話題作『ありえないほどうるさいオルゴール店』の瀧羽麻子さん「作家の読書道」インタビュー(WEB本の雑誌)

京都を舞台にした「左京区」シリーズや、今年刊行した話題作『ありえないほどうるさいオルゴール店』など、毎回さまざまな作風を見せてくれる作家、瀧羽麻子さん。実は小学生の頃は授業中でも読書するほど本の虫だったとか。大人になるにつれ、読む本の傾向や感じ方はどのように変わっていったのでしょうか。デビューの経緯なども合わせておうかがいしました。

取材・文/瀧井朝世 ―WEB本の雑誌「作家の読書道」2018年10月27日

瀧羽麻子(たきわ・あさこ)さんについて


1981年兵庫県生まれ。京都大学卒業。2007年『うさぎパン』で第2回ダ・ヴィンチ文学賞大賞受賞。その他の著書に『株式会社ネバーラ北関東支社』『左京区七夕通東入ル』『ぱりぱり』『サンティアゴの東 渋谷の西』『松ノ内家の居候』『左京区桃栗坂上ル』『乗りかかった船』『ありえないほどうるさいオルゴール店』などがある。

瀧羽麻子さんの作品はこちら

その1「2、3歳で文字をおぼえる」

―一番古い読書の記憶を教えてください。

瀧羽:私は記憶力がなくて、自分ではほとんど覚えていないんですが、母に今でも言われるのは『ノンタン』の絵本がすごく好きだったということです。2歳くらいのときに、読んでいるうちにひらがなを覚えたそうです。とにかく文字が好きな子どもだったらしく、3歳の頃には『ドラえもん』にのめりこんで、それで漢字を覚えたようです。『ドラえもん』は読み仮名がふってあるので、読めるようになったんだと思います。友達のお兄ちゃんとかお姉ちゃんが持っていたのを借りて読んでいたと聞きました。

―ご自身は、ご兄弟は?

瀧羽:妹がひとりいますが、そんなに本は読まないですね。でも父がかなり読書家で、実家に本は多かったです。壁が一面本棚みたいな家でした。隣に祖父母も住んでいたんですが、そっちにも同じような本棚がありました。私の本好きは、父方の血を継いだようです。

―では、小さい頃から相当いろいろ読まれていたんですね。

瀧羽:幼稚園や小学校の頃は、とにかく長い本が好きでした。あっさり終わる話だと物足りないというかもったいないというか、名残惜しい感覚があったのかもしれません。「ナルニア国物語」や「クレヨン王国」のシリーズ、ルパンやホームズ、文学全集なんかも読んでいました。子ども向けに易しく編集してある、日本文学全集や世界文学全集ですね。ドストエフスキーやスタンダールなんかも入っていて、子ども向けとはいえ、それなりに長くて。読破する達成感が味わえるのも、よかったのかもしれません。
学校の図書室の司書の先生が、本が好きな子がいて嬉しかったのか、いろいろ薦めてくれました。「ほらこの本、めっちゃきれいでしょ。誰も読んでないからね」とか言って。司書の先生とは仲良しでしたね。

―長ければどういう傾向の物語でもよかったのでしょうか。

瀧羽:母にも訊いてみたんですけど、「何でもいいから、本さえ読めれば満足していた」と言われてしまいました。名作系はどれも面白くないわけがないだろうという先入観もあったかもしれません。

―全集に入っていそうな長い物語といえば「ああ無情(レ・ミゼラブル)」とか「がんくつ王(モンテ・クリスト伯)」とか。

瀧羽:ああ、読みましたね。全集とは別に、『風と共に去りぬ』なんかもしばらく熱中した覚えがあります。
本を読み出すと止まらなくて、小学校の授業中にも続きが気になって、教科書の陰で読んだりしていました。歌の時間にも口をパクパクさせながら、こっそり。今思えば、先生も見て見ぬふりをしてくれていたんじゃないかと思うんですけれど、クラスの子に「先生、ちゃんと歌ってない人がいます!」とか告げ口されて、「めんどくさいなあ」とイライラして。私、小学校高学年が反抗期というか、たぶん人生で一番とがっていたんです(笑)。かわいげのない、生意気な小学生でした。細かいことは自分では忘れてしまっているんですが、当時の友達に会うとしみじみ言われます。本に没頭してしまうと、人の話をまるで聞いていなかったし、あと、なぜかランドセルを持ち歩くのもいやで、教科書やノートは全部机に置きっぱなしにしたまま、小さな鞄で登校していたそうです。本当に、当時の担任の先生に謝りたいです。おかげさまで、一応ちゃんと他人の話も聞ける、聞き分けのいい大人になりました(笑)。

―放課後は家に帰ってずっと本を読み続けていたわけですか。

瀧羽:いえ、授業がたいくつなので本を読みたくなってしまうだけで、放課後は普通に外で遊んだり、友達の家でゲームをしたりもしていました。うちの家はゲームを買わない方針だったので。ファミコン全盛期だったんですよね。ゲームボーイとかも出てきはじめて。でも友達の家でも、漫画を読みはじめて動かなくなることもあったようです。自分のうちに帰ってからも、本を読んでいるときは邪魔されたくなくて、食事に呼ばれても「うーん…」とか生返事で濁して。

―今、漫画にはまったというお話がありましたが、好きな作品などはありますか。

瀧羽:私の小学校では「りぼん」派と「なかよし」派がせめぎあっていました。もう少し後、中学・高校時代には、矢沢あい作品が爆発的に流行りました。学校ではもう、クラス中で回し読みしていましたね。あとはいくえみ綾さんも好きでした。漫画も、ものによっては相当長いじゃないですか。だから、私の「長い物語を読み通したい」欲も満たされるわけで。一気に読まないと気が済まないほうなので、ノンストップで、夜を徹して読んだりしていました。

―作文など文章を書くことは好きでしたか。

瀧羽:読むほうが断然好きでした。読書感想文では、本のあとがきとかを読んで適当に見当をつけて、「大人はこういうことを書いてほしいんでしょ」みたいに、斜に構えて書いていた気が。本当に、いやな子どもでしたね……。

その2「長い小説が好き」

―中学生時代も本は読み続けましたか。

瀧羽:中学から私立に通いはじめたんですけれど、さすがに授業をちゃんと聞かないとついていけないし、あとはまあ、友だちと遊ぶのが楽しいとか、本以外の楽しみに気が散るようになって、小学生のときに比べれば読書量は減っていたと思います。長い休み中とか、時間に余裕があれば読むくらいで、四六時中本が手放せない感じではなくなりました。ときどき、江國香織さんとか山田詠美さんのおしゃれな恋愛小説を読んで、「ああ、大人の恋って素敵」とうっとりしたりして。今思えば、恋愛の機微なんて分かりっこないんですけどね。
その頃から、父親の本棚を物色するようにもなりました。ただ、父はどちらかといえば小説よりもエッセイが好きなんです。しかもジャンルが偏っていて、建築が専門なのでそっち系とか美術系、あとはヨーロッパを中心に海外の旅ものや随想、あと食べ物関連も好きで。当時の私は基本的に長い長い「物語」が好きだったので、エッセイの魅力はよく分かっていなかったです。とりあえず文字を読みたい欲求を満たすだけで、大人の身辺雑記なんて興味がない。ノンフィクションに興味を持つには、人生経験が足りなかったんでしょうね。

―日本の小説というと古典、近代、現代によっても言葉や表現が全然違いますが、どれも好きでしたか。

瀧羽:現代ものが好きでした。古典も面白いなとは思うんですけど、今の日本語のほうが好きですね。

―授業の課題図書になりそうな、夏目漱石とかは…。

瀧羽:夏目漱石は家に全集があったので、読みました。谷崎潤一郎全集も。うちの本棚が偏っているので、偏りがありますね。

―『細雪』は長いからよかったのでは(笑)。

瀧羽:はい、長くて非常に満足しました(笑)。ああそうだ、長いといえば、『源氏物語』なんかも読みましたね。誰の現代語訳だったかな。今となってはあいまいな記憶しかなくて、なんだか悔しいですね。

―なるほど。長いといえば山岡荘八『徳川家康』とか吉川英治『宮本武蔵』といった歴史小説は…。

瀧羽:歴史小説だと、一時期、司馬遼太郎ブームがきて、ひたすら読み続けました。『竜馬がゆく』とか『坂の上の雲』とか、どれも長いですし(笑)。さっき例に出したような、女性作家の恋愛小説とは、題材も文体も全然違いますけど、その頃はまったく意識していませんでした。お話にのめりこめさえすれば、何でもかまわなかった。作品を読んで、自分に対して何か問いかけるとか、人生について思索にふけるとか、そういう高尚なこともなくて。欲望のまま、ご飯を食べるような感じでがつがつ読んで、読み終えたら忘れて、ただ純粋に物語を追うのを楽しんでいました。

―さきほどドストエフスキーとおっしゃっていましたし、『カラマーゾフの兄弟』など長い海外小説も読んでいたわけですよね。それこそ、長いといえばプルーストの『失われた時を求めて』は?

瀧羽:『失われた時を求めて』は大学生の時に挑戦して、途中で挫折しました。子ども時代のように、長い話を意味はよくわからないまま無我夢中で読み続けるということが、その頃になるとさすがに難しくなってきて。ある程度は分かりやすいものがいいなと思うようにもなりました。

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