【おくやみ】金子兜太さん逝去─平和と反戦を祈り続けた、戦後を代表する俳人

『私はどうも死ぬ気がしない』

2月20日、俳人の金子兜太さんが急性呼吸促迫症候群のため亡くなりました。98歳でした。ご冥福をお祈りします。

毎日新聞「金子兜太さん98歳=俳人 前衛俳句、戦後をリード」(2018年2月21日)

経歴:金子兜太(かねこ・とうた)さん 1919年9月23日-2018年2月20日)

埼玉県比企郡生まれ。幼少は父の勤務地・上海で過ごし、4歳で帰国して以降は七五調の「秩父音頭」を聞きながら秩父の地で育つ。1937年旧制水戸高校在学中に俳句と出会い、東京帝国大学経済学部入学後に加藤楸邨(しゅうそん)さんに師事。1943年東京帝国大学を卒業し日本銀行に入社するが、海軍へ。ミクロネシアのトラック島へ赴任し、同島で終戦を迎える。捕虜生活を経て1946年に帰国。戦後も日本銀行に勤務し定年まで勤め上げながら、俳句の活動を続けた。

戦争と捕虜生活から大きな影響を受けて、戦争のない世を願っていた(澤地久枝さんの依頼を受け、2015年7月に「アベ政治を許さない」というプラカードの揮毫に関わった)。思想性と作品を通じて「社会性俳句」や「前衛俳句」といった潮流にいた一人と見なされる。俳句造型論の提唱、社会性俳句論争など、俳句界の言論活動も旺盛で、様々な俳人に影響を与えた。1974年に日本銀行を退職後、1983年に現代俳句協会会長に就任。

長年の活動は各方面から高く評価されており、1956年第5回現代俳句協会賞、1988年に紫綬褒章、1996年第11回詩歌文学館賞(句集『両神』による)勲四等旭日章、2001年に第1回現代俳句大賞、2003年日本芸術院賞、2008年に第4回正岡子規国際俳句賞大賞、文化功労者。2010年第51回毎日芸術賞特別賞、第58回菊池寛賞、2016年朝日賞など、多数の受賞歴がある。

金子兜太さん代表作に近づくための入門作:『金子兜太自選自解99句』

『金子兜太自選自解99句』
金子兜太さん『金子兜太自選自解99句』

代表句「おおかみに蛍が一つ付いていた」をはじめ、多くの自作について、自ら解説する一冊。金子さんは多くの著作を刊行していますが、その句にふれたことがない人が最初に読む一冊として、お薦めです。

俳句入門の著作:『金子兜太の俳句入門』

金子兜太『金子兜太の俳句入門』
金子兜太さん『金子兜太の俳句入門』

金子さんは多くの俳句入門書を著していますが、その中で特に最初の一冊として推されるのが本書。中学生や高校生の作った俳句なども題材に織り交ぜて、全く俳句を知らない人でも分かりやすい内容となっています。

戦争体験を語った自伝的著作:『あの夏、兵士だった私』

金子兜太『あの夏、兵士だった私』
金子兜太さん『あの夏、兵士だった私』

従軍中、特にトラック島にいた時期の生々しい現実が記されています。トラック島が軍事的価値を失い孤立した結果、米軍は素通りして激しい戦火からは免れたものの、食糧不足による仲間の餓死などに直面することになります。2016年、金子さんが90歳を過ぎて語った、貴重な資料です。

金子兜太さんのおすすめランキング

今後も、多くの作品が言及されていくことでしょう。たくさんの人に金子さんの業績が伝わることを願ってやみません。

参考リンク

毎日新聞「戦後70年『国のため死んでいく制度は我慢できぬ』俳人・金子兜太さんインタビュー」(2015年6月23日)
朝日新聞「反骨心・気取らない優しさ… 金子兜太さん死去」(2018年2月21日)