新作小説『青少年のための小説入門』話題の久保寺健彦さん「作家の読書道」インタビュー(WEB本の雑誌)

その3「海外の名作を読む」

―高校もその距離を通ったのですか。

久保寺:いえ、これは通ってられないなと思い、家から近いところに入学しました。高校時代は安部公房がすごく好きで、新潮文庫で短篇集がたくさん出てきたので、どんどん買って読んでいましたね。その頃から、「そういえば海外文学って読んでないな」と思い、意識的に読むようになりました。それこそカフカとかへミングウェイとかドストエフスキーとか、ビッグネームがいくらでもいる。でも、僕が住んでいた足立区の本屋さんで『罪と罰』を買おうと思っても、下巻しかないんですよ。たぶん上巻を買って読んで挫折した読者がいたんでしょうね。『ライ麦畑でつかまえて』も4軒くらいまわっても置いてない。だから新宿の紀伊國屋書店まで行って買ったんですけれど、これは駄目だと20歳になってから実家を出て下宿しました。

―『ライ麦畑でつかまえて』という名作があるといった情報は、どこから耳に入ってきたんでしょう。

久保寺:日本の作家のエッセイを読んでいると名前が出てくるじゃないですか。筒井康隆さんも読書家なので、いろんな作家の名前が出てきますよね。それこそガルシア=マルケスとか。そういうのを読んで、「なんかすごそうな作家だな」という知識が蓄積されていったんだと思います。
『ライ麦畑でつかまえて』は、初めて読んだ高校生の時はあまりピンとこなかったんですよね。たぶんタイトルから、勝手にものすごく爽やかな話だと思い込んでいたんです。そうしたらああいう感じじゃないですか。えらく内省的だし、攻撃的だし。ただ、ずっと何か引っかかっていたので30代になってから読み返したら、すごくよくて。「これは稀有な作品だったんだな」と思いました。40代になって村上春樹さん訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』で読み返して、やっぱり素晴らしいと思って。今でもすごく好きだし、本当に世界中で読まれているのは当然だよなと思いました。

―『ライ麦畑でつかまえて』は若いうちに読んだほうが心に響く、とよく言われますよね。でも久保寺さんの場合は違ったわけですね。

久保寺:やっぱり、自分が10代というものをもう経験して、だいぶ距離を置いてみられるようになっていて、10代の限界が分かるからかもしれません。ホールデンって減らず口を叩くじゃないですか。「俺は全然傷ついてない」みたいなことを言うけれど、大人になると「いや、君めっちゃ傷ついているでしょ」というのが分かる。たぶん、同じ年代の頃に読んでもそれが分からないと思うんですよね。ああ、強がりなんだなと分かる歳になってからのほうが、より痛切に感じる。あの小説は17歳のところで終わっているけれど、読み返すたび「今、ホールデンは何歳かな」って思いますね。果たして生き延びられているのか、どんな大人になっているのか。もしもあのままだったら、もうリカバリーできないくらいの傷を受けているかもしれないなと思う。だから大人になって読むほうが、感じる切実さが違うんです。
話がそれますが、メアリー・マッカシーの『アメリカの鳥』という小説があって。「ライ麦畑」は1950年代に出ていますが、『アメリカの鳥』は1960年代でベトナム戦争の頃なんです。主人公は19歳の大学生なのに、カントの哲学の教えを守ろうとしている。フリーセックスとかの時代にそんなことを言っている子は当然ズレているわけで、さんざんな目に遭うんです。時代にそぐわないという意味でホールデンに近いところがあるんですが、減らず口は叩かないし、よりナイーブ。この話もすごくよかったですね。これは40代の頃に読んだんですけれど。

―ところで好きな作家のエッセイから他の作品を知るということですが、北杜夫さんに限らず、好きな作家は小説だけでなくエッセイも読んでいたんですね。

久保寺:読みました。遠藤周作さんの狐狸庵先生のシリーズも好きでした。筒井さん、井上ひさしさんのも読んでいて、筒井さんは『腹立半分日記』というのがあるんですよね。それで日記も面白いかなと思って、高校生の頃に真似して自分も日記を書きだしたりしました。後で役立つかなという気持ちもあって。いまだに書いているので、30年くらい続いていることになりますね。

―ノートに書いていたとしたら、もう相当溜まっているのでは。

久保寺:相当ですね。でも、基本的にどこに行き、誰と会って、何を食べたかくらいしか書かないので1日分が1行か2行くらい。たまに何か大きな出来事が起きた時だけ長文になるので、ぱっと見返した時に視覚的に「あ、ここは何かがあった日だ」と分かります。読んだ本の記録もつけていますよ。普段は「何を読んだ」「何を買った」程度ですが、読んですごくいいか、逆にすごく悪かった時には批評というか感想文を書いたりはします。

―日記が「役立つかな」と思ったのは、小説の執筆に役立つかな、という意味ですよね。作家になろうという気持ちは持ち続けていたわけですね。

久保寺:大学生の頃は「絶対に就職しない」と思っていました。僕の頃って、まだバブルがはじける前で景気が良かったんですよ。フリーターっていう言葉も出だした頃で、何しても食っていける空気がありました。だから、まずは就職しないで作家になろう、と。さきほど言っていた「医者と作家の兼業」は、高校生の時に微分積分とかが全然駄目で文系に変更したので、医者を放棄して作家一本で、ということに決めていました。

―あれ、大学の学部ってどちらでしたっけ。

久保寺:立教大学の法学部でした。全然勉強してなくて、引っかかったのがそこだけだったんです。でも僕は作家になりたいわけで法律なんて興味がないから、入ったはいいけれど苦痛で苦痛で。結局1年留年しましたし。5年生なのに1年生の時に取るはずの保健体育の単位が残っていたりして。

その4「大学時代に読んだ名作の数々」

―では、大学生時代の読書生活は。

久保寺:大学生時代の読書は、かなり海外文学にウエイトが重くなっていました。6:4くらいで海外小説のほうが多かった。さっき言ったへミングウェイとかのような古典の部類のものではなく、アップトゥデイトなものとか。当時は80年代でしたが、ジョン・アーヴィングとかポール・オースターといった現代の作家を追いかけて買っていました。日本の文学だと筒井さんはずっと読んでいたし、あとは井上ひさしさんの『吉里吉里人』のようなエポックメイキングなものは読んでいました。でも村上春樹の『ノルウェイの森』がちょうど大学生の頃に出ましたが、社会現象にまでなっていたので斜に構えて読まず、もっと後になってから読みました。あれは人と人との分かりあうことの不可能性みたいな彼のテーマがむき出しになっているように感じて、偏愛に近いんですけれど、何か好きですね。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』のほうが完成度は高いと思うんですけれど。

―『青少年のための小説入門』ではカート・ヴォネガットとかボリス・ヴィアンの作品も言及されていますよね。

久保寺:それらも20代の頃に読んでいると思います。ヴォネガットはSFというか超変化球でポップな小説を書くので、筒井さんに割と近いところにいるという印象でした。やはり筒井さんが勧めるものを読むことが多かったですね。ガルシア=マルケスやバルガス・リョサとかフリオ・コルタサルとかいった南米文学も読みました。
ボリス・ヴィアンはたしか古本屋で買いました。著者の名前は聞いたことがあって、小説のタイトルが格好よかったので。『うたかたの日々』とか、あとなんでしたっけ。

―『墓に唾をかけろ』とか。

久保寺:そうそうそう、そういうのが若者にはビビッときますよね。「読まなきゃ」って感じで(笑)。
そういえば、子どもの時に文学全集を読んで、なんかよく分からないけれど駄目だった夏目漱石を大学に入ってから読み直したり、読んでいなかった作品にも目を通したりしたら、すごく良かったんです。それで漱石はエッセイなどを除いて全部読みました。

―大人になってから感じ方が変わったのはどうしてだったんでしょうね。

久保寺:たとえば『坊っちゃん』って、痛快と言われているけれど、子どもの頃に読んで「痛快か?」って思ったんですよ。文体が軽妙だからそう思えるだけで、生徒にいびられたというのも被害妄想みたいなところがあるし、赤シャツをやっつけると言っても生卵をぶつけるだけですよね。「なんだそれ」って思ったんです。それと子どもの頃にすごく楽しみにして読んだのが『吾輩は猫である』ですけれど、あんなもの子どもには分かりっこないですよね。漱石が教養をセーブしないで全面展開しているんですから。でも大学生になって『門』や『それから』を読んだら、これは本当に面白いと分かって。今でも漱石は大好きですね。

―学生時代、幅広く読まれたんですね。

久保寺:ただ、5年生の終わりに残りの単位を取りながらも、大学院に行こうと思って試験勉強を始めて、全然本が読めなくなりました。英語、現代文、文学史、古文など、重箱の隅をつつくようなところまで憶えなくちゃいけなくて丸暗記するように勉強をしていたら、結構日本文学で読み残したものがあることに気づいたんです。宇野浩二とか近松秋江とか、葛西善蔵とか。教科書を読んでいると「すごく面白そう」という人がごろごろいるのが分かって。だから大学院に行ってからは、日本文学をずいぶん読みました。ビッグネームでも森鴎外は「渋江抽斎」のような歴史ものだかなんだか分からない実験的なものもあったりして、そういうものに意識が向いたという意味では良かったなと思います。

―『青少年のための小説入門』では、登さんが現代風にアレンジしてみせる田山花袋の「蒲団」を読んだのもその頃だったんでしょうね。

久保寺:たぶんそうですね。田山花袋は名前は知っているけれど興味のない作家だったんですが、文学史的に見た時に結構ドラスティックなことをやっている。私小説の走りというところがあったりしたので読まなきゃいけないと思って読んだら、すごく駄目な話なんだけれど面白いなあと。言文一致の走りの二葉亭四迷の『浮雲』もその頃に読みましたが、今読んでも新しい発見があったりして。

―大学院での勉強は面白かったですか。

久保寺:今はどうか知りませんが、当時は専攻する作家を一人決めなきゃいけなかったんです。それで僕は横光利一にしました。これも筒井さんが関係していて、その頃にNHKか何かで作家が気に入っている作品を朗読するという番組があって、そこで筒井さんが横光の「機械」を朗読したんです。「なんだこの作品」と思って買ってきて読んで「横光、すごいや」となって。「機械」って昭和5年くらいの短篇なんですけれど、今読んでも全然新しい感じじゃないですか。

―「機械」も『青少年のための小説入門』に出てきますよね。

久保寺:そうです。それで、すごい人だというのが頭にあったから、先輩からの電話でいきなり「君はどの作家を専攻するの」と訊かれて「じゃあ横光利一にします」とその場で決めてしまいました。
横光は新感覚派というグループで、川端康成もその一派なので読みましたね。「片腕」という短篇なんかは腕を取って預かってくれという話で、えらく美しい短篇だと思いました。『伊豆の踊子』だけじゃないんだなっていう。
ただ、これは勘違いだったんですけれど、早稲田大学の大学院の文学部は、今でいう創作学科みたいなイメージで、そこに行くのが作家への近道だと思っていたのですが、当然作家になるための場所じゃなくて、研究する場所なんですよね。研究発表のために読まなきゃいけないから、純粋に読書が楽しめず、本を読んで一番苦痛を感じた時期でした。横光には『旅愁』っていう未完の作品があって、失敗作だって言われているんですよ。でも担当教授には「君は横光を専攻したんだから、『旅愁』は7回読みなさい」と言われて、「あれはつまらないのに」と思ったりして。結局、「バイトが忙しくて勉強する時間がありません」と口実をつけて中退してしまいました。

―バイトを理由に!?

久保寺:担当教授も「こいつやる気ない」と分かっているから、「ああ、そうなんだ、頑張ってね」と、円満に送り出してもらったんですけれど。本当に、院に入ったはいいけれど、ポンコツでしたので。

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