話題作『ありえないほどうるさいオルゴール店』の瀧羽麻子さん「作家の読書道」インタビュー(WEB本の雑誌)

その3「作家コンプリート読み」

―大学は京都ですよね。大学時代はどうでしたか。

瀧羽:他のことに興味が向いて、読書する時間はそれほど多くなかったと思います。ただ大学の友達には結構カルチャー通が多くて、映画に詳しい子とか、美術に詳しい子とか、音楽に詳しい子とか、もちろん本好きもいて、彼らに薦められるままいろいろ読みました。オースターとかカポーティとかヴィアンとか、かっこいいなあと思いましたね。それまでの友達は、本は普通に読むけどめちゃくちゃ読書家というわけでもなかったので、好きな本を教えあうような関係ははじめてでした。
大学の図書館は専門書ばかりで、小説が少なくてがっかりしましたね。めぼしいのは全集くらい。その中でも比較的新しいのが、村上春樹全集でした。友達から「村上春樹くらい読んでいないと駄目だ」みたいなことも言われたので、そういうものかと読んでみて、素直にすごいなあと思いました。たまたま出身地が近くて、初期の作品には実家の周辺も出てきたりしたのもあって、予想していたよりは入りやすかったです。でも、年を追うごとに話がどんどん難解になって理解が追いつかなくなってきて、友達が熱く語るのをおとなしく聞いていました。
それから、大御所の女性作家の作品は、変わらず読み続けていました。高校時代から読んでいた江國さんや山田詠美さんに加えて、山本文緒さん、角田光代さん、小川洋子さんも好きでした。今でも新刊が出たら必ず読みます。

―それこそ、小川さんは芦屋の方ですよね。

瀧羽:『ミーナの行進』はまさに芦屋が舞台で、うちの家族も大好きです。それ以外の小説にも、阪神間の雰囲気を感じることがあります。

ひとりの作家に興味を持つと、とりあえず全作読んでみたいという意欲がわいてくるようになって、「長い物語を読む」時代から「作家コンプリート読み」時代に移行していきました。そうしたら、短篇もちょっとずつ面白く思えてきて。たとえば村上春樹作品でも、最初は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』や『ねじまき鳥クロニクル』といった壮大な長篇が好みだったんですけれど、今はむしろ『レキシントンの幽霊』とか、短篇集のほうが好きなくらいです。小川洋子さんの短篇も、すばらしいですよね。短篇でいうと、川上弘美さんも大好きです。昔は、物語が長ければ長いほど奥が深いと信じていたんですが、たとえ文字の量は少なくても世界が深く深く広がっている短篇が存在するということに、遅ればせながら気づきました。

―大学は経済学部でしたよね。本が好きだけど文学部ではなかったんですね。

瀧羽:本は漫画とかゲームなどと同じ「趣味」という位置づけで、勉強する対象とはとらえていなかった気がします。文学を学問としてやる発想がなかったし、実際、今も文学的なことはあまり分かりません。
理数科目がそんなに得意じゃなかったので、文系にしようと決めました。あと、卒業後の進路について考えたときに、私は気が小さいので、誰かの人生を決定的に左右してしまうような仕事は怖くてできないと思ったんです。それで、たとえば法学部は弁護士や裁判官、教育学部は教師のイメージがあって、なんとなく敬遠しました。経済学部の場合は、もちろんお金で人生は変わるけれど、直接ふれてしまう感じにはならないかなと思って選びました。
一方で、芸術に対する憧れも強かったです。自分がそういう素養のない人間だという自覚があったので。詳しい友達にあれこれ教えてもらって背伸びして、勝手に成長した気分になっていました。今思い返すと恥ずかしいです。

―サークルは何かやっていましたか。

瀧羽:スキーをやっていました。体育会系ではないんですが、意外に本気のサークルでした。冬はスキー場のシーズン券を買って、山にこもって、春がくるまで降りてこないという。私の人生で、最初で最後の体育会系的な経験です。でもそこで根性が叩き直されたので、結果的にはよかったです(笑)。雪山では、のんきに本を読んでいるどころではなかったですね。

―上下関係が厳しくて?

瀧羽:というより、忙しくて。肉体的にも精神的にも余裕がありませんでした。合宿や大会の期間は全員が集まるんですけど、それ以外のときは、一人か二人ずついろんなスキー場のペンションや民宿に住み込みさせてもらって、働きながら練習するんです。それまで私は偏食で好き嫌いも激しくて、ちょっと潔癖症ぎみだったんですが、そんなわがままは言っていられない。賄いの食事は残しちゃいけないし、客室やトイレの掃除もしなくちゃいけないし、お客さんには感じよく接しなきゃいけないし、いろいろな社会のルールに適合する必要がありまして。結果、一冬で偏食も潔癖症もすっかり矯正されました(笑)。

―そういえば、これまでのところ、全然「作家」という職業を意識する気配がないですね。

瀧羽:確かに! すみません。ただ大学時代には、私自身は書かなかったんですけれど、小説を書いている友達が何人かいました。時間が余っているせいか、そういう年頃なのか、自己表現っぽいことがしたくなるみたいで。で、みんな私が本好きと知っているから、「読んでみて」って渡してくるんですよ。自分の内面について吐露した、かなりヘビーな純文学っぽいやつを。「あ、小説って読むだけじゃなくて書くこともできるんだな」と気づいたのは、それがきっかけです。

その4「転職活動と並行して執筆開始」

―卒業後は就職されて。

瀧羽:勤め先は外資でしたが、日本本社が神戸にあったので、私は実家から通っていました。大学時代は、本なり映画なり趣味に熱中している友達が多かったんですけど、会社の同僚はまったくそういう感じではなかったです。読むとしたらビジネス書、というような。私自身も、社会人になって2年くらいは仕事で手一杯で、読書どころではありませんでした。それが3年目あたりから会社にも慣れて、少しずつだらけてきて、これでいいのかな、と違和感も持ちはじめて。家族も地元の友達もそばにいるし、住み慣れた土地だし、居心地は悪くありませんでした。ただ、この先もずっと同じ会社で働いていたら、一生がここで完結することになるかもな、とふと思ってしまったんですよね。私が飽きっぽい性格のせいもあるんですけど、このまま終わるのはなんかちょっといやだな、と。
それで、転職活動を始めました。しかもなぜか、並行して小説も書き始めて。今考えると、なにも同時にやらなくてもよかったのにと思いますが、とにかく焦ってたんでしょうね。なんとかしなきゃ、って。少しおおげさに言うと、人生を打開したかったのかもしれません。

―そこではじめて小説を書いてみた、と。

瀧羽:大学時代の友達で、小説を書いては投稿している子がいて、彼から聞いた中に、小学館の「きらら」という文芸誌の主催する掌編の賞がありました。毎月優秀賞が選ばれて誌面に掲載され、審査員の佐藤正午さんと盛田隆二さんが選評を書いて下さるというものです。確か、最長1000字までという条件で、携帯電話のメールで応募できるので手軽でした。その短さなら私にも書けるかもと思って、半分は賞金めあてで応募してみました。フィクションといえる文章を書いたのは、その時が人生初ですね。
それで1回賞をいただいて、編集部から「長いものも書いてみたらどうですか」と言われました。その気になって書こうとはしてみたんですが、長い小説って読むのは楽しいけど書くのは大変だという、当たり前のことにそこで気づきました。転職活動や、転職先が決まってからは東京に引っ越す準備もあって、100枚ほどで力尽きました。せっかくだからどこかに応募しようと考えたんですけれど、しろうとなので文学賞の知識もなくて。100枚もプリントアウトするのはしんどいなあ、どこかメールで受け付けてくれるところはないかな、とネットで探して見つけたのが、ダ・ヴィンチ文学賞でした。

―応募先を決めたのが、そんな理由だったとは。

瀧羽:不勉強で、本当にお恥ずかしい限りです。今思うと、業界のことも、文学賞のことも、何ひとつ分かっていませんでした。2007年の年明けに転職して上京したんですが、確かダ・ヴィンチの賞もその直後が締切でした。引っ越しを終えて、「あ、あれを送らなきゃ」とはたと思い出して、まだ段ボール箱の積み上がっている部屋で、床に置いたパソコンから原稿を送信したのを覚えています。
 新しい会社に入ってからは、前職とは全然違う業界だったのもあって、必死に働いていました。それから数か月経って、応募したこと自体をすっかり忘れていた頃に、私の小説が最終選考に残っていると連絡をいただいたんです。びっくりしました。当時はちょうど名古屋の案件の担当になって、ホテル住まいをしていたんですよ。そこへ突然電話がかかってきて、「賞を獲れるかどうかはまだわからないけど、私はこの小説を出版したいので1回お会いしましょう」って言われたんです。Iさんという女性編集者でした。私にとっては、小説家としての命の恩人です。

―命の恩人とまで思うというのは…。

瀧羽:あのとき、もし彼女に拾ってもらえなかったら、私はもう小説を書かなかったと思います。書いてみて、私はやっぱり小説を書くよりも読む方が圧倒的に好きなんだな、とつくづく実感していたので。仕事や、東京での生活や、他に考えなければいけないことも多すぎて、賞に応募したことすら忘れていたかもしれません。そう考えると、本当に感謝しかありません。

―その時に応募した『うさぎパン』でダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞してデビューが決まるわけですが、その前に担当編集者にお会いしていたんですね。

瀧羽:Iさんにお会いするまでは、出版社も知らないし、編集者も知らないし、読者としてしか小説の世界を知らなかったので、一から教えていただきました。彼女もすさまじい量の本を読んでいて、「きっと瀧羽さんはこの本好きだと思う」って、いろいろ持ってきてくれるのも、すごく嬉しかったです。「この人と一緒にいれば素敵なものをいっぱい教えてもらえる」って、そんなふうに思えるのは大学の時以来でわくわくしました。

―どんな本を教えてもらえたのでしょうか。

瀧羽:『パンドラの匣』(太宰治)、『わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい』(鴨居羊子)、『“少女神”第9号』(フランチェスカ・リア・ブロック/金原瑞人訳)、『マジック・フォー・ビギナーズ』(ケリー・リンク/柴田元幸訳)あたりが、特に印象に残っています。読んでみたらどれもこれも見事に好きで、「Iさんについていこう」とあらためて思いました。読むことが勉強にもなる、とも言われました。それに私はどうしても、書くより読むほうが好きで。ずっと原稿を書いたり自分のゲラを確認したりしていると、だんだんうんざりしてくるんです。そんな時に、誰かが書いてくれた面白い小説を読むと気持ちが晴れて、私もがんばろうという気力も湧いてくる。私のそういう習性もおそらく見越しつつ、育てていただいたと思います。

―自分の執筆中は他の小説を読むと文体が引っ張られるから読まない、という方も多いのに、瀧羽さんは違うんですね。

瀧羽:文体が引っ張られることはないと思います。でも使いたい言葉にぶつかる時はありますね。「この言葉って使ったことないなあ、どこかで使ってみたいなあ」と思って、それで執筆意欲を上げてまた書く、というサイクルです、私は。

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