4つの文学賞に入選、注目のデビューを果たした真藤順丈さん「作家の読書道」インタビュー(WEB本の雑誌)

その3「大学時代の作家読み」

―大学時代の読書生活はいかがでしたか。

真藤:大学で国文学部に入ったのもあって、ようやく小説を系統立てて読むようになりました。授業の課題というのもあったし、それがなくても文章の面白さにやっと開眼したんです。近代文学をいろいろ読みました。夏目漱石、太宰治、三島由紀夫、坂口安吾、「この人が書くものは面白い」となったら本屋に並んでいるものを端から読んでいく「作家読み」をするようになったのもこのころからだと思います。

―作家読みしたのはどの人ですか。

真藤:安部公房はすべて読みました。『砂の女』、『箱男』、『方舟さくら丸』、短編集の『R62号の発明』『水中都市・デンドロカカリヤ』が忘れられない。比喩や表現がとにかく面白くて、舐めるようにゆっくり文章を読んでいくのが心地良くて。だるいところやつまらないところがまったくなくて、前衛でありながらエンタメという面白さは、映画や漫画ではなかなか味わえないものでしたね。
 村上春樹も、現在に至るまで「作家読み」しています。『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』と『ねじまき鳥クロニクル』は分厚い上下巻がまるで苦にならない面白さで、小説ってすごいなと、こんなにどっぷり作品世界に入りこませてくれるのかと。筒井康隆さんにハマったのもこのころです。こちらの想像力を活性化してくれる作用があるというか。もっとも偏愛しているのは『驚愕の曠野』ですかね。
 そのあと純文学にカテゴライズされる作品から、エンタメ方向にも読書がひろがっていって。江戸川乱歩やスティーヴン・キングに行ったあたりから、ホラーや幻想怪奇といったジャンルが「主食」のようになっていきました。『IT』とか『シャイニング』は映画よりも原作派です。
それまでずっと海外小説って読めなかったんだけど、あれって読書筋のようなものがあるのか、つづけて本を読んでいるといつのまにかすいすい読めるようになるのね。で、それが嬉しくて、調子に乗ってビッグタイトルにも手を出していって。ガツンとやられたのはドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』。メインの話が父親殺しの兄弟たちの裁判で、枝葉末節だらけなのに面白く読めるのはどういうこっちゃ、と。「世界最高の小説」といったときに上のほうに出てくる小説はやっぱりなんかすごいから読んでいこうと思った。サルマン・ラシュディの『真夜中の子供たち』が面白くてマジックリアリズム系の作品を読んでみたり、あとはセオドア・ローザックの『フリッカー、あるいは映画の魔』。

―あ、「このミス」の1位も獲得した海外ミステリですよね。ミステリという感じではなかったけれど面白かった記憶が。

真藤:映画好きというのもあって、これは何度も読み返しました。B級ホラーばっかり撮っているのになぜか観客の視線を釘づけにする幻の映画監督の謎を、映画科教授の主人公が追いかけていくという。師匠筋の女性評論家とエロティックな関係になったり、オーソン・ウェルズやジョン・ヒューストンが出てきたりして、虚実が入り乱れながらハリウッド映画史の変遷が語られていくんです。実際に映画を観ているような心地にさせる精緻な描写が圧巻でして。『フリッカー』の中から拾った〝マグナムオーパス〟というラテン語(文芸・芸術における最高傑作、偉大な仕事といった意)があるんですが、要するにオールタイムベストみたいなことですが、僕にとってこの小説はまぎれもなくマグナムオーパスですね。
 あ、マグナムオーパスでいうと、また漫画の話に戻っちゃって恐縮ですが、新井英樹の『ザ・ワールド・イズ・マイン』。連載中から読んでいて、ちょっと比類のない衝撃を与えられました。今でもその脳震盪めいたショックが続いているような気がするぐらい。創作物としての破格の力が、ある種の呪縛めいたものにまでなっている。

―どんな話ですか。

真藤:モンちゃんとトシという連続爆弾魔がいて、それが本州を北に上がりながら次々と魔法瓶に仕組んだ時限爆弾を仕掛けていくんですね。どうやら梶井基次郎が本の上にレモンを置いて爆弾を仕掛けたつもりになるっていう、文学上の有名なエピソードから採られて「モンちゃん」と呼ばれているんだけど、実際は本名も来歴もわからない謎の男で。その一方で、北からヒグマドンっていう怪獣が下りてくる。その二つの勢力があるところでぶつかってカタストロフィになるんですけど、アメリカ大統領から日本の首相、自衛隊、世界中のテロ組織も巻きこむ驚異の展開が続いていく。暴力描写や非道徳性がすごく取り沙汰された作品だけど、本当にすごいのは国家首脳からそこらの暴走族、女子高生、小学生や幼稚園児、事件の被害者遺族に加害者の親、ヒグマドンに踏みつぶされる犠牲者まで全員にストーリーがあるところで。「あ、この人はモブなしで物語世界を作ろうとしている」と感じました。その徹底ぶりがすばらしくて、しかもどの人物も、人間臭いんだけどいとおしくて、そういうものは読んだことがなかったから圧倒されました。それって実はもっとも道徳的な創作の在り方なんじゃないかって。黙示録の部分だけをグーッと引き延ばして書かれた聖書のように思えましたね。

その4「映画制作から小説執筆へ」

―大学時代、ご自身でも映画を撮り始めたそうですが。

真藤:映画サークルというわけではなかったんですが、DVカムがあったのではじめは遊びで名作のパロディのようなのを撮りはじめて、すぐにオリジナルの短編や長編映画を撮って上映会をやるようになりました。初めて真剣に、創作意欲をワーッとぶつけたのは小説ではなく映画でした。

―演出ですか、脚本ですか。

真藤:自主制作の団体を起ち上げてからは、その時々でまちまちでした。アイディアをいろいろ寄せあって、他の仲間が監督脚本をやるときもあるし、僕がやったときもあるし。ふりかえってみればなかなか豊富な人材が揃っていたと思う。高校時代の連れが美大に行ったので、そのあたりの人間がたくさん入ってきて。舞台でコントをやっているやつもいたし、芸人志望もいたし、劇伴(映画音楽)を自前で作れるやつがいたし。今こうしてまがりなりにも僕が小説家としてやれているのは、このときのゼロから作品を創るという仲間との共同作業が、間違いなく最大の資源になってます。

―真藤さんも周囲に刺激を与える人間だったということでは。

真藤:いやそれが、俺のアイディアなんてほとんど採用されないんですよ。映画や小説には詳しいし、撮影のノウハウもあるけど、頭でっかちな感じで。美大に入るようなやつは感性が違うのかなとコンプレックスばっかり膨らんで、みんなを沸かせるアイディアが出せなくてしょげてました。このころに周りの連中に鍛えられましたね。すごく恵まれていたと思います。あのころの共同作業の熱は恋しいので、この話になるとノスタルジー全開で遠い目になりますね(笑)。
 
―その頃は映画監督志望だったわけですよね。

真藤:そうです。だけど映画は自主制作の常で、いろんなことが頭打ちになっていくんです。予算はないわ、人は辞めていくわで。僕は演出もしていたけど、脚本や編集のほうが得意だったんです。僕は今でも「推敲」からが小説の執筆だと思っているんですが、映画作りではその推敲がきかない。追加撮影はまずできないし、編集作業でも手元の素材でやりくりするしかない。脚本を書いていても台詞よりト書きのほうがどんどん筆が乗るし。それで大学時代にいくつか習作を書いてゼミの教授に褒められた体験があったので、自分のやりたいことを限界なしに表現できるのは小説だけなんじゃないかと思うようになって。さんざん悩んだすえに、一緒に旗揚げした連れに「おれは小説家になりたい、だから映画からは手を引く」って伝えて。ほとんど逃げ去るようにして辞めて、小説家志望の投稿時代になだれこみました。

―では、大学を卒業して、アルバイトをしながら映画を作ってきたのが、小説書きへと変わったわけですね。

真藤:就職はしたことなくて、映画関係で知り合った人に制作部とか助監督の仕事で呼んでもらってたんだけど、映画を抜けてからは飲食店のバイトだけに絞って。月10万ぐらいの稼ぎで、小説をひたすら読み、書くという生活を3年ぐらい続けました。

―その頃ってどんなものを読んでいましたか。

真藤:角ホと異形コレクション、それから海外小説が多かったですね。

―角ホ……あ、角川ホラー文庫のことですね。それはなんでしょう、自分が書けそうな分野だと思ったからなのでしょうか。

真藤:すでに乱歩とキングの洗礼は受けていて、それからサイコスリラー映画で人間の怖さを描いた物語にふれていて……ホラーは自分の嗜好からずっと外れていませんでした。ついつい手が伸びてしまうのは黒っぽい背表紙で。

―何かとりわけ好きな作品はありましたか。

真藤:角ホだと、貴志祐介の『天使の囀り』とか『クリムゾンの迷宮』とか。後に出た『新世界より』も世界観にひれ伏しました。日本ホラー小説大賞がらみのものはほとんど読みましたね。恒川光太郎の『夜市』、小林泰三の『人獣細工』『家に棲むもの』といった短編集がいまでも書棚の手に取りやすいところに鎮座しています。
 異形コレクションでは、平山夢明にやられました。平山さんといえば実話怪談や「映画秘宝」のコラムでその名を轟かせていたんですけど、僕は短編小説からその文章に触れました。そのころ書いていたものにもダイレクトに影響を受けちゃって、グロテスクとか鬼畜系とか評されていたけど、この人は誰も到達してない未踏の領域にまで突き抜けた本物中の本物だと思いました。デビューしてから知己を得て、勝手に弟子を名乗ったりして。今じゃ気さくにバラエティ番組とかにも出てますけど、街ブラとかやってますけど、『独白するユニバーサル横メルカトル』が刊行された当時は、僕の目には文壇でもぶっちきりでヤバい、小説界のハンニバル・レクターのように映っていたんですよ。平山さんは親分肌で面倒見が良いので、舎弟根性たくましい後輩の相手もしてくれて、それこそ『墓頭』を出すぐらいまではしょっちゅう貴重な指南をいただいていました。
 他にも当時は、人気作家の作品を濫読していました。宮部みゆき、高村薫、東野圭吾、恩田陸、京極夏彦、伊坂幸太郎、福澤徹三。島田荘司や歌野晶午といった本格ミステリにも手を出して。『葉桜の季節に君を想うということ』は大好きです。それから連城三紀彦の『戻り川心中』とか、泡坂妻夫の「亜愛一郎」シリーズをミステリの教材のように読んでいました。本格はすぐに「おれには無理だ」と思って諦めたけど。
このころ読んだなかで他にすごく影響を受けたり、いまでも仰ぎ見ているのは、町田康の『告白』『夫婦茶碗』、佐藤亜紀『戦争の法』、古川日出男『サウンドトラック』『ロックンロール七部作』『ボディ・アンド・ソウル』、中島らも『ガダラの豚』『永遠も半ばを過ぎて』、皆川博子『死の泉』『結ぶ』といったあたりです。こうして挙げるだけでも満天の星座を見上げているような、美酒に酔いしれるような気分になりますね。

著者 : 貴志祐介
角川書店(角川グループパブリッシング)
発売日 : 2000-12-08

著者 : 町田康
中央公論新社
発売日 : 2008-02-01

―この頃に読んだ海外文学ではどれがお好きだったのでしょう。

真藤:海外小説だと一番好きなのはコーマック・マッカーシー。『ブラッド・メリディアン』『血と暴力の国』『すべての美しい馬』。黒原敏行さんの訳文がまた最高なんですよ。翻訳者の名前で選ぶようにもなりました。柴田元幸訳ではポール・オースターとかデニス・ジョンソンの『ジーザス・サン』とか。とにかく文章に酔いたいんです。村上春樹訳でレイモンド・チャンドラーを読みかえしたり、マイケル・ギルモアの『心臓を貫かれて』に魂をわしづかみにされたり。

―『ジーザス・サン』はドラッグと日常と狂気の短篇種で、『心臓を貫かれて』は死刑囚の弟が、兄や事件、家族について書いたノンフィクションですよね。『冷血』みたいな感じの。

真藤:あれ、わりと家族愛の話でもあるんですよね。土地の因習や、強大な父性を超えようとした兄弟の絆の物語で、あの読書体験はデビュー作の一本になった『庵堂三兄弟の聖職』に反映されていると思います。

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