『ニムロッド』で芥川賞を受賞!上田岳弘さん「作家の読書道」インタビュー(WEB本の雑誌)

その5「デビュー後の読書」

―その後の読書生活はいかがでしょう。

上田:作家デビューしたのが34歳の時なんですけれど、その前後で最近の海外文学はどうなっているんだろうって研究したところがあって。最近は変わってきましたけれど、僕がデビューする2013年前後って、純文学が私小説的なものに寄っていた時期だったんです。大それた話ですけれど、そうではなくてもっと世界で通用するものを書きたいなと思い、イアン・マキューアンとか、バルガス=リョサといった海外文学を読んだ時期がありました。マキューアンは毎回作風が違うけれど、『土曜日』も『ソーラー』も『贖罪』も好きですよ。作風も構成も台詞も起きる物事も皮肉なんだけれど、どこかエレガントなんですよね。皮肉を言うからにはエレガントじゃないと、と思っています。リョサは『世界終末戦争』とかを読みましたね。

―おお、『世界終末戦争』、分厚いですよね。そういえばご自宅の本棚の映像にロベルト・ボラーニョの『2666』もありましたね。

上田:そう、あれも分厚いですよね(笑)。他はクレスト・ブックスも多かったですね。ジュノ・ディアスの『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』とか。

それと、ミシェル・ウエルベックですね。2013年に「太陽」でデビューする前に1回、新潮新人賞の最終選考に残っているんですけれど、その時の選評にウェルベックの名前が挙がっていて、それで全作品読みました。最初に読んだのは『素粒子』でしたが、作品のレベルとしては『地図と領土』が一番高いと思いますね。内容と文体と構成と試みが合致している感じがします。最近の作品は露悪的すぎるし、リーダビリティに寄っているような気がしているんですけれど。

―本棚にはシェイクスピア以外にも、ブレヒトやテネシー・ウィリアムズなどの戯曲もありましたよね。

上田:ブレヒトは『私の恋人』を書いていた頃、ドイツの戯曲が好きでパラパラと読んでいたんです。第二次世界大戦頃の、いわゆる敗戦国の文学に興味があったんですよね。勝った側の考え方や文化は今の世界に実装されているけれども、負けた側についてはこちらが追わないと分からないので、両方知りたいなと思っていて。

―ああ、『私の恋人』にはホロコーストのことも出てきますよね。そういう部分は新たに資料を読んだりしたのですか。

上田:いえ、ホロコーストのことはもう、みんな知っているじゃないですか。誰もが知っているホロコーストの知識と、H・G・ウェルズの『宇宙戦争』が実はオーストラリアの白人支配を皮肉って書かれたものだということが、あの本では繋がっていきました。そうすることで新しい見方をしてもらえれば、すごく達成感があるなと思いました。

―『私の恋人』では引用される『宇宙戦争』とか、『ニムロッド』のサリンジャーの金庫の話など、作品に先行する作家や作品もよく登場しますよね。それは意図的にですか。

上田:もともと僕が受け身な人間だからかもしれませんが、書いているとある時そうしたものが入ってくるんですよね。テーマに困っていたりする時に、たまたま本屋さんで見かけ「あ、これだな」とピンとくる、ということがよくあるんです。サリンジャーは濫読期に読みましたが、ウェルズは、何かの時に誰かが僕の小説とウェルズの『解放された世界』の関連性だったかに触れているのを読んで、ああ、ウェルズの代表作といえば『宇宙戦争』だなと思い、一応目を通しておこうと思って読んだらぶち当たった感じでした。だから、共時性が強いんですよね。共時性だけで書いているといっても過言ではないくらいです。受け身経験が長いゆえに、「あ、これだ」というものがすぐピンと分かる能力が上がっている気がします(笑)。

―最近はどのように本を選んでいるのでしょうか。

上田:書評を頼まれて読んでみたら面白かった、ということもありますね。最近だとアリ・スミスの『両方になる』がよかった。書評というか、裏表紙の短評の依頼がきたんです。クレスト・ブックスに短評を書けるなんて、嬉しかったですね。「ついに来たか」という感じでした。しかもすごく面白い本だったのでよかったです。

その6「最近の執筆と作品」

―デビュー以降、生活のリズムは変わりましたか。

上田:最終選考に1回残って以降、投稿時代から毎年2作ずつ書いていて、ずっとそのペースのままですね。デビュー以降ちょっと負荷が上がったかな、というくらい。朝5時に起きて5時半から7時半まで2時間書いて、出勤して、18時に終えて、夜はフリーです。ただ、『ニムロッド』は1週間丸々、会社にお休みをいただいてその間に初稿を仕上げました。毎日2時間ずつ書くという方法にちょっと飽きてきたので、1回連続した時間のなかで書いてみようと思ったんです。

―芥川賞の受賞記者会見で「芥川賞は対象となる作品の範囲が明確で競技性が高い」とおっしゃっていましたよね。

上田:範囲が明確というのは、芥川賞の候補になるにはこれくらいの枚数で、雑誌に掲載されていることが必要で…ということですよね。そういう意味での競技性。たとえば三島賞って雑誌から候補になるものもあれば単行本から候補になるものもあれば、評論が候補になることもある。だから狙おうと思っても狙えない賞なんですね。でも芥川賞は、「候補になるためはここに出さないといけない」というのが明確にある。そういう意味です。

―『ニムロッド』はこれまでの作品より「広く読まれるように書いた」とのことでしたが、それは競技を意識してのものだったのでしょうか。

上田:「賞が欲しい」というよりは、他に長篇も書いているなかで、芥川賞の候補になる可能性がある枚数で、もしも受賞した時にいろんな人に読んでもらう可能性があるものを書くのであれば、70代80代の人が「仮想通貨のあの話、ちょっと読んでみようか」となった時に「分からない」「独りよがり」と思われるのは悲しいので、そういう人にも届く書き方ができる筋肉を鍛えたいというのがありました。それに、それをやってみることが翻って、より構えの大きな作品を書く時に役立つだろうなと思いました。…というと、きれいな言い方をしたと思われそうですが(笑)。

―だからといって『ニムロッド』は、がらりと作風を変えるのではなく、これまでの作品と通じるテーマ性、世界観がありますよね。

上田:そうですね。これまで僕の小説は「分からなかったらいいです。でも僕はこういう表現がしたいんです」というふうな視点で書いたものがままあったんですけれど、ここ最近は深さは変わらないまま誰にも分かるように書くことに挑戦したい、という気持ちがありました。

―『ニムロッド』は主人公は会社でビットコインの採掘を任される中本哲史ですが、ビットコインの創設者の名前が実はサトシ・ナカモトという。

上田:サトシ・ナカモトという、明らかに日本人じゃない人が日本人だと言い張って匿名のまま作った仮想通貨に10兆円の価値が出るというのは面白い現象なので、そこは注目しました。

―中本の先輩の荷室がメールしてくる「駄目な飛行機コレクション」はネット上に実在しますよね。

上田:僕がネット上の「NAVERまとめ」でそれを発見したのが2016年くらいで、面白いものを書くなあと思っていたんです。そのなかでも印象に残ったのが、作中にも出てくる「桜花」という飛行機でした。あれもあれで大田正一さんという、サトシ・ナカモトみたいな提唱者がいて、でも飛行機は実用化されずに戦後すごく叩かれる。それで、彼は名前を捨てて生きていこうとする。そこがナカモト・サトシとすごく対照的に見え始めて、これは繋がったという感触がありました。その2つのメインモチーフと、あとは作品を重ねるごとに僕の中で残っていた「塔」というモチーフ、この3つで書けるはずだというのがあって書き始めたのが『ニムロッド』でした。

―ニムロッドはバベルの塔を提唱した人の名前でもあるという。「塔」というモチーフはご自身の中で自然と残っていった感じですか。

上田:高校生くらいの時にたまに、ぼんやりと塔の上で2人が何か喋っているような妄想がふわっと浮かぶことがあったんですね。それをちょいちょい小説に出すようにしていたら、結構書評でそこに注目する人が増えていて、「ああ、このモチーフには何かあるのかな」と掘っていって『塔と重力』を書いたんです。このあいだ書き終えた「キュー」までは塔のイメージを引きずっています。

―なにか、上田さんの作品には、どうしても届かないものを希求するような感触がありますよね。

上田:そうですね。そういうのって誰にもありそうな気がする。多くの人の中に、手が届かないものを求めてしまう心性があって、たぶん僕が小説を書くこと自体も、その心性が大きい気がします。「すごいものを書けそうだけれども、届かない」みたいな。それでも届けたいな、という心性は僕の中で大事なものです。それが男女関係に落とし込まれると恋愛になるし、今回の『ニムロッド』の小説家志望の先輩みたいに「デビューできない」というのもあるだろうし、駄目な飛行機やバベルの塔もそうですけれど、「届かない」「完成しない」というものが、善きにつけ悪しきにつけ、僕の中では駆動装置になっていますね。

―人間の営みがいつか終わってしまうというようなイメージも常に作品の中にありますが、それもその心性によったものでしょうか。

上田:それは、「終わってほしくない」という小学生的な願いもあるし、このままいくと人間の「これを絶対やりたいんだ」というようなモチベーションが減っていく気がするなかで、「どうすればモチベーションを作り出せるのか」ということを考えながら書いているところがありますね。つまり、「完成」と「終わり」は似ているんです。届くかどうか分からない完成を目指しているけれども、それは終わりを目指していることにも似ていて、そこは切ないなと思うんですよね。

―ところで、上田さんは純文学に触れて「こっちだな」と思ったとのことでしたが、上田さんにとって純文学ってどういうものだと思いますか。

上田:僕は「型」だと思っていて。要は書きにくい場所、困難な場所でどう書き続けるかという。

―その「場所」ってどういう意味でしょう。状況ということでしょうか。

上田:そうですね。デビューしていない状況で書き続けるとか、サリンジャーみたいに誰にも読んでもらえないと確定しているけれど書き続けるとか、そういう困難さですね。そう思うのはなぜかというと、なぜ書くのかということとなぜ生きるのかってことは、僕にはニアリーイコールな感じがするからです。どちらも、理由なんて分からないじゃないですか。それでもやるんだっていうところの「困難な場所」を求めるのが純文学なのかなという気はしていて。

『ニムロッド』だとリアリズム縛りで書いてみるとか、次の「キュー」では『新潮』と「Yahoo!Japan」で組んでもらって、同時連載という形で、ものすごく速いペースで長篇を書くことに挑戦したりとか。そういうことをやっています。自己満足かもしれないけれど。でも、だからこそ出てくるものって、あるんですよね。

―「キュー」はあらかじめ長篇を書こうということだったんですね。

上田:600枚規模のものを書きたいと両社に言って、「分かりました」と言ってもらって、で、730枚くらい書いたので、削って単行本では700枚くらいになるんじゃないかなって気がしています。

―さきほど「塔」のモチーフは「キュー」までということでしたが、今後は、これまでのモチーフを深め、広げていくわけではないのですか。

上田:とりあえず「キュー」がラストです。スピンオフみたいなものは書こうと思っていますが。まだ具体的なことは公にできないんですが、今、また違うものも書いていく予定があります。

<了>


この記事のライター

瀧井朝世瀧井朝世

1970年生まれ。WEB本の雑誌「作家の読書道」、『波』『きらら』『週刊新潮』『anan』『CREA』『SPRiNG』『小説宝石』『ミステリーズ!』『読楽』『小説現代』『小説幻冬』などで作家インタビュー、書評、対談企画などを担当。2009年~2013年にTBS系「王様のブランチ」ブックコーナーに出演。現在は同コーナーのブレーンを務める。ラカグ「新潮読書クラブ」司会、BUKATSUDO「贅沢な読書会」モデレーター。著書に『偏愛読書トライアングル』(新潮社)。

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