さん×温又柔さんトークショー「境界線を抱いて」その2でお楽しみくださいませ!

参考リンク

岸政彦さんTwitterアカウント
岸政彦さんブログ「sociologbook」
新曜社『はじめての沖縄』ページ

温又柔さん公式Twitter
温又柔さんブログ「温聲提示」
白水社『台湾生まれ 日本語育ち』ページ