WEB本の雑誌「作家の読書道」滝口悠生さんインタビュー

その3「進学せずに本を読む」

――高校卒業後から20歳くらいまでに読んだのは、他にどんなものがありますか。

滝口:夏目漱石をちゃんと読み始めたのもこの頃かなと思います。高校の頃に読むのってだいたい『こころ』とかじゃないですか。『こころ』はあまり好きじゃなくて、『三四郎』『それから』あたりの勢いのあるところから入って、『行人』とか『草枕』とか『彼岸過迄』とかを読みました。『草枕』が一番好きですね。外の場面が多くて明るい。

 太宰治も高校からこの時期にかけて読みました。その頃は長篇がいいなと思って読んでいましたが、最近になって短篇を読み返したらキレキレな感じで、すごく面白かったです。太宰は青臭いという印象が強くて遠ざかってましたが、ちょっと反省して読み直したりしています。あとはこの時期に安部公房もまとめて読みました。『砂の女』とか、作品集では『壁』が好きです。
 あと、これも19歳頃に読んだんだと思いますが、水上瀧太郎の『大阪の宿』という小説があります。僕が買ったのは岩波の古本で、今は講談社文芸文庫に入っているんですがもう在庫がなくて、もっと刷ってほしいのでいろんなところで喧伝してます。水上瀧太郎は戦後の「三田文学」復刊などにも関わった人なんですが、生涯勤めながら小説を書いていた人で、『大阪の宿』も実際に仕事で大阪に赴任した時の話です。舞台は土佐堀川沿いで、全篇酒を飲みっぱなし、酔っ払いっぱなし。芸者さんたちと延々とお酒を飲んで騒いでいて、滞在している下宿のいろんな人間模様も書かれていて、それなりに切実な話も出てくるんですが、とにかく万事酒で納めていくところがいい。僕は小説に宴会の場面をよく書くんですが、昨年この本を久しぶりに再読して、ああこれを読んでたからなのかもと思いました。ラストシーンも素晴らしくて、これはおすすめです。
 村上春樹もこの頃にひととおり読みましたが、一冊選ぶなら『ねじまき鳥クロニクル』。戦争中の、モンゴルの話がすごく長いのがいい。『海辺のカフカ』はちょうどその頃に出たのでリアルタイムで読みました。海外ものを読み始めたり、近所ではない古本屋に行きはじめたのもその時期で、村上春樹もそのきっかけのひとつかなと思います。

――海外ものでは何を。

滝口:ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』も読みました。ポーランドの話ですが、グラスはドイツ人ですよね。その頃知り合いに日本に留学していたセルビアの人がいて、ドイツ語の本を読んでいるというので教えてもらったんだと思います。印象に残っているのでは、カフカいろいろ。カミュの『異邦人』、『罪と罰』もその頃。この時期は手あたり次第に読んでいたので、記憶がごちゃごちゃしています。

――名作として読み継がれているものが多かったのですか。

滝口:聞いたことがあるな、という本も手に取るし、よく知らない作家の本もタイトルとかがピンときたらとりあえず読んでました。西荻の古本屋で買ったキイランドというノルウェーの人の短編集とか、よかったです。
 日本では少し前の時代のもの、内田百閒の『冥途』とか、梶井基次郎の『檸檬』もその頃でした。基本的に古本屋で文庫本を買っていたので、同時代の作家の小説に出会いにくくて、文芸誌などを手にすることもほとんどなかったです。同時代の小説で読んでいたのは町田康さんですね。ひと通り読んで、その影響も大きかったですが、町田さんもどちらかというと音楽から入って知ったので、まだ日本の現代文学にはちゃんと出会っていないという感じです。

――本を読む以外はどのように過ごしていたのですか。

滝口:音楽は中学の頃から好きでよく聴いていました。学生の頃も、本より音楽の方が好きでしたね。あとはアルバイトをして、貧乏旅行をしたり。『深夜特急』とか好きで読んでいたので、海外に行けばいいのに、国内ばっかりでした。バイクや電車で東北に行ったり、九州に行ったり。

――20歳くらいまではよく本を読んだということで、20歳以降は何があったのでしょうか。

滝口:いろんな本を読みながら、何か書くことはしたいけれど茫洋としていて。その頃に保坂和志さんの『カンバセイション・ピース』を最初に読んで、そこから他の小説や小説論のほうも読み始めて、長いものを書くことが自分の中で少し現実的に感じられるようになってきたんですね。それで文芸誌なんかも時々読むようになりました。高橋源一郎さんの小説論も同じ頃に出て、そのお二人の小説論が、自分が実際に書き始める時の手がかりとしては大きかったと思います。保坂さんは『小説の自由』で、高橋さんは『ニッポンの小説』。
 そういうのを読むと、小説だけでなくて、文芸批評の話が入ってきて、現代思想とか哲学とかの話にもなってくるじゃないですか。で、そういう入り口があるのかと思い、そっちの方面も読もうとなってくると、いきなりフランスの現代思想を読んでもよく分からない。それで勉強しようと思って大学に行ったんですよね。それが24歳くらいかな。

――しばらく学校教育から離れていて、そこから受験勉強をされたわけですよね。

滝口:そう。でも英語くらいですけどね。英語と小論文みたいな試験だったので。社会人向けの入試の枠があって、それはそんなに難しくなかったんです。今は学部の編成が変わってなくなってしまったんですけど、いい制度だったのになと思います。学びたくなってからも学べる、という門戸はもっと用意されていてほしいと思います。

その4「大学に入って新たに学ぶ」

――それで早稲田大学に行って、文学論の授業などを受講したわけですか。

滝口:そうですね。実作の授業もあったんですがそれは取らないで、概論的な講義に多く出ていましたね。周りが自分より若い子ばかりなので、友達とかはほとんどいませんでしたが、その分勤勉に学校に通っていました。池袋から1時間くらい歩いて大学に行って、授業に出て、池袋らへんをまた2時間くらい延々歩いて帰る。その時期が一番調子よかったですね。見たり、考えたり、本を読むのもとっても楽しかった。
 その頃は、リアルタイムに発表されている小説に目を向けるようになったのと、古典の哲学などを多く読みました。時間論に興味があったので、ハイデガーの『存在と時間』とか、ベルグソン、ドゥルーズとかも読みましたが、難しくて全部は読み切ってないものも多いですね。

 日本の小説では、横光利一の『機械』を授業で読んだことが大きかったです。近代文学の演習でたまたまこの本を発表する担当になったんですけど、読んだらめちゃくちゃ面白くて。横光利一は、他は正直あまり面白いと思えなくて、『機械』だけが変に面白い。何回読んでも分からないし、分からないんだけど面白い。その『機械』を10年くらい読んだという宮沢章夫さんの『時間のかかる読書』をあわせて薦めたいです。あとは保坂さんの本で知った小島信夫とか、中国の残雪という人の作品も別の授業で取り上げて何か発表したりしました。

――相変わらず古書店に通っていましたか。

滝口:はい。早稲田も古本屋が多いし。アナトール・フランスの『少年少女』もたまたま古本屋で見つけて読みました。アナトール・フランスが子ども向けに書いた短い話を集めた短編集なんですが、三好達治が訳をしていて、その訳も素晴らしいです。いろんな子どもが主人公なんですが、子どもが見たり考えたりしたことだけを言葉にしたみたいな文章で、大人用に均したり説明していないところが好きです。いまだに古本屋で見つけると買って、人にあげたりします。
 あ、つげ義春の話をしていませんでしたね。『ねじ式』などの漫画も好きですが、この人の文章もいいんですよね。温泉ものの旅日記とか、『つげ義晴とぼく』の夢日記とか大好きです。また日記の話ですね。

――授業の影響というのは何かありましたか。

滝口:音楽系の講義も取っていたんですけれど、音楽というより音や音響に興味があって、そういう本をよく読みました。ジョン・ケージとか。あとマリー・シェーファーという人の『世界の調律』という本。サウンドスケープという概念についての入門書的な本なのですが、環境音や騒音、人間の聴覚に関する概説や研究が引かれたもので、学術的な文献も多いけれどそんなに難しくはない。要するに音の聞こえ方の話と言えばいいですかね。散歩をたくさんしていた時に、視覚的にも面白いんですが、音の聞こえ方も面白いなと思い始めて、テープレコーダーで音を録音しながら歩いたりしていました。僕が最初に書いたのが「楽器」という小説なんですけれど、その関心がもろにそのままそこに繋がったという感じです。

――学生時代、小説は書いていたのですか。

滝口:まだそんなに本格的ではないです。書こうという気持ちがあって大学に行ったので書いてはいましたけれど、どんどん書いて応募する、みたいな感じではなかった。それで、三年大学に通って、だいたい大学の授業はこれでいいかなと思ったので中退しました。ある程度自力で読めるようになったし、もういいだろうと。

――そこがすごいなと思って。一応卒業しておこう、とか思わなかったんですよね。

滝口:それは全然迷わなかったですね。大卒資格が必要なところに就職しようとかも思っていなかったし。そもそも24歳になって大学に行った時点で経歴としてはもうまともじゃないわけだから、そこで今更卒業しようが退学しようが同じでしょう。そこはもう、どうでもよかったです。

――将来どうなるんだろうという不安はありませんでした?

滝口:ありましたけど、大学卒業しても解決するものではないし、今だって不安ですし。これをしておけば将来安心だ、みたいなことは昔から全然信用してないんですよね。といってゆるゆるとやっているばかりで、こんなんでいいのかなとも思いますね。しょうがないんですけれどね。

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