『ニムロッド』で芥川賞を受賞!上田岳弘さん「作家の読書道」インタビュー(WEB本の雑誌)

その3「執筆とは正反対のことをやる」

―ところで、作家になろうと思っていたそうですが、大学では法学部に進学されていますよね。

上田:そうです。作家になりたいとは親に言っていなかったので、文学部に行くのを反対されたというのもありますけれど、僕もそこまで文学部に行きたいという気持ちはなかったんです。それより、両極のものを味わいたいというのがあります。高校も理系コースだったし、大学も法学部だし営業のバイトとかしてましたし、社会人になってもビジネスとかやっているんで、小説の執筆とは反対のことをやりたい欲求があるんですよ。

―では本を読む以外に夢中になったことなどはありましたか。

上田:この頃はあんまりないですね。音楽は聴いていました。中学生の時に7歳上の姉がビートルズを聴いていたので僕も聴いてみて、「あ、やっぱりいいじゃん」となって。それまでは邦楽のポップスやテレビで流れているものを聴いていたんですけれど、そこからロックに興味が湧いていきました。日本のロックバンドはそこまでハマらなかった。大学では先輩に教えてもらって、レディオヘッドとかニルヴァーナとか。ベタ中のベタですよね。だいたい僕は受け身で、自分から探しにいかないから、王道しか入ってこない。

―小説は書きましたか。習作みたいなこととかは。

上田:小説を書き始める前のイニシエーション的に、19歳か20歳の頃には論文を書いていました。学校の課題ではなく、趣味で。「鉄と法」っていうテーマで12000字とか。

―ジャレド・ダイヤモンドの『銃・病原菌・鉄』みたいな感じですか?

上田:そうそう、あれに近いです。次に「座標と温度」を書こうとして、「いや、これは論文というより文学の領域かな」と思いましたけれど。

―「鉄と法、座標と温度」は上田さんの「太陽」の中で、生物学者の著書として出てきますね。

上田:そうそう、そうなんです。そういうことを素人考えで論文を書くのがその頃のライフワークでした。

結局、なんで子どもの頃から作家になろうと思っているのかが分からなくて、別のルートを一応試してみたいんでしょうね。理系コース行ったり法学部行ったりするのも同じ。最終確認として、小説と隣接する文章として論文を書いてみて、ピンと来なかったらやっぱり小説なんだなっていう。遠回りなんですけれど、そういう確認をしながらやってきた感じですね。でも論文を書いたのは、『BANANA FISH』のアッシュ・リンクスが論文を書いているのが格好いいなあ、というのもちょっとありましたね(笑)。

―小説を再び書き始めたのはいつくらいですか。

上田:21歳か22歳くらいで書いたのが、はじめて最後まで書き終えた小説でした。それが420枚くらいあって。

―いきなり長い(笑)。

上田:そう、いきなり(笑)。とりあえず作家になるには1作くらい書かないとどうにもならないと思って書いたのがそれでした。サナトリウムで死にゆく少女を見守るみたいな、ザッツ・セカイ系で、処女作にふさわしいベタな内容です(笑)。でも飛んでいる感じがあるというか、リアリズムにはしていなかったですね。その後に純文学の新人賞の存在を知ってそれに当て込んで書いたものよりも、何も知らずに書いたその420枚のほうが、今の作風に近かったです。

―大学卒業後は就職せず、小説を書きながらアルバイトとか?

上田:そうですね。日雇いとかたまに行ってました。肉体労働ではなく事務職です。ある会社が日雇いの事務職を募集していて、時給が1000円だったんですよ。「これいいじゃん」と思って行ったら、Word文書を3枚作って、あとはネット検索しているだけで8000円もらえるという、あまりに楽な内容で。「明日も来ていいですか」と聞いたら「いいよ」と言われ、そのまま居つきました。「明日も来ていいですか」を2年半ほど続けました(笑)。

小説のほうは、純文学の新人賞の存在を先輩に教えてもらったのが23歳の時でした。それで過去の受賞作を読んで「こういう感じで書くのか」と思って規定枚数に合わせて私小説的なものを書いて送ったら、最終選考に残ったんですよ。それで「ああ、なるほど」って思い、その後に何作か書きましたけれど、まだデビューは早いなと思って、働き始めたんです。

―ん? 早いとは? 

上田:僕のなかでは20代でデビューするのって超早い、というイメージだったんです。だって、分析すると、新人作家の小説って3作目くらいまでしか雑誌に載らないんですよね。3作までに結果を出さないと終わりなんで、そのチャンスを20代で使うのはもったいないと思ったんです。

―今ここで頑張らなくても、いずれデビューできるという自信はあったのですか。

上田:いや、そこまでは思っていないですよ。ただ、20代の今デビューしても、その先、作家としてやっていけるか自信がなかった。だったらもっと、一番可能性が高い頃にまた挑戦しようと思ったんです。

―年齢を重ねたほうが、可能性が高くなると?

上田:やっぱり直感と、経験の蓄積による「眼」が必要だと思うんです。「こうに違いない」ってピーンとくるっていう直感と、「でも実際はこうだよ」って気づける、経験の蓄積による眼が兼ね揃わないと、書けない気がするんです。直感と眼が養われていれば、存在しないものを書いた時にリアリティを与えられるじゃないですか。それって20代じゃ無理なような気がしますよね。もちろん、20代で作家デビューして活躍している人はいっぱいいるけれど。

―ただ漫然と生きているだけでは、歳を重ねてもそうした「眼」は養われませんよね。

上田:僕は5歳くらいから作家をやろうと思っていたので、ずっとそういう眼を意識して生きてきました。教室内の人間関係も見てきたのも、理系に行ったのも法学部に行ったのも、友人の起業に付き合ったのも、「作家になるんだったらこういうものやっておいたほうがいいな」という気持ちがありましたから。

その4「ミクロとマクロの視点」

―IT会社を立ち上げる友人に声をかけられて参加して役員になられたのはおいくつの時でしたっけ。

上田:25歳の時です。大学時代の営業のバイトで知り合った友人と、学生時代から何回か一緒にやっていて、その時が3回目でした。前から彼は会社を設立すると僕に声をかけてくるんですよ。僕が大学を卒業して作家を目指して2年間応募生活をしていた頃は、飲みに誘われてもなかなか対応できなくて。で、1回小説書くのを休むと決めたので「飲みに行けるよ」と電話をしたら「また会社を立ち上げたから、今から迎えに行くよ」って言って迎えに来て、そのまま入社しました。それからなんだかんだいって15年という。

―そこまで上田さんに声をかけてくれるというのは、何かすごい見込まれて…。

上田:いや、別に就職しているわけでもないし、立場が自由そうだったからじゃないですか。「こいつだったら誘いに乗ってくるかな」っていう。それにキャラクターが正反対だからかもしれないですね。彼は東大の理系なんです。僕、文系だし。

―入社してからしばらくは、小説執筆や読書からは離れたわけですか。

上田:そうですね。朝9時から働き始め終電で帰る毎日で4、5年が過ぎました。それが落ち着いてきたのが31歳くらいの時。それでまた書き始め、新潮新人賞の最終選考に残り、滝口悠生に負け(笑)、落選。その2年後に「太陽」でデビューですね。

―執筆を再々開した時にはもう、今の作風だったのですか。

上田:そうですね、かなり、今の感じでした。

―その世界観はどのように熟成していったのかなと思うんです。宇宙とか世界といった空間の広がりだけでなく、悠久の時間も感じさせる作風ですよね。

上田:どうなんでしょうね。自然と興味のあるものがそっちだったんですよね。25歳くらいの時に「純文学ってこういう感じだろう」と書いた私小説風のが最終選考に残って以降、小説を書いていない時期も、自分がいつか書くだろうものは考えていたんですよね。それで、単純に自分のやりたいことを突き詰めていくと、大きなことを書くということだったんです。大きなことって、当時の純文学的にはなかなか認めづらい部分があったと思うんですけれども、やっぱりそこを突き詰めていきたい気持ちが強かった。30歳を過ぎたことで、受賞するしないはどうでもいいから、とりあえず書きたいものを書こうというふうに腹をくくれたというのはあったと思います。

―大きなことが、もともと好きだったという。

上田:なんか、幼児的な万能感ってあるじゃないですか。たとえば小学校5年生くらいの時に、ソフトボールで球拾いしながら「永久機関はどうやれば作れるのかな」みたいな茫漠とした妄想みたいなものを広げていくとか。今ないものを作りたいというのは、僕の「突飛なことを言わなきゃいけない」という面とリンクしているのかもしれないですけれど。そういう幼児的万能感とか、幼児的空想感が、いまだにちょっと残留している感じがあります。

―永久機関を妄想する小学5年生…。

上田:具体的なオブジェクトというよりも、その裏側にある仕組みが好きなんですよね。なぜこれがこういう形をしているのかなと考えてしまう。ミクロに見ていくと、なぜ水はこうなのか、なぜ沸騰するのか、とか。もちろん科学的に解明されていることもありますけれど、解明されていない部分について、なんでだろうと考えてしまうんです。

で、そういう目で見た場合、すごく小さなものとすごく大きなものって、わりと同じ仕組みで動いているんだな、というのがなんとなく分かるんですよ。それをミクロの側から表現すると、単にミクロな視線を持っている人だなって思われる。でもマクロ、ものすごく大きなところから表現すると、「こんなでかい発想どこから来たのか」って思われる。実は微視的に見ていたりするんですけれどね。

今お話ししていて、僕の視点を表現するためには、そういう大きな建付けが必要かもしれないんだなと思いました。単に仕組みを知りたいだけなんだけれど、その仕組みをすごく大きなものに適用したことで、「太陽」っていう作品が成り立ちました、というような。ある意味、自分の視界の確かさを確かめるために、大きな建付けが必要なのかもしれないですね。

―うまい例えができませんが、量子のことを説明するために宇宙を語るとか、宇宙を語ることが量子を語ることにもなる、みたいなことというか。

上田:現象として見ると同じなんですよね。ただ、スケールが違うだけ。それを、小さなもののスケールで表現すると小さなものを書いているようになっちゃうけれど、スケールが大きなほうで表現すると、何か新しく見える。やりたいことがビビッドに伝わるんじゃないかなと仮定した気がしますね、言われてみれば。

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