「私もつぼみだったんだな」 — つぼみの形でしか書けなかったもの 宮下奈都さん『つぼみ』刊行記念インタビュー前編

『羊と鋼の森』によって、2016年度「本屋大賞」受賞、「キノベス!2016」第1位獲得、第154回直木賞候補となった宮下奈都さん。今後も更なる活躍が期待される、注目著者ですね。

宮下奈都さんの著者近影・画像

2017年8月、宮下さんの新作短編集『つぼみ』が発売されました。ここでは6篇の短編が収録されています。それぞれの短編は、主人公が立ち止まり、考え、ためらい、もがき、次第に自身の大事なもの、見過ごしていたもの、あるいは人生の目的を発見していく物語です。今回、収録短編の前半3作品は、宮下さんの出世作『スコーレNo.4』の主人公・麻子の妹・紗英、叔母・和歌子、父の元恋人・美奈子が登場するスピンオフであることも話題になりました。

今回ブクログでは、新作短編集『つぼみ』について宮下さんへインタビューを行いました。作品を記すにあたって、宮下さんはどのようなお考えをお持ちだったのでしょうか?前編では、執筆の経緯から、『つぼみ』前半部のことまでをお伺いしています。宮下さんの他作品との関係などもお聞きしました。その制作秘話とは?どうぞご期待ください。

取材・文・撮影/ブクログ通信 編集部 大矢靖之 持田泰

「開く前の初々しさとか、愛おしさ、きらめきが『つぼみ』にはある」

―今回書き上げられた『つぼみ』につきまして、まずはタイトルの意味やいきさつについてお伺いします。宮下さんはこの作品に、「これからひらくつぼみたちを描きました」というコメントをよせています。この『つぼみ』というタイトルに込めた思いなどをお伺いしてよろしいでしょうか。

はい。私は、活躍している人より、その「少し手前」でもがいていたり、がんばっていたり、くやしい思いをしている、「少し手前」の人が好きなんです。どうしても興味がそっちに行くというか……その「少し手前」の人を表す言葉として、本当に開くまえの初々しさだとか、愛おしさみたいなものっていうのも、その一瞬のきらめきみたいなものが「つぼみ」にはあるなと思いました。

たまたま最初の3篇が花にまつわる話なんですよね。話のなかにつぼみって単語はありません。でも彼女たちは、花だとしたら開く前の状態です。つぼみ。そう、私にとってすごく魅力的に見えるつぼみの状態だなと思って、もうタイトルは「つぼみ」しかないなと思ったんです。

―なるほど。

でも、元々つぼみっていう単語を出してくださったのは担当の編集者でした。タイトルを決めるとき、彼女が「例えば、つぼみみたいな」っていったときに、「それだー!!」(叫び声)みたいな感じになったんですよね。(笑)

その場で、つぼみ、っていうこんないいタイトル、既に別の作家のタイトルとしてあるんじゃない? って何かあるか探したんですけど、他の作品になかったんですよね。それで、その場で「あっ」って。(笑)

今お話を聞きながら思ったんですけど、書いてる時の自分のことも思い出しました。「そうか、私もつぼみだったんだな」って。今もまだ私は花開いてないつもりなんですけども、この小説を書いていたときはもっと硬いつぼみだったんだなと。そのつぼみだった自分が書いたんだ、っていうことを、お話を聞いてて気づきました。

―そうなのですか。

今回の6篇はどれも、つぼみだった私がつぼみの形でしか書けなかったものです。それは、多分いまだったらこうは書かないだろう、っていうことでもあるんです。でも多分、この形のまま出したほうが絶対いいなって思いました。いまならもうちょっとうまく各作品を書ける気持ちでいるけども、十年後の私が見たら直していないこっちのほうが良かった、って思うんじゃないかな。だから自分がいま、この本を書いたその時のつぼみより少しふくらんだつもりで書けるような気になっても、書いちゃいけないことってあるんだと思うんですよ。

「なつかしいひと」を書いたときは、自分がその男の子になって書いていたなって思えます。いまは、その男の子になれるかどうか自信がないんですよ。だからほんとに、小説を書くことは、小説を書いたそのときそのとき時点の賜物だなあ、ってすごい感じました。

―なるほど。宮下さんご本人による本の帯文章にも、「今よりちょっと若くて、ちょっとがんばっている宮下の小説を、他でもない本人が読んで勇気付けられたのです。この時にしか書けなかったものがここにあると思いました」とありました。「この時にしか書けなかったもの」って表現に、はっとさせられます。ありがとうございます。

『つぼみ』は『スコーレNo.4』の続編ではなく、スピンオフ ─ 収録作「まだまだ」について

―タイトルの意味をお伺いしたところで、短編各作品それぞれについて、宮下さんへの思いをお伺いします。

今回の短編集『つぼみ』に収録された各作品は、2006年から2012年に至るまでに書かれた作品です。過去に記された作品『スコーレNo.4』(*)のスピンオフが3編、それとは別の趣を持った短編が3編入った一冊になっています。

 (*『スコーレNo.4』……宮下さんの出世作で、光文社2007年発行(文庫本は2009年発行)。自分の平凡さを日々感じている女の子・津川麻子。自由奔放な妹・七葉に自分を比べてしまっては落ち込んでしまう。その麻子が、中学、高校、大学、就職を通して4つのスコーレ(学校)と出会い、成長していく物語。売れたきっかけについては後述)

スピンオフが記された時期は、『スコーレNo.4』の出版と執筆時期とも重なります。ですから、その関係をお伺いしたく思います。元々『スコーレNo.4』は書き下ろしの単行本でしたが、それよりも前にこの『つぼみ』の短編構想を用意されていましたか?

いえ、違いますね。その後ですね。

―世界観、もちろんキャラクターは共通ですね。

そうですね。『スコーレNo.4』は、主人公に麻子がいて、妹の七葉がいます。続編については、私のなかの彼女たちが語り出すのを待とうと思っていたんです。でも、いつまでたっても彼女たちは「私たちのことはかまわないで」って言うんです。それで、「そうか、続編じゃないものとして書かないと、新しいことは書けないんだな」と気づきました。多分、スコーレの続きを書く意味はあまりないんだな、ということが分かりました。それで、別の人物の話になったんです。

―なるほど。いま『スコーレNo.4』の主人公姉妹が「もう私たちのことは~」っておっしゃいました。『スコーレNo.4』のラストは、姉妹たちの始まりや出発が記されていたと思えるのですが、宮下さんのなかにいるその二人は、もう続きを必要としていない……?

そうかもしれません。もう、いいんだな、って彼女たちが言っているのがすごく分かった。この姉妹のことがとても愛おしかったんですけど、そういうことで書くものじゃないんだな、ということが、なんとなく自分のなかで腑に落ちたというか。

―だから、『つぼみ』は『スコーレNo.4』主人公姉妹が活躍する話ではない。けれども『つぼみ』には、『スコーレNo.4』の主人公姉妹の末女、「お豆みたいに小さい子」としてお豆さんと呼ばれる、紗英ちゃんが関わってきていますね。紗英ちゃんは『つぼみ』作中の二編、「まだまだ、」と「あのひとの娘」、二作に登場します。彼女は『スコーレNo.4』ではさほど登場していたわけではなかったんですよね。

そうなんです、そうなんです。『スコーレNo.4』のあとで書く余地があった子が最後に残っていたんです。お豆さんはどんな風に育つんだろう? と思った。誰かの妹だったり、誰かの娘だったりとしての描かれ方だと、紗英を紹介することにしかならないんですね。

―そして紗英ちゃんが主人公になるのが、『つぼみ』三作目に収録され、2007年に発表された「まだまだ、」ですね。ここで紗英は、「自分はまだまだ」と思いながら花を活けようとして、気持ちいいことばかり探して迷っている。けれども花を勉強するなかで、型ってものがあるから自由になれる。型があるから助けてくれるっていう祖母の指摘から覚醒して、自分の型を探していく。まとめると、そういうお話でした。

そうです。紗英はこれまでお豆さんの役割をうまくこなして生きてきたと思うんですけども、お豆さんという型を脱いだところを書いてあげないといけないなと思いました。

―あの作品のなかでも、「さえこ、さえこ」って周囲から呼ばれている。けれども、登場人物の朝倉君に「紗英って呼んで」って宣言する場面がありました。あの瞬間は良かったですよね。

そうそう! あらためて指摘されるとちょっと恥ずかしい、恥ずかしいです。ちょっとつぼみが開き始めのところを書くのって、嬉しいんだけど、すごく恥ずかしい、って気持ちもあるんです。

―私も読んでて「わっ」と思って、ちょっと気恥ずかしくなる箇所でした。

そうそう。そうですよね。

―でもそれが描かれていたから、私にも、読者にも、まぶしくてすごく繊細な瞬間が分かります。自分の経験でも、後から思い起こして「うわっ」となるような、そんな人生の転機とか、過去があったりしますけど。そういう瞬間みたいなものが描かれていてすごくよかったです。

ふふふ。ありがとうございます。

つぼみの部分というのはいくつになっても誰のなかにでもあるんだ ─ 収録作「あのひとの娘」について

宮下奈都さんインタビュー画像1

―て、『つぼみ』二篇目「あのひとの娘」(2012年8月発表)でも紗英ちゃんが描かれます。ただ、ここでの主人公は美奈子さんになりました。彼女は、『スコーレNo.4』主人公姉妹の父の元恋人です。紗英ちゃんはそれを知らずに、父の元恋人、美奈子さんのもとへ花を習いにきている。主人公ではなく脇役に回った。美奈子さんの視点から、昔付き合っていた男性「津川くん」の娘、として描かれていますね。「あのひとの娘」は、美奈子さんがかつての元恋人の娘に花を教えることになる葛藤が主なストーリーです。

紗英ちゃんは重要人物だけど主人公ではない。もしかしたら、紗英ちゃんも宮下さんのなかで「もういいよ」と言っていたのですか?

うーん。どうなんでしょう。『スコーレNo.4』において姉妹のお母さん、紗英のお母さんのことも書かれてないけど、お父さんのこともあんまり書かれていない。その割に、お父さんが、娘たちに尊敬されている。それを昔お父さんの付き合ってた人の目線から、お父さんどうなの? っていうところを書きたかった。美奈子と付き合ってたときのお父さんも一生懸命だったんだろうな、と思います。

―その当時、けっして口数の多いお父さんではなかったんですよね。基本を大事に、過程を大事にしようとして、丸型の旧型ラケットを選ぶお父さん。

美奈子さんの心情が、昔の彼氏であるお父さんと、もう一人の男性との間で、変わっていくところが美しい物語でした。そして紗英さんの才能に気づくさなかで、そのお父さん津川さんと紗英もちょっと違う、ということに気づく。その美奈子さんの心情も見事でした。

よかったです。

―『スコーレNo.4』スピンオフという話を持ち込まなくても、「あのひとの娘」単体で面白く読めます。けれども、美奈子さんっていう主人公についてもっと掘り下げてお聞きします。美奈子さんは、お父さんと付き合ってたのが高校一年から。物語はその三十年ほど後の話ということで考えると、いまの年齢は四十歳中盤くらいでしょうか。

そうなんですよね。

―この美奈子さんというかたは、恋愛経験も色々あったけれども、とうとうこの年になって初恋の男性への思いの終止符を打った、と。

ずうっと初恋の相手のことを考えてるわけじゃないんでしょうけどね。お父さんのことは、いつも何かの拍子に思い出したりする存在ですね。

―宮下さんがこれまで描いてきた作品では、もっと年の若い男性女性の主人公が多かったと思います。が、今回主人公が四十歳半ばであるだけでなく、ここで美奈子さんも「つぼみ」として描いてらっしゃるのですよね。言い方は語弊があるかもしれないのですけれど、彼女は四十半ばにして初恋の思いに終止符を打つ過程であって、更に成長を重ねた、ともいえますよね。

そうなんです。私もそう思ったんです。美奈子もまたつぼみだったという。年齢的に若いからつぼみだというわけじゃないんです。こういう言い方は変かもしれないですけど……私は今年五十歳になったんですけど、五十だからといってこれから枯れるだけなのかといえば、それはとてもつまらない考え方だなと思います。つぼみの部分というのはいくつになっても誰のなかにでもあるんだ、というのを今回読み直していて感じていたので、そういうふうに指摘していただけるのは嬉しいです。

―あまり読み込みがすぎてもいけないのですが、宮下さんがこの小説を書いていた2012年頃は、美奈子さんと同年齢くらい……?

そうそう。そうですね。

―やっぱり、そういうことが念頭にあって作品を書いたんでしょうか。

そうだと思います。できるだけ自分と近い年齢の人物を書くということが、自分の誠実さなんじゃないかなと思っています。若い人たちばかり書いてるのはちょっとやだなという気もするんですよ。「あのひとの娘」のときは、「いま」、同じ年齢くらいの主人公を書いたつもりだったんです。じゃあ自分がモデルかっていうと全然違うんですけど。

これはちょっと今の流れとはずれる話なんですけれど。自分の息子がバトミントンのラケットで旧型のほうを実際に選んだんですよね。そのときに、あっ! と思った。こういう子が自分の学生時代、クラスにいたら面白かったなあ、って。でもその時の自分には気づけなかったかもしれない。こういう男の子がいて、それに気づく女の子がいたら、面白いなって思えるんだなっていうのは「いま」だから思えるのですけれどね。

旧型のラケットを選ぶのは自分にはない視点です。でもそっちのラケットを選んだ子を、書いた当時の「いま」だから書ける。そういう男の子と、女の子を思える「いま」の自分がいる。さらに前の自分だったらだめだったんだろうし、逆に、2017年の「いま」だったら、またやりすごしちゃったかもしれない。そのちょうど本当に、あっ! って思えたところを逃したくなかったという気持ちはありました。

―素敵なお話でした。当時の年齢の「いま」、そして息子さんのお話から広がっていった、当時の「いま」しか書けなかった小説ですね。

そうです、そうです。息子からはそのエピソードを勝手に借り受けただけなんですけどね。

―ちょっと大きな話になっちゃうかもしれませんけど、宮下さんの小説って、登場人物一つ一つのエピソードや細やかなことの描写で、大きな話、大きなテーマを示していらっしゃいますよね。主人公がふと思うこと、立ち止まること、考えたり、発見したりすること。そういう些細なエピソードが積み重ねられて、登場人物の心のゆらめきとか、性格であるとか、非常にいろいろなことが表されています、今回のラケットの話も、そういう意味で特徴的な逸話と思えました。

こういうふうにしか書けない小説だった ─ 収録作「手を挙げて」について

―収録順では『つぼみ』一篇目となる、「手を挙げて」(2008年1月初出)についてお伺いします。このお話の主人公は、『スコーレNo.4』主人公の叔母、和歌子さん。これもスピンオフ作品です。

教会で「もう一度生まれてきても今の相手と結婚できるか」という問いかけを受け、手を挙げた母の回想話から始まって。華道の師範免状を持っている和歌子さんは、自分を母や、華道においても優秀だった姉と比較しながら、結婚の意味を考え続けています。

そうなんです。和歌子は結婚に対して懐疑的ですよね。母と父にいつも諍いがあって、そこで結婚って本当にいいものなの? って思ってるんです。でも、何でもできたお姉さんは結婚しちゃうし、自分は何にもない─何にもないのに、しかも結婚する─そんなことってありえない、とも思っている。結婚するって手を挙げる自信もなくて、まだ自分のことを認めてあげられていない。

―そうですね。姉のように力がない、って表現を和歌子さんがたびたびするわけですよね。「逃げていた」って本人も自覚している。でもそんななかで、結婚の誘いを受けることになる……

誘い! はい、そうですね。

「手を挙げて」は、動きがあまりなく、話としても進んでいかない小説だと思います……起承転結でこのラストに着きました、っていう話じゃないんですよね。読み返しているとき内容をすっかり忘れていたので、あのラストで、「あっこう来るんだ!」ってびっくりしました。

和歌子が住宅展示場に行ったりとか。姑に紅茶を淹れるときにコーヒーのカップで出しちゃったとか。思ったり考えたりしていることを、あっちこっちで考えていることを、そのまま小説として書きたかった。こういうふうにしか書けない小説だったな、って思うんですよ。小説としてのかたちを多分、すごくそのとき模索していた。

―でも、ひとつひとつのエピソードについて、住宅展示場の件とか、コーヒーカップの件とか、それらは和歌子さんの年齢と立場にすごく象徴的なエピソードが重ねられて、積み重なるような展開でしたね。

コーヒーカップの件で書きたかった感じは、すごく複雑です。育った環境とも絡んで、知らなかったことは恥ずかしいことだった、といったんは和歌子も思うんです。でもきっと、あとで何度も考えて、やっぱりあれでよかったんだ、と思うんじゃないかなあ。いろいろなことに気づかされるきっかけになりましたから。

―住宅展示場については、そこに行くということは、家庭を持つ、家族を持つ、人生のステージが変わることを意味する話ですよね。色んなエピソードで揺さぶられていく和歌子さんだけれど、最後に見出していくものがある。最初から最後まで、動きがあまりないという表現をされましたけど、すごい短いなかでエピソードが重ねられていくなかで、和歌子さんの決心や熟慮が─それこそつぼみがちょっとずつ花開いていくような、いきかけのところが描かれていたように思いました。

そうですか。うまくいってたかどうか……いま、自分で読むと分からないんですよね。

当時の自分がやりたいことはわかるんですよ。こういうふうにしたかった、と。でも、それがうまくいっていたのかどうか。エピソードを積み重ねるようにしながら、主人公が間違ったものに導かれているんじゃないか? とも思ったんですよね。和歌子は自分で花に真剣に取り組もうという気持ちに火がついたはずなのに、同時に結婚を誘う手が見えちゃって良かったのか?

それは花と結婚、両方取ってるということじゃないでしょうか。どちらかひとつに……しなきゃいけないわけじゃないですけど、主人公がこの年代だったら、どっちかひとつに絞るべきって思う年代じゃなかったかって。これでよかったのかどうか、っていうのは悩みました。

―でも作中、明快に答えを出されているわけでもなくて……私は読者として、このあとがどうなるかはわからないですけれど。花の道を進めて、そしてその男性ともうまくいって、両方発見した姿が見えてしまいます。

ああ、それならよかったです。

―いま過去の作品を読む宮下さんが迷いを言及されたことに、感銘を受けました。あそこで見える手って色々な読み方もできるかもしれませんし、読んだ人によっては解釈が分かれるかなと思いますけれど、私は花と結婚相手、両方を発見するストーリーとして読みました。

『スコーレNo.4』「スピンオフ」の収録順序と、書店員秘密結社のこと

宮下奈都さんインタビュー画像2

―『スコーレNo.4』のスピンオフとなったそれぞれ三作の収録順と掲載年月ですが、「手を挙げて」が2008年1月、「あのひとの娘」が2012年8月、「まだまだ、」が2007年4月。掲載年月順の収録ではないのですね。単行本化に際しては、この収録順についてお考えはあったんですか。

考えましたね。何度か、変わりました。

最初の三篇に関しては、登場人物の年齢が戻っていたらおかしい、というのが前提にあって、それで割とすんなり決まりました。出来の良し悪しは別として、「手を挙げて」は最初に持ってきたかったんですよね。多分、これは「うまくいっているかどうかは分からないけれど、こういう小説を書きたい」という自分の思いがすごく表れた小説だと思うんです。これを先に置きたくて、登場人物の年齢的にもうまく繋がったので、良かったんじゃないかと。こうしてみるとこの順番しかなかった、という気がします。さんざん迷いましたけれども。

―一読者として、この三篇の順番はすんなりと読み進めていました。私の場合は『スコーレNo.4』の面影が頭にあった、ってこともあって。特に紗英ちゃんが三作目で主人公になった、ってこともあって先ほどの質問が生まれたのですが。前半三篇、全て『スコーレNo.4』を書き上げたあとに書かれたんですね。

はい、全てそうですね。スピンオフ以外の作品について言えば、「晴れた日に生まれたこども」だけが『スコーレNo.4』の前です。

―『スコーレNo.4』ということで、ツイッター書店員秘密結社のことについて言及したく思います(2010年5月、宮下奈都さんの『スコーレNo.4』文庫本を拡売しようと、有志書店員がTwitter上で結集。全国的仕掛け販売に繋がりました。そしてこの取り組みが広く知られ、宮下さんの代表作・出世作の一つに挙げられることになります)。

あの秘密結社による推薦の前と後で、スピンオフ「あのひとの娘」の登場人物や、作品世界に直接与えた影響はあったのでしょうか。書店員の推薦によって人気作になったことで、作品に対する想いが変わったり、書く内容に変化があったりしたのでしょうか。

それまでは、本当に、自分の好きなものを描くことに自信がなかったんです。編集者にしか感想を聞いたことがなかった。でも、秘密結社で「いい」と言っていただけたことで、全然気持ちが変わったというか、「いいんだ。私は書いていていいんだ」っていう。それがものすごく大きかったです。

多分書き始めたばっかりの作家って誰でもそうじゃないかと思うんです。たまに、もう一作目からバーンと売れちゃう人もいますけどね。その人はその人で大変だと思いますけど……。でも、そうじゃない作家にとっては、たくさんの書店員さんが推してくださるってことが、どれだけ次の小説にも影響するか。「これで、OKなんだ!」って言ってもらえることで、自分の好きなものを書こう、って思えるんですよ。そうでなかったら、迷いがずっと生じていた。

好きなものを書きたい気持ちの他方で、人に受け入れてもらいたい気持ちも確かにあります。それはなぜかといえば、次の小説が書けなくなっちゃうから。そのために少しは読者に受け入れられる工夫をしなきゃって、多分余計なことも無理して考えていたと思うんです。特に私の小説への批判として、地味だって言われたり何も起こらないって言われたりするんですけれど、それを受けて、もうちょっと作品にドラマティックな要素を作ったほうがいいんじゃないかとか考える……。

でも、秘密結社に推してもらったことにより、「いいんだ、好きなように書いていいんだ」って思います。それがものすごく大きい。だからいま、いま、本当に自分が好きなように書いてこられたというのは、みなさんが応援してくださったおかげです。

―『スコーレNo.4』でそういったことが起こった後に、既に書いた『つぼみ』スピンオフ二篇(「手を挙げて」「まだまだ、」)をあらためて読み返していったとき、かつて書いた作品の見え姿が変わってきたりはしたのでしょうか。

うーん。自分では変わらないですが、読んでくださった方がどう思うかはわからないですから、応援してもらった分、怖さはありました。

―正確に言うと、スピンオフという表現は『スコーレNo.4』主人公麻子ちゃんの話ではない、という意味合いもあるのですね。

そうですね。番外編であって、続編ではない、とはっきり宣言したいと思いました。続きが読みたいって言ってくれる人がいて、すごくありがたかった。でも、「違うんです、続きじゃないんです」っていうのは予め言っておかないと。がっかりされたくなかったんです。ほんとに内容が違うっていうことももちろんそうなんですけど、応援してくれたり好きだって言ってくれたりした人が間違えて期待してくださったら申し訳ないという思いがありました。

―なるほど。この(スピンオフ)三作品をみてから『スコーレNo.4』を改めて読み直しましたが、あらためての発見もありました。『スコーレNo.4』を読み返すためにも、よい三作品でしたね。


この続きはインタビュー後編で。後編では、宮下奈都さん『つぼみ』の後半部についてお伺いします。そして、宮下さんの作品における重要なテーマについてもお答えいただきました。ご期待ください!


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