オール讀物新人賞、ポプラ社小説大賞優秀賞でデビューの小野寺史宜さん「作家の読書道」インタビュー(WEB本の雑誌)

2006年に短篇「裏へ走り蹴り込め」でオール讀物新人賞、2008年に『ROCKER』でポプラ社小説大賞優秀賞を受賞してデビューした小野寺史宜さん。「みつばの郵便屋さん」シリーズなどで人気を得、今年は孤独な青年と人々とのつながりを描く『ひと』が話題となった小野寺さん、実は小学生の頃から作家になることを意識していたのだとか。その背景には、どんな読書遍歴があったのでしょう?

取材・文/瀧井朝世 ―WEB本の雑誌「作家の読書道」2018年8月25日

小野寺史宜(おのでら・ふみのり)さんについて


1968年、千葉県生まれ。2006年「裏へ走り蹴り込め」で第86回オール讀物新人賞を受賞。2008年『ROCKER』で第3回ポプラ社小説大賞優秀賞を受賞し、単行本デビュー。他の著書に『ひりつく夜の音』『リカバリー』『ひと』『それ自体が奇跡』『本日も教官なり』『太郎とさくら』「みつばの郵便屋さん」シリーズなど多数の著作がある。

小野寺史宜さんの作品はこちら

その1「子どもの頃から街の描写が好き」

―一番古い読書の記憶といいますと。

小野寺:たぶん幼稚園の頃だと思うんですが、『ぐりとぐら』の絵本ですね。それはやはり、あの大きな「かすてら」の絵の印象が強いからだと思うんですけれど。借りたのではなく、家にあった気がするので、たぶん母親が買ったんでしょうね。
小学校低学年になると、ポプラ社さんとか偕成社さんの伝記のシリーズを読みました。装丁でひと目で分かるので、出版社名も憶えていましたね。なんでそんなに伝記が好きだったのか分からないですけれど、まあ読みやすかったんでしょう。エジソンとかワシントンとかリンカーンとか、豊臣秀吉とかベーブ・ルースとか。ちょっと見てみたら昔よりは伝記シリーズの数が少なくなっているような気がしましたが、昔はいろんな人の伝記がありましたよね。今は漫画の伝記のほうが増えているのかもしれませんが。僕の頃は秀吉とか信長とか家康の伝記は当たり前のようにあったので、それで歴史関係のものが好きになった気がします。まだ小学生でしたけれど、神社とかお寺といった建物など、歴史を感じさせるものが好きだったことを思い出しました。

―千葉のご出身でしたよね。近所になにか有名なお寺があったりとか?

小野寺:いえいえ。僕、生まれは松戸市で、途中から市原市に引っ越して、最終的には千葉市にいました。近所には有名なお寺などはなかったけれど、木の祠とか、そういうものがある感じが好きでした。そこから、城を含めて、街みたいなものが好きになっていったんだと思います。

―歴史関連の本や図鑑を読んだりするようになったのですか。

小野寺:そうですね。子ども向けでもちょこちょこあるんですよ。豊臣秀吉絡みでも蜂須賀小六が主人公の話とか。ただ今考えれば、そういうのを読んでいたのも、歴史どうこうよりも、街の感じが好きだったからだと思います。

―文章を読むことが好きな子どもでしたか。

小野寺:はい、母親がわりと本を与えてくれていたんでしょうね。移動図書館にも行って、本を選んでいた記憶があります。誕生日プレゼントも「本を何冊」にしてもらっていましたね。だから僕、ゲームとかを買ってもらったことがないです。
家の近所の小さい本屋にも行きました。そこにソノラマ文庫の、小中学生向けのSFのジュブナイルのようなものがわりと揃っていたので、小学校高学年になるとその中から適当に選んで読んでいました。「宇宙戦艦ヤマト」の小説版みたいなものもあったと思いますが、それよりも日常の中で少し不思議なことが起こる話を選んでいた気がします。だから、この頃から本を買っていたんですよね。そこから派生して読むようになったのが、新潮文庫ですね。

―出版社名やレーベル名をちゃんと認識してらしたんですねえ。

小野寺:新潮文庫は栞代わりの紐、スピンがついているじゃないですか。それに、ルパンとかホームズとかもあったじゃないですか。当時は値段も安かったし、買いやすかったですね。ホームズとかも刊行されているものは割と読んでいたと思います。で、これも結局何が好きだったのかというと、キャラクターとかよりも、ロンドンの街とかが出てくるあの感じが好きだったんだなと、高校生くらいの時に気づきました。だからなのか、ルパンよりホームズのほうが好きでしたし。それと、僕の世代だと星新一さんの文庫は手に取りやすくて読んでいましたね。そこでソノラマ文庫のSFとはまた違う、SFに触れていました。だから小学生のうちに歴史と推理とSFは一通り読んでいたことになりますね。

―ああ、エンタメの基本を。

小野寺:ほかには『トム・ソーヤーの冒険』や『ハックルベリー・フィンの冒険』とか、『十五少年漂流記』とか『ドリトル先生航海記』といった、世界の名作もいろいろと読みましたね。必ずしも本ばかり読んでいる奴ではなくて、草野球などもしつつ、本もよく読んでいたなっていう。

その2「はじめて読んだ大人向け現代小説は」

―文章を書くことはいかがでしたか。

小野寺:今回思い出したんですけれど、僕、小学校の4年か5年の頃に週1回の校内クラブで創作文クラブみたいなものに入っていたことがあって。半年に1回変わるんですけれど、人気のあるクラブに入れなくてそこを選んだんだと思うんです。担当は女性の先生で、他に生徒は4人くらい、僕以外みんな女子で。一応創作クラブなので、書くわけです。わりと本は読んでいるほうなので結構いけるだろう、と調子こいて探偵小説みたいなものを書いたんです。しかも、外国の小説を読んでいるから、私立探偵で金髪の秘書のルーシーだか何だかがいるという設定で(笑)。そうしたら女子にはポカーンとされ、先生にはちょっと嫌な顔をされた感じがあったのを憶えています。「これは褒められんじゃね」くらいに思っていたのに「ああ、そうですか」みたいな感じで。

―え、なんででしょう。殺人事件を起こしたんですか。

小野寺:殺人は自重したかもしれないですね。ですが、「なんだよ秘書って」というような反応でした。それとは別に、お楽しみ会では自分で話を作って紙芝居をやったりしていましたから、話を作るのは好きだったと思います。

―作家になりたい気持ちは小学生の頃からありましたか。

小野寺:ありましたね。なる自信があったという意味ではなくて、たぶん、作家くらいしかないだろうという気持ちでしたね、傲慢なんですけれど。「だって他にやりたいことないし」みたいなふうに、漠然と思っていました。漫画家と言っていた時期もありましたが、それはカモフラージュというか、美味しいものは後にとっておく、みたいな気分で(笑)。というわりに、実際に小説を書き始めるのは遅いんですけれど。

―漫画もよく読んでいたのですか。

小野寺:人並には読んでいたんですけれど、そんなにハマったものはなくて。唯一これは好きだったなというのは『マカロニほうれん荘』ですね。知ってます?

―知ってますよ! 高校生が主人公の、はちゃめちゃなギャグ漫画でしたよね。なんでしたっけ、きんどーちゃんとかいましたよね?

小野寺:金藤日陽です。女性言葉を使う40歳男性ですが落第を繰り返して今も高校生だという。すごい漫画ですよね、今考えると。他にもいろいろ流行した漫画もありましたけれどあまり興味がわかなくて、これがはじめて完全に好きになった漫画ですね。中学校ではどの教室の後ろにもあだち充さんの『タッチ』が並んでいましたけどね。『タッチ』を介して仲良くなる男女がいたりとか、そういうのがちょっと気持ち悪いって思っていました。何かそれをダシにしているような、作為的なものを感じて(笑)。

―(笑)。小野寺さん、硬派だったんですか。

小野寺:なんでしょうね、あの感じがダメでしたね(笑)。

―では、中学生になってからの読書生活は。

小野寺:そのまま時代ものと推理ものとSFを並行して読みつつ、ちょっとずつ読むもののレベルが上がっていったように思います。
中学2年か3年の時には、椎名誠さんの『わしらは怪しい探検隊』に出会うんですけど、これを読んだ流れで椎名さんの他の小説も読むようになりました。だから、はじめてちゃんと読んだ大人向けの現代小説は椎名さんかもしれません。この時はじめて、小説の単行本を買ったんだと思います。結構高いなと思いつつも、まだ文庫になっていない頃だったので。「怪しい探検隊」にはそれこそ目黒考二さんというか北上次郎さんが登場しますよね。だから今になってみると、すごく不思議な感じですよね。あの頃読んでいた北上さんが、今僕の本を読んでくれて書評とかを書いてくださっているのって。
これもたまたまなんですが、僕は昔結構プロレスが好きで、大学生くらいの時に全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦というのがあって、その最終戦の招待券をもらったので、日本武道館に見に行ったことがあったんです。招待券なので受付で指定席券に替えてもらうんですけれど、そうしたら隣が椎名誠さんだったんです。ちょうど前後して指定席券に引き換えたということだと思うんですよね。おお、これはすごいなと思って、ブルーザー・ブロディとかジミー・スヌーカとかスタン・ハンセンを見ながら、椎名さんのこともちょっと(笑)。さすがにプライベートで来られているんでしょうから、話しかけることはできなかったです。これも今考えるとすごい偶然だなと思っています。

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