学校に行かない中学生たちを描くために―辻村深月さんブクログ大賞受賞記念インタビュー前編

辻村深月さんブクログ大賞受賞インタビュー前編

こんにちは、ブクログ通信です。

『かがみの孤城』で「2018年本屋大賞」に続き、第6回ブクログ大賞小説部門大賞を受賞された辻村深月さん。

辻村深月さん『かがみの孤城
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今回、受賞に際し、辻村さんに記念インタビューを受けていただきました。『かがみの孤城』が完成するまでの経緯から、影響を受けた作品。マンガ、アニメ、ゲームへの思い。そして「学校」に対して思うことや、劇場版ドラえもん脚本執筆時の想いまで、さまざまなことをうかがいました。まずはインタビュー前編を公開します。ぜひお楽しみくださいね。

取材・文・撮影/ブクログ通信 編集部 持田泰 大矢靖之 猿橋由佳

『かがみの孤城』、ブクログ大賞受賞によって8冠を獲得!

―まずは、第6回ブクログ大賞小説部門受賞おめでとうございます!もっとも今年はもう間違いなく『かがみの孤城』イヤーであったなと思っております。

ありがとうございます。光栄です!

辻村深月さん
辻村さんに受賞盾をお送りしました!

―今年一番ブクログユーザーからの登録数で伸び率が高く、かつ★評価も高く、その結果が、今回の投票にもそのまま結びついたのかなと。本当に、おめでとうございます。

本屋大賞を受賞したあとで、帯に「7冠」って書いていただいて、今年の終わりが近づいてきたところで、まさかそれを「8冠」にしていただけるなんて、とてもうれしいです。本屋大賞を受賞したことで投票を控える方や、「絶賛されていたけど……」と、話題になったことの反動で期待値超えなかった!というような反応の方が多くなっても仕方ないかな、とも思っていたんですが、周りのことと関係なく、一人一人が誠実に読んでくださった結果、この本を「自分の話」だと思ってくださったのかな、と。それが今回のブクログ大賞に繋がったのかもしれないと思うと、投票してくださった方たちに感謝を覚えます。

―ブクログのレビューは本当におっしゃるように皆さん「誠実に」読んでいただいています。ブクログの機能に、レビュー自体に対して「いいね」をつけるアクションがあるんですけど、その「いいね」数も多いです。つまり読んだ人が本を評価するだけでなく、他の人が読んだ感想に対しても共感し、喜んでいるという動きが、『かがみの孤城』の特徴です。

うれしいな。読者のみなさんありがとうございます。

『かがみの孤城』が完成するまでのいきさつ

辻村深月さん近影
辻村深月さん

―作品制作について質問させてください。『かがみの孤城』は、『asta*』で初期はずっと連載されていたものが、途中で連載を中断し、後半部分は書き下ろしという形で書かれて一つの作品にまとまったということなんですよね。

そうですね。『asta*』で毎回30枚ぐらいずつ連載してたんですけど、書き始めた時には「最後どうしたい」とか「最後どうなる」というラストを一切決めていなかったんです。

―そうだったんですか!

ラストどころか、そもそもこの小説を「ミステリーにするのかどうか」ということ自体、ほとんど決めてなかったんですよ(笑)。私の中に最初にあったものは、本当にシンプルで、「『不登校』と呼ばれる、学校に行かないという選択をした子たちに対して、その子たちの居場所になる城の話にしたい」ということだけ。そこが入り口だったので、「不登校」の彼らを「集めて会わせる」ことが最大の目的だったんです。

―そうなんですね。最初にそこだけをとっかかりにして書き進められて。

そうなんです。学校では命を落としてしまうような痛ましい事件も、残念だけど起こります。その中で「不登校」についても大人の考え方が変わり始めて、「学校に行かなくてもいい」とか、「学校に行くことだけが正解ではない」という考え方が、現実でもようやく広がってきたところだと思うんです。だけど、その先の「学校に行かないという選択をしたあとにどうしたらいいのか?」については、まだ誰も答えがわからない状態です。また、そこに唯一無二の正解があると思うこと自体が違う。ようやく、そのことがわかりはじめてきたのが今の状況なのだと思うんです。

―なるほど。

大人たちは「学校に行かない」という選択をした後の解決方法として「学校に戻すこと」を目標に動いてしまいがちですが、絶対にそこだけがゴールではない。自分を守るために、「学校に行かない選択」をすることはもちろん正しい。ただ、学校に行っていたら、「できていたかもしれない友達」とか、「できたかもしれない体験」というものが、その子から奪われた状態になってしまうのは、あまりにももったいないし、悔しい。だったら「その子たち同士を会わせてみたらどうだろう」とまず思いました。会わせた後に何が起きるのかは、その部分の執筆が近づいてきたら考えようって、かなり行き当たりばったりに書いていましたね(笑)。

―そうなんですね。ハシゴを作りながら登っていく感じだったんですか。

そうですね(笑)。でも書いてるうちに、自分でもそれを伏線だと思わなかったものが、「あ、このために自分は書いてたんだ」ってわかることが、私の場合、長編の執筆の時にはいつもあることなんです。今回の場合、5月に始まって翌年3月に終わるこの『かがみの孤城』の世界観の中で、夏休みを過ぎたころに、視界が一気に開ける感じがありました。この城がなんのためにできたのか、それがラストまで急に見えたんです。思いついたとか、閃いたというよりも、最初からそこにあったものに「気づいた」という感じ。こころたちに教えてもらったような感じがありました。

―すごいですね。

そこで、今まで自分がそれを見えないまま書いてきてしまっていたわけなので、いろいろ調整する必要がきっとあるだろうと、『asta*』の連載を一度やめたいというお話をさせてもらったんですよね。でも、この話を友人の作家に話したら、「そういうのってありなんだ」って。「やめたいっていってやめれるものなの?」って言われて、自分でも「確かにな」と思って(笑)。その自由を許してくだったポプラ社さんにも感謝しています。

―本当ですよね。まるで、ある種「不登校」みたいな感じですね(笑)

中学生という存在を描くこと

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「私はこころだったし、オオカミ様だったんだろうなって思います」

そうですね、もう『asta*』には行かないって(笑)。でも、その行かないっていう選択をした『asta*』が自分を信じてくれたというか(笑)。ただ、ものすごく調整が必要になるだろうと思いながら、これまで書いてきたものを改めて読み返してみたら、ほとんど調整しなくて済んだんです。「なぜなんだろう」と考えると、やっぱり彼らが「中学生」だという理由が大きい。物語が最初から、この形でできていたんだな、と作者であっても思い知るような気持ちでした。

―辻村さんご自身のその「気づき」が作中の「夏休み」だったというのも象徴的なお話ですね。私の中学時代も思い出すと、新学年は2学期で大体みんなのことが分かりはじめるみたいな、そのときの空気感ととても似ていますね。

そうですね。作中1学期目の章タイトルが、「様子見の一学期」なんです。これも自然と出てきた言葉なんですけど、1学期って確かに「様子見」だよな、という感じはすごくありますね。作者である私も1学期は様子見しながらみんなのことを書いていた気がします。すごい、こういうことも、書き終えて随分経った今になってわかったりするんですね(笑)。

―辻村さんも、ある種『かがみの孤城』の隠れた登場人物として一緒に参加していたような。

そうですね。きっと私はこころだったし、オオカミ様だったんだろうなって思います。

登場人物たちへの想い

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「シーンを書くときになって初めて彼らのことがわかることがたくさんあった」

―そういう風に、まず中学生のお話をしようと物語の方向をセットした後、結果がどうなるかわからなかったというかたちにせよ、登場人物の造形は最初にある程度決めていたんですか?

そうですね。「学校に行かない子たち」にするというのは最初から決めていました。デビュー時のときに書いていた『冷たい校舎の時は止まる』のときとかは、10代の子たちの群像劇を作るときには、まず男の子何人、女の子何人、この子がリーダー格でとか、そういう感じで個性を形にしていったんですけど、今回の場合は、「学校に行かない理由」って何だろうっていうところから、それぞれ考えていったんです。で、その場合も、決め切っていたわけではなくて、「こういう理由で行かないんだとしたら、きっとお父さんとお母さんはこういう人で、じゃあこの家の子は男の子なのかもしれない」とか、「じゃあこの子はきっと女の子だろう」という感じに性別までもあとからついてきたような感じでした。

今回の作品がデビュー初期のころ書いてきた10代のものと一番大きく違うと感じるのは、こころの一人称だったということなんです。群像劇を書くとき、初期のころはやっぱり全員分の視点をとって、それぞれがどんな考えで動いていてっていうことを書き切らないと、私も、登場人物のことが伝わらないんじゃないかと不安があったりしたんですけれど、デビュー後様々なものを書いてきて、今回再び10代の群像劇に戻った時に「今回はこころの目線からだけでも、全員のことがきっと書ける」という気持ちに自然となりました。だから、他のみんなについても、そこまでいろんなことが最初から決めてあったわけではなくて、こころの目を通じて私も知ることがたくさんありました。こころがその人物のことを嫌いな時には、私も嫌いですし、好きになったら大好きになる。

―別のインタビューで辻村さんが仰っていましたが、ウレシノが最初はあまり好きじゃなかったけど、後半にはこころと同じように好きになったという話が印象的でした。

そうなんですよ。なんかもう最後のほうになってくると、ウレシノが描きたくてこの小説を書いていたのかもしれないと思えるほどになりました。

―辻村さんが何度も「学校」を舞台に小説を描くのはなぜだと、ご本人は思われていますか?

私自身が「学校」であまりうまくやれたタイプではなかったし、戻りたいとは絶対に思わないですけど、小説では不思議と何度も「学校」、とりわけ「教室」に惹かれて戻ってきてしまうんですよね。「楽しくなかった」からこそ、「なぜうまくいかなかったのか?」「なぜあんなに居心地が悪かったのか?」と、教室という場所に、まるで大きな忘れ物をしてしまったような気持ちがずっと続いています。自分の心の半分を学校という場所に置いてきてしまっているような。学校が楽しく、うまくやれたというタイプだったら逆に思い出すこともなかったかもしれない。忘れものをしたからこそ、それを眺めに戻るような感覚で、何度も学校を舞台に書くのかもしれないです。

―なんかわかります。

最初は、『かがみの孤城』は中学時代の自分が読みたかったものだ、という気持ちで書いていたのですが、今は少し違って、本当は、中学時代の自分が「書きたかった」小説なのかもしれない、と思っています。十代の頃に感じていたけど言語化できなかった感情がたくさんあって、それが今、大人になってようやく言葉にして整理できるようになってきた。それを、今の読者の方たちが受け止めてくれるのは幸せなことだと思っています。

―なるほど。

大人の登場人物を描くとき以上に、今回は、登場人物みんなが「勝手に動いてくれた」感じがありました。その文章を書く時になって、私も初めて彼・彼女のことがわかるということが本当にたくさんあったんです。あの時、強がっていたけど本当は泣いていたんだ、とか、みんなに「空気が読めない」と言われるこの子は、実は幸せの基準を自分で決められる強い子だったんだ、とか。登場人物みんなのことが、自分が作り出したキャラクターであっても、とても好き。小説の登場人物は実在しない人たちですが、今回投票してくださった皆さんが、彼らのことを「現実以上に現実」だと受け止め、実際の友達のように傍らにおいてくださったことがやはりとてもうれしいし、感謝しています。こころたち、よかったねって。

辻村深月さん近影.4
「他者と出会い、触れ合うって中学生にとってはものすごい冒険だと思う」

―読んだみなさんそう思ったんでしょうね。たとえば、ブクログのあるレビューでも、登場人物みんなの名前をあげて、「みんなが愛おしくてたまらない。」と書いていただいてます。

ありがとうございます。

―せっかく「城」という場所に冒険にいっても、彼らが最初はなかなか〝オオカミさま〟に言われた鍵探しをしない、というのも新しかったです。

ありがとうございます。せっかく異世界に行ったのに鍵探しをまともにやらないし、なんでゲームばっかりしてるんだっていう風に思われる方もいるかもしれないんですけど(笑)、私の感覚ではこちらの方がリアルに近いんじゃないかと思うんです。他者と出会い、触れ合うってやっぱり、中学生にとってはものすごい冒険だと思うんです。ましてこころたちのように、一度心を閉ざした子たちにとったら、ものすごく勇気のいることだと思う。

―そうですよね。大冒険だと思います。

辻村さんが影響を受けた様々なカルチャーとは?マンガ、アニメ、ゲーム……

―ゲームのお話が出たのでふれますが、今回の作品はマンガやアニメ、ゲーム好きにとっても、すごくなじみ深い舞台設定だと思うんですね。登場人物の二人、マサムネ、スバルがゲームをしている箇所に限らず、です。この作品を創作するにあたり、他作品から影響を受けたなとご自身で思うようなところはありますか?

大きく影響を受けたと思うものは二つあります。一つが児童文学『ナルニア国物語』です。

クローゼットの中から冒険に行くというところから、連想してくださった読者も多かったようですね。今回主人公が中学生で、しかも不登校の子たちなので、彼らを会わせたいと思っても、現実ではなかなか会える場所がないんですよ。中学生って本当に家と学校しか昼間の居場所がない。周りが敵だらけに思えて怖い、という気持ちの只中にいるだろうし、「だったらこっちから迎えに行くよ」という気持ちで、家の中に入り口を作りたいと思いました。だから鏡を。鏡だったら誰の家にでもありますし、10代のころのガラスのような繊細な気持ちを描くのにも、「鏡」という言葉は象徴的だと思いました。

あともう一つが藤子・F・不二雄先生の『ドラえもん』です。私が、鏡の向こうが異世界とつながるという発想が自然とできたのは、『ドラえもん』のおかげだったと思っています。

―やっぱりそうですよね。

藤子先生の作品が素晴らしいのは、日常に不思議が存在する、ということだと思います。描かれているのはあくまで小学生の日常。その日常と隣り合わせの場所に不思議がある。畳の後ろが宇宙とつながったり、それこそ鏡の向こうに行って大冒険する話もあります。

『のび太の宇宙開拓史』『のび太と鉄人兵団』ですね。

あと、タイムマシンの入り口からして、のび太の机の引き出しなんですよね。日常に不思議の入り口があることに、書き手として抵抗がないのは、藤子先生のおかげだと思っています。読んでくれた人たちが抵抗なくそこを受け入れてくれたのも、藤子先生と『ドラえもん』が、日本にいたからだと思っているんです。

―その二つなんですね。『かがみの孤城』は、『女神転生』シリーズ、あるいは『ペルソナ』シリーズの異世界へと向かう一作目の物語にも似ているものがあると思いました。辻村さんのゲーム好きも知られているので。

『女神転生』も『ペルソナ』も大好きです。自分たちの日常と地続きの場所に異世界があったり、あるいは、いつまでも続くと思っていた日常がある日突然崩壊し、世界の在り方が変わってしまう、という展開が本当に衝撃的で、シリーズを通じて、次は何を見せてくれるのか、というのが毎回本当に楽しみです。

辻村深月さん近影.5
「ゲームとアニメと、サブカルチャー全般、私の中ではどれが一番ということはなかったです」

あと『女神転生』では、「善」「悪」、「秩序」「混沌」どちらかが良いというわけではない。行き過ぎた「善」や「秩序」が暴力にもなるということを教えてくれたのも『女神転生』ですし、世の中には絶対的な価値観はない、という考え方に出会えたことは、その後の自分にとっても大きなことでした。

―ゲームを通じていろんなことに気づかれたんですね。

そうですね。ゲームってけっこう悪影響の側面を取り上げられることが多いですけど、私は、それにはすごく違和感があるんですよね。本の世界と同じく、ゲームの世界から影響を受けたことで救われることや人生が変わることだってあるし、それらの中にはすべて、等しく物語がある。ゲームとアニメと、サブカルチャー全般、私の中ではどれが一番ということはなかったんですよね。今たまたま小説を書いていますけど、本に限らず大好きだったものがたくさんあるし、それらの影響を受けながら、今も小説を書いていると感じています。

―アニメやゲームなどと、辻村さんの作品との関係を十分語っていただけた気がします。そういうあらゆるカルチャー、多様なものへのリスペクトは、作中小説世界からも感じます。そして、押し付けがましさのなさが若い世代からも支持される理由だとも。

ありがとうございます。


インタビューは後編に続きます。後編では、辻村さんが「学校」という場所について考えることや、劇場版ドラえもんの脚本執筆時の経緯、そして原作の大ファンだからこその想いをうかがいます。

辻村深月(つじむら・みづき)さんについて

1980年山梨県生まれ。千葉大学教育学部卒業後、2004年『冷たい校舎の時は止まる』で第31回メフィスト賞を受賞しデビュー。2011年『ツナグ』で第32回吉川英治文学新人賞、2012年『鍵のない夢を見る』で第147回直木三十五賞、2017年『かがみの孤城』で「ダ・ヴィンチ ブックオブザイヤー」1位、王様のブランチBOOK大賞、啓文堂書店文芸書大賞などをそれぞれ受賞。本屋大賞ノミネート作も数多く、2018年に『かがみの孤城』で第6回ブクログ大賞、第15回本屋大賞を受賞。
他の代表作に『子どもたちは夜と遊ぶ』『凍りのくじら』『ぼくのメジャースプーン』『スロウハイツの神様』『名前探しの放課後』『ハケンアニメ!』『朝が来る』など。新作の度に期待を大きく上回る作品を刊行し続け、幅広い読者からの熱い支持を得ている。2019年3月1日公開予定の『映画ドラえもん のび太の月面探査記』で映画初脚本を担当する。

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参考リンク

本屋大賞
かがみの孤城 辻村深月 | ポプラ社
祝!本屋大賞受賞『かがみの孤城』辻村深月さん「子どもとかつて子どもだったすべての人に―」

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