WEB本の雑誌「作家の読書道」滝口悠生さんインタビュー

野間文芸新人賞受賞作『愛と人生』や芥川賞受賞作『死んでいない者』をはじめ、視点も自在、自由に広がっていく文章世界で読者を魅了する滝口悠生さん。実は小さい頃はそれほど読書家ではなかったという滝口さんが、少しずつ書くことを志し、小説のために24歳で大学に入り学び、やがてデビューを決めるまでに読んで影響を受けた作品とは? その遍歴も含めて、たっぷりと語っていただきました。

取材・文/瀧井朝世 ―WEB本の雑誌「作家の読書道」2018年1月24日

滝口悠生(たきぐち・ゆうしょう)さんについて

1982年東京都生まれ。
2011年、「楽器」で新潮新人賞を受賞しデビュー。
2015年、『愛と人生』で野間文芸新人賞受賞。
2016年、『死んでいない者』で芥川龍之介賞受賞。
他の著書に『寝相』『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』『茄子の輝き』『高架線』がある。

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その1「忘れられない、ちょっと怖い絵本」

――いちばん古い読書の記憶といいますと。

滝口:本当に最初の頃でいうと、小さい頃の絵本などですよね。絵を描くのは好きだったんですが、絵本をたくさん読んだという記憶はなくて、どちらかというと同じ本を何度も繰り返し読んでいたように思います。いちばんよく憶えている絵本は『三びきのやぎのがらがらどん』。なんだか怖いし、自分からせがんで読んでもらったというわけではないと思うんですけれど、絵本というとこれが最初に浮かびます。ちょっと前に友達の子どもにあげる絵本を探していて読み直したんですが、設定が斬新! と思って。やぎが三匹いて、どこかに行く途中に怖い橋みたいなものがあって、下にお化けがいて…。僕はそのお化けが「がらがらどん」だと思ってたんですが、「がらがらどん」はやぎの名前で、しかも三匹とも「がらがらどん」という同じ名前という。読み返して、えー、と驚きつつ、そういえばそうだったかも、と。

――ああ、私もストーリーは忘れていましたが、「がらがらどん」という名前の響きは記憶に残っていました。

滝口:響きは残りますよね。ノルウェーの絵本なので、原書の名前がどうなのかは分からないですけれど。あとは絵。絵が結構暗い色調で、ポップじゃなくて、ちょっと怖い感じなんですよね。たぶん「がらがらどん」という音と、その怖い感じの印象が強くて、好きだったというわけじゃないのに憶えてるんだと思います。でもそうやって憶えているってことはたぶんいい本ってことだと思うので、今は友達に子どもができるとどんどんあげています(笑)。他の絵本はあまり憶えていなくて、一人で絵を描いて遊んでることが多かったと思います。車が好きで、車のチラシとかよく見ていました。

――チラシってことは、スポーツカーとか、消防車などではなくて…。

滝口:普通の国産車です。中古車屋さんのチラシにいっぱい車が載っているので好きでした。そのへんを走っている車の名前を全部言える子どもだったんですよ。今はまったく車に興味ないし、免許すらないんですけれど(笑)。あの知識はどこへ消えたのか。
 寝る時に父親が物語を話してくれる時に、車好きだったので、「桃太郎」とかもみんな車に乗っている話にしてもらって喜んでいた憶えはあります。「カローラに乗って犬がやってきて」といった話にしてもらってよろこんでいました(笑)。

――インドアな子どもでしたか。

滝口:一人っ子だったので、家で一人で遊べる感じの子どもでした。外でも遊びましたけれど、どちらかというとインドアだったかもしれない。

――小学校に入ってからはいかがでしたか。

滝口:小学校の頃はあんまり本を読みませんでした。いわゆる学校の課題図書的なものにあまり興味が持てなかったんですよね。漫画を読んだりテレビを見たり、友達と遊んだりはしていましたけれど、決して読書が好きな子どもではなくて、特に児童文学的なものを全然通ってないんですよ。ちょっとひねてて、親とか学校がすすめるものを遠ざけるようなところがありました。今思うともったいないんですけど、まあしょうがない。
 小学校4年生くらいの頃に、星新一の薄い文庫本を買ったんですが、それが自分で買ったはじめての文字だけの本でした。本屋さんの文庫本のコーナーに行ってうろうろ見て選んだんだと思います。たぶん当時は300円とか400円くらいだったので、お小遣いで買えたんですよね。角川文庫の『きまぐれロボット』で、当時は角川文庫の星新一の本は和田誠さんの表紙と挿絵が入ってて、その絵も好きでした。それで読んだら面白くて、そこから星新一の本は少しずつ買い集めて読みました。6年生の時に骨折して2週間くらい学校に行けなかった時があって、その時に古本屋で赤川次郎の本をまとめて買ってきてもらって読んだりもしましたね。この頃はまだ読書が広がっていくというより、絵本と同じで、手元にある本を繰り返し読んでましたね。あ、古本屋にもよく行って漫画を買っていました。

――新刊書店にしろ古書店にしろ。本屋さんには行っていたんですね。

滝口:本屋さんに行くのは好きでした。漫画も読んでいたし、雑誌もあるし、野球が好きだったので野球の本や雑誌も立ち読みしにいったり。あの頃はまだ漫画も結構立ち読みができた。実家の近くに2階建ての本屋さんがあって、レンタルビデオとか文房具も売っていたのでよく行っていました。もうなくなっちゃいましたが。

――野球が好きだったというのは、見る側ですか、やる側ですか。

滝口:両方です。小学校の頃は本を読むというより、野球をやったり見たりしていたんです。で、絵も描いていましたね。漫画みたいなものを描いていました。

――漫画は特に好きだった作品はありますか。

滝口:もう少し小さい頃ですけど『聖闘士星矢』が好きでしたね。大人になってギリシア神話とか読むと、これは『聖闘士星矢』のあれだな、とか思います。あと野球漫画は古いものも結構ひと通り読んだと思います。友達の家でお兄ちゃんのを借りて読んだり。「少年ジャンプ」の黄金期だったんですけれど、『ドラゴンボール』はあんまり読まなかったんですよね。なんか意固地なところがあって、自分が気に入ったものを支持して、他には手を出さないタイプだったんです。今思うとこれももったいなかったなと思います。もっと無邪気にいろいろ読んだらよかったのに、なんか自分を抑圧するところのある子どもでした。小学生の頃だと『SLAM DUNK』も人気がありましたね。一緒に野球やってた子が中学でみんなバスケに転向していきました。あとは、漫画ではないですけれど、さくらももこのエッセイ。

――『もものかんづめ』とか『さるのこしかけ』とか。

滝口:そうです。「ちびまる子ちゃん」のアニメが小学生の頃に始まって、子どもながらに画期的だなと思ったんです。漫画も読みましたが、少女漫画なのに男の子も面白く読めるし。それで、エッセイもすごくヒットしたんですよね。あのシニカルなユーモア、それもとても身近な題材で、というのは文章を読むことと、もしかしたら自分が言葉で何か書こうとすることの原体験かもしれないです。最初に好きになった星新一の作品も、またタイプは違いますけどシニカルなところがありますよね。ひねてたから、そういうところが好きだったのかな。清水義範さんのパスティーシュ小説なんかも読みましたね。『国語入試問題必勝法』とか。あとはいろんなエッセイとか日記。銀色夏生さんの日記とか。

――ご自身で日記をつけたりは? 作文などは好きだったのでしょうか。

滝口:日記はなにかを読んで自分でも始めるんだけれども、全然続かなかったです。文章を書くことは嫌いではなかったけれど、学校の作文はあまり好きじゃなかったし、上手でもなかったと思います。

――そうえいば、滝口さんは『愛と人生』で「男はつらいよ」へオマージュを捧げていますよね。小さい頃からよく観ていたんですか。

滝口:小さい頃の方がよく観てましたね。テレビで放送されたり、ビデオに録ったのを親が見ていたので一緒に。小学校の真ん中くらいになるともう観なくなるんですけど、小さい頃に繰り返し観ていたせいで内容は刷り込まれてるんですよね。その血が20歳ぐらいになって騒ぎ出してまた観始めることになるんですが、10代の頃はいったん遠ざかっていました。

その2「古本を繰り返し読む」

――中学生になってからは。

滝口:古本屋で100円で売っているミステリとか軽めの小説を買ってきて読むようになりました。あとは本屋で適当にタイトル買い、ジャケ買いですね。ミステリだとべたですがクリスティーとか。でもここでもちょっとひねくれていて、あまり他に手を広げないんですよ。本を沢山読む人って、1冊読んで気に入ったら同じ作家の作品をバーッと読んでいくのかもしれないけれど、ミステリなのに同じ本を繰り返し読んでいました。クリスティーなんていっぱい作品があるんだから、もっと読んだらよかったのに、と今になって思うんですが。
 『そして誰もいなくなった』と『オリエント急行殺人事件』が特に好きで、この2作は繰り返し読んでいました。文章も比較的やさしかった気がします。ミステリだからと言って繰り返し読めないわけじゃないんですよね。楽しめていたわけだから。『アクロイド殺し』を読んでちょっと難しいなと思って、「こっちをもう1回読もう」と言って『オリエント急行殺人事件』をもう1回読むという。

――絶対忘れられない犯人なのに(笑)。

滝口:そうですよね。何を考えていたのかな。中学生の頃は本に限らず、自分が何をしていたのかあんまりちゃんと思い出せないんですよ。さっき『SLAM DUNK』読んだ奴が野球からバスケに転向していったと言いましたが、そう言う自分は帰宅部で(笑)。無為に過ごしていた気がします。いいんですけどね、無為。
 中学の時に読んでいちばん印象に残っているのは、大槻ケンヂの『のほほん日記』ですね。帰宅部って感じしますね。でもこれはとてもいい本で、何度も読みました。バンドのごたごたとか、オカルトにはまったりとか、神経症になっちゃったりもするんですが、文章がなんというか真摯で、強がりも弱がりもしないところが好きでした。
 そうやって考えてみると、ミステリとか日記ばかりを繰り返し読んでいたわけですね。いろいろもったいない気もしますが、まったく無駄だったかというと、そうでもない気もする。今も小説に日記のモチーフを使ったり、日記のワークショップをやったりしているので。すごく遠回りだけれど進んではいた、と思いたいです。
 あ、でも中学生の時、1回だけ、すごく熱心に読書感想文を書いたことがあるんです。佐藤亜紀さんの『戦争の法』について。本屋で感想文を書くための本を探していて、「すごいタイトルだ」と思って手に取って読みました。難しくて、それをどう文章にしようかと悩んだんですが、同時にこれまで知らなかった興奮とかおもしろみも感じたんですね。いい感想文を書きたいというより、作品を読んでいろんなことを考えるのが楽しかった。答えとか結論に収まらない小説を読むというおもしろさに初めて気づいたのがその時だったのかなと。

――高校時代はもうちょっと記憶があるわけですか。

滝口:高校はいくらか記憶があります(笑)。でも、高校に入って再び野球を始めまして、本も読んでいましたが、引退するまでは読書にどっぷり浸かる感じではなかったです。高3で部活が終わった時期からガーッといろんなものを読み始めました。高3の冬に村上龍をまとめて読んだことが、当時の暗く不安定な気持ちと一緒に記憶されています。『五分後の世界』とか『ストレンジ・デイズ』とか『イン・ザ・ミソスープ』とか。『ラブ&ポップ』ももう出ていたかな。『限りなく透明に近いブルー』はもう少し後から読んだと思います。高校を卒業して20歳くらいまでの時期が一番本を読めた時期ですね。村上春樹もその時期にだいたいまとめて読みました。

――高校卒業後、すぐには大学に進学しませんでしたよね。どういう思いだったんですか。

滝口:進学する動機が見つからなかったんです。動機なしに受験勉強する気にはならないなあと思って、じゃあ行かない、と。高校に進む時も若干そういう感じはあったんですけれど、高校受験はそこまで難しくないじゃないですか。大学受験は行きたくもないのにやるには大変だよと思って、早々に降りたんです。

――大学に行かずにこれをやりたい、というのはありましたか。

滝口:漠然と何か書くことをしたいという気持ちはありましたが、どうしてそう思ったのかとか、当時どう考えていたかはもうよく分からなくなってしまいましたね。「これ」という明確なきっかけはなくて、いつの間にかそう思うようになっていった感じがします。でも、それを仕事にしたいとか考えていたわけでもなかったし、周りから見たらぶらぶらしてただけでしょうね。そのうちどうにかなる、と漠然と思っていました。
 習作みたいなものも書いてみたりしましたけれど、小説という意識はまだなかったし、若々しい、青臭いことを書いたり考えたりしていたはずです。お前恥ずかしいけど別にそのままでいいぞ、と当時の自分に言いたい。小説を書くのはずっと後、大学に行くくらいからですね。

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