オール讀物新人賞、ポプラ社小説大賞優秀賞でデビューの小野寺史宜さん「作家の読書道」インタビュー(WEB本の雑誌)

その3「海外作家の短篇集が好きだった」

―すごいですね。

小野寺:話は戻って、高校生の頃は、やっぱり新潮文庫のいろいろな翻訳小説を読みました。スタインベック短篇集とか、「ハックルベリー・フィン」の影響もあるんでしょうけれど、マーク・トウェイン短篇集とか、そういう外国文学の短篇をいろいろ読むようになりました。その流れで、最近上岡伸雄さん訳で新訳が出たシャーウッド・アンダーソンの『ワインズバーグ、オハイオ』とかも、昔の訳で読みました。新訳も読みたいなと思っているんですけれど。これは結構好きだったんです。さきほどのホームズの街の話とかに繋がるんですけれど、これはワインズバーグという架空の街の話ですから。そこで連作の仲で登場人物がいろいろと重なって、ひとつの街を描いていくというのがすごくいいなと思っていました。長篇ですけれど、短篇の集合体。

―短篇集が多かったんですか。

小野寺:そうですね。これも今回気づいたんですけれど、やっぱり好きなのは短篇の人が多くて。僕も、最初に賞をいただいたのは短篇の賞であるオール讀物新人賞でしたし。
まず、ミニマムなものが好きというのがありますね。それと、とっつきやすいというのもある。短いスパンのものというか、短時間の出来事を写真のようにスパッと切り取るというのが面白いな、というのもある。長篇でも本当は、一晩の出来事とか、そういう短いものが好きなんですし、自分でもやりたいんですけれどね。ただ、この頃はそんなに短篇って意識していなくて、自然とそうなっていました。
高校の教科書に載っていた井伏鱒二さんの「山椒魚」を読んで、はじめて「教科書ってこんな面白いものを載せているんだ」と思い、これもまた新潮文庫の井伏さんの短篇集も読みましたし。高校の教科書で面白いと思った二つ目は梶井基次郎の「檸檬」でした。意味が分からないけれど面白いって思いましたね。「本屋の棚にレモンを置いてきた」というだけの話なのに、なんでしょうね、あの面白さは。
そうそう、これも椎名さん絡みなんですけれど、高校1年生の夏休みに、読書感想文の宿題がありますよね。それで椎名さんの「悶絶のエビフライライス」という、食堂で相席になった若い男とおっさんがもめて、割り箸とか刺して戦う、みたいな話があるんです。それで感想文を書いて提出したら、しばらくした後の授業で、「ふざけたことを書いてきた人もいましたが」みたいなことを言うので、「ああ、やばい、これは俺のことかな」と。結局、直接は注意はされなかったですけれどね。少しは何か言われるかなと思いましたが、そこまでの拒否反応が出るとは思いませんでした。

―大学は英文科に進まれたんですね。

小野寺:今でも全然英語は読めないし、書けないし、英検も持ってないんですけれど、ちょっと英語の成績がよかったし翻訳小説が好きだから英文科に行った、というようなものです。そこでデイモン・ラニアンとリング・ラードナーが好きになりました。
ラニアンはニューヨークのブロードウェイを舞台にした話を書く人で、それこそブロードウェイミュージカルの「野郎どもと女たち」っていう、“Guys and Dolls”というミュージカルの原作を書いた人です。原作といっても、大幅に書き換えられちゃっていますけれど。1930年代から40年代くらいのニューヨークのブロードウェイの街、日本でいうと銀座みたいな感じの街を舞台にした、小悪党とか競馬の予想屋とかコソ泥みたいな奴とか、どちらかと言ったら底辺にいる人たちを書いた、それこそ短篇専門のような作家。元新聞記者だったらしいです。昔、新潮文庫から『ブロードウェイの天使』という本が出ていて、それではじめて読みました。ラニアンはかなり好きなので、僕の『ひりつく夜の音』という小説にもちょっと名前を出していますね。

ラードナーは、これも最近新潮文庫さんの村上柴田翻訳堂で復刊した『アリバイ・アイク』っていう短篇集がありますね。ラードナーとラニアンは歳も1歳くらいしか違わなくて、ラードナーも新聞記者だったんですよね。で、やっぱり短篇の名手。ラードナーはいくつか長篇も書いていて、野球選手の一人称の語りの小説なんかも書いている。
なんでこの2人にハマったかというと、やっぱり一人称の口語体の語りがすごく面白かったからです。ラニアンは完全にほぼ全部一人称で、ラードナーは三人称のものもあるんですけれど。アメリカの一人称の短篇がとても性に合って、何回も読みました。
ラニアンの作品は、銀座の一丁目から八丁目くらいまでの狭いブロードウェイの街で起きる物語なんです。やっぱり場所の話が好きなんですよ。それならジョイスの『ダブリン市民』だって同じような感じですけれど、結局、それだけでなく、口語体の一人称がぴったりとはまった作品が好きなんです。
他にレイモンド・チャンドラーもちょっと読んでいたので、やっぱり自分は一人称が好きなんだなと思いますね。自分の小説もほぼ全部一人称ですから。三人称は基本、三人称で書くことに意味がある時以外は使わないようにしようと思っているので。

―ラニアンとラードナーは、どちらも翻訳者はどなただったのですか。

小野寺:加島祥造さんです。加島さんは『ハックルベリ・フィンの冒険』も訳されていたと思います。僕、先に言ってしまうと、大学の卒論もハックフィンで書いているんです。まあ、やっつけで書いた、しょうもない卒論でしたけれど。電車一本でも遅れていたら締め切り時間に間に合わなかった、というような適当な感じで、子どもの感想文みたいな内容でした。だから、その頃の大学の知人で僕が将来物書きになると思った人なんて、本当に一人もいないと思いますね(笑)。

その4「あの雑誌のあの欄に投稿!」

―大学生時代は、はやり英米文学が多かったようですね。

小野寺:そうですね。ちなみに学生の頃、雑誌の「ぴあ」がまだあって、映画を観に行くわけでもないのに毎週買って、それを読むことで東京の街を知るみたいなところがあって。

―都内の映画館の上映スケジュールはもちろん、イベントや美術展などいろんな情報が載ってましたものねえ。

小野寺:その「ぴあ」に、「はみだし」というのがあったのって分かりますか。

―分かりますよ。各ページの左右の欄外に、くすっと笑ってしまうような一文の投稿欄があったんですよね。「はみだしYouとPia」という名前でしたっけ。

小野寺:僕、ハミダシストなんですよ。

―えええっ!

小野寺:わりと後期ですけどね。大学を卒業してからなんですけれど、小説を投稿しても何にも引っかからない暗黒の時代が相当長くて、その頃に何か評価が欲しかったんでしょうね。「ぴあ」に葉書を出すようになって。相当、何回も載りましたよ。その頃は春風亭昇太さんが審査員的なことをやっていて。

―ああ、そういう時期がありましたね!

小野寺:昇太さんの賞に金昇とか銀昇とか銅昇とかあって、僕は全部あわせて20個近く獲っています。

―ちなみに、投稿する際のペンネームは……。

小野寺:「翻る蛭蛙」でした。

―あ、新刊の『夜の側に立つ』にも出てくる名前ですね。

小野寺:あんまり載るから、1年間ずっと続けて載るか試してみたことがあって。葉書にいくつもネタを書けるので、捨てネタも用意して「これは捨てて、こっちに食いつくだろう」というのを考えて(笑)、実際1年1号も空けずに続けて載った時期がありました。でも、最後はなんか面倒くさくなって、「今日で引退、蛭蛙」って書いて送りました。誰もそんなこと意識していなかったと思いますけれど。でも、そういうネタって、無駄を削って削って作っていくじゃないですか。わりと、なんらかの修行にはなっていたと思うんです。

―じゃあ、大学卒業後は、小説と「ぴあ」の投稿生活だったのですか。

小野寺:大学卒業後、一応就職したんですけれど、2年で辞めているんです。会社辞めた次の日に秋葉原に行ってワープロを買って、さすがにもう書き始めようと思いました。
それまではもう、いずれ書くけれど今書いてもたぶんロクなものが書けないなっていう思いがあったんです。でもそろそろやらなきゃダメだろうと思いました。でも、そこから長い暗黒時代が始まるんです。

―本格的に書いたのはそれが初めてでしたか。

小野寺:大学4年の時に僕、ニューオーリンズに行ったんです。卒業旅行みたいなものでした。それこそラニアンとかを読んでいた時期だったので、帰りの飛行機の中で旅のことを一人称小説風にガーッと書きました。それがもしかしたら本当の意味での最初の創作だったかもしれません。まあ、厳密には金髪のルーシーが最初なんですけれど(笑)。

―創作では最初から、現代人が主人公のリアリスティックな話を書かれていたのですか。

小野寺:そうですね。最初の頃は話し言葉を書き言葉に置き換えることに意義があるような気がして、全部そのスタイルで書いていました。勘違いといえば勘違いなんですけれど。無駄なことを長くやってました。でもそれから別の小説をいろいろ読むうちに、「それではダメなんだ」とは分かってきたので。

―その頃、どんな本を読んでいたのですか。

小野寺:さきほど『ひりつく夜の音』にラニアンの名前を出したといいましたが、同じアルゼンチンの作家、フリオ・コルタサルもそうです。岩波書店から出ている短篇集が好きで何回も読みました。これもその小説にちょっと書いているんですけれど、コルタサルは日常の中に急に非日常をポンと落とし込んでくるところがあって。

―いわゆるマジック・リアリズムですよね。別にあえて不思議なことを書いているのではなく、本当にそういうことが起きるのが日常だというふうに書いている。

小野寺:はい、やっぱり本当の日常の中で描かれているところに惹かれましたよね。あとは、カフカでは『城』が好きでした。短篇集が好きだというなかで、あれは唯一、長篇といえば長篇ですよね。

―そうですね。城に雇われてやってきた測量士が、どうしても城にたどり着けないという。

小野寺:あれは未完の長篇ですけれど、あの先が続いたとしても、きっと城にたどり着けない。もし「はい、たどり着いて測量しました。終わり」ってなったら、そっちのほうが度肝抜かれますよね(笑)。
他には、安部公房、中上健次とか。宮沢賢治からはわりと、表現的なことを学びました。学んだというほどではないけれど、「オツベルと象」の「のんのんのんのんやっていた」とか。わざわざ難しいこと書かなくてもいいなという意味で。安部公房は『砂の女』とか『燃えつきた地図』が好きで、『壁』とか『箱男』ほど日常から離れすぎないところがよかった。中上健次も読みましたね。一時期は、自分も中上っぽいものを書いていましたね。なんでだか分からないけれど。
海外小説だと、ジャック・ケルアックや、その流れでチャールズ・ブコウスキーとかポール・オースターも読みました。ケルアックとオースターはちょっと違いますけれど。ラニアンとラードナーみたいな柔らかい感じのものと、コルタサルとカフカみたいな全然違ったものと、両極端なものを読んでいたことになりますね。
カフカとかって、読んでいると常にさわさわする感じで、それがいいですよね。その読んでいる時の感じというのがすごく重要で、それこそラニアンでもコルタサルでもそうなんですけれど。音楽って、すでにどんな演奏がされるか知っているのに好きな曲なら何度でも聴きたくなるじゃないですか。そういう小説を書きたいんですよね。読んでいる瞬間が楽しい、文字を追っている瞬間が楽しい、みたいなものが書きたい。今回、自分が読んできたものを振り返ってみて、読むのもそういうものが好きだったんだなと気づいて、納得しました。

―短篇を繰り返し読む場合は、最初から最後まで読むわけですよね。この部分だけ、というのではなくて。

小野寺:はい。最終行まで読んですぐにまた最初に戻って読んだりします。でも読書記録などもつけていないし、読んだことを忘れる時もありますね。間違ってすでに読んだことのあるものを図書館で借りちゃった、というパターンはよくあります。

―分かります。案外、夢中になって読んだものでも、忘れちゃいますよね。

小野寺:登場人物の名前なんて、本2冊読んだら1冊前のことなんて忘れてしまうじゃないですか。だから、人が僕の作品の登場人物の名前を憶えているわけがないのも分かるので、インタビューなどで登場人物のことを説明したりするのが心苦しいんです。

―いやいやいや、そこは堂々としていてください(笑)。でもそうですか、でしたらこの賞に応募するんだったらどういう作品が受賞しているか過去作を研究する……といった読書はしなかったんですね。

小野寺:そういうことはまったくしなかったですね。対策というものはまったく考えなかった。むしろ「この賞にこういう小説送ってどうするんだ」っていう感じだったと思います。

―ご自身でジャンル的なこだわりや好みはなかったのですか。

小野寺:そこは変な欲というか色気はありました。どうしても書き始めの頃って、多少純文学に対する意識があるんですよね。でも、たしかリング・ラードナーの文庫解説に書かれていたんですけれど、ヴァージニア・ウルフが、野球の小説ばかり書いていたラードナーを評して「自分がシェイクスピアとどんな関係にあるのかをまったく意識していないところがいい」みたいなことを言っていて……うろ覚えなんですけれど。まあ、そういう趣旨のことを言っていたことに非常に助けられました。別にそんなもの意識しなくていいんだな、難しいものを書く必要もないし、って。そもそも純文とエンタメとか分ける必要もないじゃないですか、別に。だから、ヴァージニア・ウルフが良いこと言ってくれて、非常に気が楽になりました。

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