WEB本の雑誌「作家の読書道」奥田亜希子さんインタビュー

その3「文章に惹かれた短篇集」

―高校時代の読書はどうでしょう。

奥田:引き続き漫画とライトノベルにハマっていました。もうすぐアニメ化する上遠野浩平さんの『ブギーポップは笑わない』が流行っていたころですね。

時雨沢恵一さんの『キノの旅』や賀東招二さんの『フルメタル・パニック!』、志村一矢さんの『月と貴女に花束を』、冴木忍さんの『天高く、雲は流れ』、高畑京一郎さんの『タイム・リープ』や『ダブル・キャスト』、榎木洋子さんの『龍と魔法使い』が印象に残っています。

キノの旅 the Beautiful World (電撃文庫 し 8-1)

著者 : 時雨沢恵一

KADOKAWA/アスキー・メディアワークス

発売日 : 2000年7月10日

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他は田中芳樹さんの『創竜伝』、赤川次郎さん、東野圭吾さんや宮部みゆきさん。この辺りは親の影響ですね。一般文芸の中でもエンターテインメントやミステリみたいなものを読むようになりました。
忘れられないのが山本文緒さんの『シュガーレス・ラヴ』という短篇集です。どれも大きな起承転結のある話ではなくて、人の心が書かれているだけなのに、それがすごく面白い。こういう本もあるのかとびっくりしました。文章に美しさを見つけたり余白を読んだりする感覚は、この時に知ったような気がします。山本文緒さんはかなり読みました。今も好きです。高校時代の読書の中では、ここが一番、今に繋がっているような気がします。
高校では図書係に就くことが多かったんですが、年に1回か2回、先生が私達を連れて書店に行って、片っ端からカゴに本を入れていい、という日があったんですよ。

―夢のようですね。

奥田:私たちの代で図書室にライトノベルを充実させました(笑)。創作活動は、友達と共通の世界観でライトノベルを書いたり、漫画やイラストで二次創作をしたりしていました。地方の同人誌即売会に出たこともあります。部活は美術部でしたが、ほぼ幽霊部員でした。家にネットが繋がって、部活どころではなくなったんです。イラストを描いてアップしたり自分のホームページを作ったり、好きな漫画家のファンサイトに出入りするようになって。実はそこで知り合った人と結婚しています。

―へえ! 高校時代にネットで知り合った方とその後結婚したということですか。そっちの話に興味津々なんですが(笑)、会える距離に住んでいた人だったんですか。

奥田:いえ、千葉の人です。高校1年生か2年生のときに知り合って、3年生から付き合い始めたので、遠距離恋愛でした。それで、大学卒業後は千葉で就職したんです。

―大学は愛知大学ですものね。

奥田:はい。大学に入るとバイトを始めたこともあって、生活が大きく変わりました。読書量も減りましたね。そんな中で東野圭吾さんや宮部みゆきさんを引き続き読み、あとはドロドロした恋愛ものに惹かれて、小池真理子さんのような、ずっしりくる本を手に取るようになりました。京極夏彦さんに出合ったのも大学でした。友人に薦められて佐藤愛子さんの『血脈』を読んだり、宗教学の課題で遠藤周作の『沈黙』を読んだりもしましたね。高校生のときに授業で読んで結末は知っていたんですけれど、あれってひどいネタバレですよね。夏目漱石の『こころ』も教科書では冒頭から中盤まで大きく省かれている。何も知らずに頭から読んでみたかったです。

『沈黙』の面白さは衝撃的でした。神様をどう定義するかという話であり、人の心の揺れが綿密に書かれていながら、エンターテイメントの要素もある。「彼だけは大丈夫」と言われていた神父がなぜ転んだのか。その謎に物語が引っ張られている。本当に全部がある小説だと思いました。
それと、大学生の時に大河ドラマ「新選組!」が始まり、それを機に新選組にちょっとハマりました。司馬遼太郎の『燃えよ剣』や浅田次郎さんの『壬生義士伝』を読みました。この頃に村上春樹さんや森博嗣さんにも出合いました。でも私、人に薦められた作家の1作目がうまく選べないんです。村上さんは、まず手に取ったのが『アフターダーク』で、他の村上さんの作品とは少し違うじゃないですか。森博嗣さんも人気シリーズの作品ではなく『どきどきフェノメノン』を選び、米澤穂信さんは『遠まわりする雛』で、これはシリーズ途中の短篇集なんですよね。「なぜそこから!?」と言われることが多いです。

遠まわりする雛 (角川文庫)

著者 : 米澤穂信

角川書店(角川グループパブリッシング)

発売日 : 2010年7月24日

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―大学では何を専攻していたのですか。

奥田:東洋哲学です。家から通いやすいということで愛知大学を受験したんですが、私が行きたかった日本文学科は偏差値が高くてどうしても受からず、哲学科に入りました。でも、その哲学の授業がすごく面白くて。最初の講義で先生が、帽子をかぶったままの男の子に「君なりの哲学があって帽子を被っているのかな」って訊いていて、「やばいところに来た」って思いました(笑)。
専攻は東洋ですけれど、西洋哲学もサラッと学ぶんです。その西洋哲学が面白くて、ソクラテスの対話篇も自主的に読みました。

その4「『好き』と思った作家たち」

―大学生の頃は創作はしていましたか。

奥田:小説は書いていませんでした。ただ、テキストサイトが流行っていて、自分も面白いブログが書きたいと思い、そういうことはやっていました。高校生の頃に自尊心をだいぶ削られたので、作家というのはすごく頭のいい人か特殊な経験のある人しかなれないに違いないと考えるようになっていて、この頃はもう目指してはいませんでした。就職して生きていくつもりだったんです。それでも文章を書く仕事に憧れはあったので、フリーペーパーを発行している会社に入りました。営業職で採用されたんですが、自分で採ってきた広告の文章は作れたんですね。そこで1年間働きました。

―就職で千葉に移られてからは、どのような読書を。

奥田:最初に住んだ行徳の図書館は借りられる冊数が無制限だったんです。それに感動して図書館も使いつつ、1年に100冊か150冊くらい読んでいました。
この頃、同期の家に島本理生さんの『リトル・バイ・リトル』や、山田詠美さんの『ぼくは勉強ができない』、角田光代さんの『だれかのいとしいひと』があって、借りて読んだらもう、「これ好き!大好き!」となって。今でも好きな作家に出合わせてもらいました。特に『だれかのいとしいひと』の中の「転校生の会」という短編。主人公が転校経験の多かった恋人から、「転校を経験したやつとしないやつじゃ、決定的に何かが違う」と言われるんです。「私のためにある小説だ」と心底思いました。今でも思っています。角田さんも転校したことのある人かと思っていたらそうではないと知って、その手腕にもう、本当にびっくりしました。

大崎善生さんも同期に薦められて『アジアンタムブルー』から読み始め、作品はほぼすべて読んでいます。村上春樹さんもこの頃からちゃんと読むようになって、今では新刊を心待ちにしている作家の一人です。2009年以降は、読んだ本の記録は全部つけていますね(と、ノートを取り出す)。

―タイトルだけなく、感想も記しているのですか。

奥田:タイトルだけでは内容が思い出せないので、一時期は1行だけ感想を書いていました。でも、今読み返したらすっごく偉そうなんですよ。「この重たい設定なら、もっと面白くなった気がした」とか。タイムスリップして、全力で自分の頭を殴りたいです(笑)。

―創作活動を再開したのは、何かきっかけがあったのですか。

奥田:フリーペーパーの広告を作っていて、最初は「反響があったよ」と言われると、自分の文章を読んでお店に行きたくなった人がいるんだと嬉しかったんです。でも広告は、クライアントが伝えたい情報のまとめなんですよね。段々と、「もっと好きに文章を書きたい」って考えるようになりました。それとその頃、まったく面白いと思えない本を読んで、小説って誰でも書いていいのかなと思いました。その本のタイトルは憶えていないんですけれど。

―なんと。どの本だったのか気になります(笑)。

奥田:本当に思い出せないんです。それに、その時の私にとって面白くなかっただけで、誰かの心には刺さる本なんだと思います。仕事を辞めたのをきっかけに、今に繋がるものを書き始めました。そこから投稿生活が始まります。1年間に150から200冊ほど読みながら、1、2作を投稿するという生活を6年半続けました。

―読むのは速いほうですか。

奥田:だと思います。速い方で、憶えていられない方。内容をすぐに忘れちゃうんです。特に固有名詞が憶えられないんですよ。私はたぶん、字の形でふんわりと記憶しているんです。木へんで画数が多い文字が一文字目の人名、みたいに。音で自分の中に入れていないから憶えられないのかもしれません。
この頃は濫読でした。それは、自分の書くものが純文学なのかエンターテインメントなのか分からなくて、どちらにも応募していたからだと思います。

―そう、読書遍歴をうかがうと、エンタメの賞に応募してそうなものなのに、奥田さんはすばる文学賞受賞ですよね。

奥田:最初は「小説宝石」の新人賞に応募したんです。角田光代さんが選考委員だったので。その後それに手を入れて、なぜか「群像」に送りました。それが二次選考を通った時から純文学を意識し始めたように思います。一度、「群像」で最終選考に残ったんですけれど、「この書き手はエンタメ向きだ」というような選評をいただいて、「ほうほう」と思ってエンターテインメントの賞に応募したらほとんど通らない。いつどこに応募したのか記録をとっていないので分からないんですが、すばる文学賞も1回目の投稿では受賞していないと思います。

―ご自身はジャンルのこだわりはまったくなかったということですね。

奥田:なかったです。ジャンルも決まっていなかったし、傾向と対策を考えて書くことは絶対にしないと決めていました。書き上げたものを分析して賞を選ぶことはしても、「この賞が獲りたいならこういう小説だ」みたいなことはやりたくなかったんです。自分の書きたいようにしか書きたくない。それは今も変わらないので、カテゴリーやジャンルはわりとどうでもいいですね。そう思っていると思いたいです。

―6年間投稿している間、「このままデビューできないんじゃないか」と不安になりませんでしたか。

奥田:ずっと不安でした。早い段階で二次選考や最終選考に残ったり、実際に編集者と会ったりもしていて、言葉は悪いですけれど、平均よりは書けているのかなとは思っていました。でも選ばれるのは、何千という応募作品の中のたったひとつですよね。前の年にどれほどいいところまで行けても、次の作品ではリセットされる。なまじ選考通過の経験があっただけに、辞められなくなっていました。投稿生活の後半は、「ここで辞めたら全部意味がなくなる」というマイナスの気持ちが大きかったです。渦中にいるうちはデビューできるか分からないので、結構苦しかったですね。

―では、受賞が決まったと連絡があった時は…。その前に、最終選考に残ったという連絡もきますよね。

奥田:すごく嬉しかったです。最終選考の連絡から選考会まで、だいたい1か月半くらいあるんですけれど、緊張がものすごくて。その時、私はもう二度と小説のことで緊張しないって決めたんです。不正がなければ、デビューした事実を取り消されるなんてことまずないじゃないですか。今自分が抱えている緊張に比べれば、デビュー後に起こることは何でもないと思っていました。

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