「無限の玄」で三島由紀夫賞受賞、「風下の朱」で芥川賞候補!注目を浴び続けている古谷田奈月さん「作家の読書道」インタビュー(WEB本の雑誌)

その4「影響を受けた漫画家&小説の執筆」

―ところで、漫画も読まれていたそうですが、どのあたりを読んでいたんですか。

古谷田:高橋留美子です。「りぼん」とかも読んでいましたけれど、「わー、これはすごいぞ」と思ったのは高橋留美子の『うる星やつら』と『らんま1/2』です。それまで兄の影響が強かったんですけれど、高橋留美子は私が見つけたものだったので、それも嬉しいんですよね(笑)。

でも、小説家も含め、私にとって一番重要な作家かもしれないと思うのは杉浦日向子さんなんです。エッセイとかも書かれているけれど、私が読んできたのは漫画です。たまたま古本屋で『東のエデン』を見つけたのが出会いでした。それですごく感動して「なんなんだこの人は」と思って調べて、はじめて全集というものを買いました。ハードカバーで出ていて、今でもうちにあります。あの方は本当に江戸に生きているという感じでしたが、はやくに亡くなってしまったんですよね。

世界の描写の仕方が感情豊かという感じではなくどこかさっぱりしているのに、少ない情報の中にすごくこちらに訴えかけてくるものがある。作風はいろいろあって、コミカルなものもシリアスなものもありますが、江戸だけじゃなく、明治、たまに東京も描いていたし、そのすべてが素晴らしくて、ずっと憧れの人で居続けると思っています。

―杉浦さんを知ったのは、いくつの頃ですか。

古谷田:大学生ですね。よく憶えてます。というのもすごく感動して、友達にも「これ読んでみて」って貸して、それきり返ってこなくてその子との仲が微妙になったから(笑)。

―さて、小説を書き始めたのはいつ頃ですか。

古谷田:久美沙織さんを読んでいた頃から物語みたいなものは書いていました。それこそ、自分で考えた冒険物語だったり、友達と一緒に作った話だったり。それを書いている時、「自分はこういうことをやる人間である」という感覚がありました。「それしかない」という実感があった。現実的に、どこかに応募しはじめるのは20代半ばくらいからですけれど。

―では、大学卒業後はどうされていたのですか。

古谷田:自分は文章を書いていくと思っていたので、就職はしませんでした。でも、全然手は動いていないという時期が長かったです。それでも「いつか書く」とはずっと感じていて、そのタイミングがきたのが26歳くらいの時でした。「来た」と感じて、その時から書き始めました。

―それですぐ書けるものなのですか。

古谷田:下手くそだったけど、初めて終わりまで書けたんですよ。「おしまい」っていうところまで。それから1、2年くらいは自分の思いのままに書いて、それからだんだん応募しはじめたんじゃなかったかな。

―応募する時、どの新人賞に送るか考えますよね。ジャンルについては何か意識しましたか。

古谷田:それがぜんぜん知らないから、本当に大変でした。文学に特に興味がないというのがここで効いてきましたね。悪い意味で。「私が知っている出版社って、新潮社と、講談社かなあ」という感じで、あとが出てこない。本当にそういうレベルだった。なにかで読んで「文學界」を知ったのと、たまたま村上春樹のデビューした経緯を読んでいた時に「群像」というのを知ったのと、「新潮」は出版社と同じ名前だから分かりやすかったということで、ギリギリ私が知ることができたのがその3つでした。それで、書いては順番にその3つの文芸誌の新人賞に送っていました。

―あれ、デビューしたのは新潮社の日本ファンタジーノベル大賞ですよね。

古谷田:はい。新潮新人賞、文學界新人賞、群像新人文学賞の3つで「次はこれ、その次はこれ」と回してるうちに、義務感で書いていることに気がついて。最終選考に残ったこともあったのでなんとなく正しいことをしていると思っていたけど、本当は、賞のために書くことに飽き飽きしてたんですよね。なので、自分の楽しみのためだけの物語を並行して書き始めて、それがまとまったタイミングでファンタジーノベル大賞に送ってみたんです。思い付きみたいな感じでしたが、「楽しい」と思って書いたものでデビューできたことは本当によかったと思っています。

ファンタジーノベル大賞でデビューしたけれど、今は文芸誌中心でやっているのは自分ではすごく自然な感じです。純文学というものからいったんは離れたけれども、そのおかげでより自由な観点を持てたという実感もあります。

その5「翻訳小説の距離が好き」

―デビューの前後やその後、好きだった本はありますか。

古谷田:ロバート・クーヴァーの『ユニヴァーサル野球協会』は、自作の野球のボードゲームみたいなものを考案した人が、毎晩それに没頭しているうちに、そのゲームの世界に入り込んでしまうといった話です。野球チームも実際にあるチームかのように鮮やかで、スーパースターの選手も本当にいる選手かのように崇めていて、その真に迫った描写が格好よかった。しかも全体的にはポップで読みやすくて、すごく面白かったですね。

ロベルト・ボラーニョに没頭した時期もありました。白水社が出した「ボラーニョ・コレクション」で短篇をまず読んで、すごいなと。自分が短篇を書くとしたら、これくらいって尺があって、その中にまとめるように書くという意識があるんですけれど、ボラーニョってそういう感じがしないんですよね。短篇のための短篇じゃなくて、長篇の中の1シーンのようというか、すごくスケールを大きくしたまま短篇に区切る、みたいな書き方。岬から海を眺めるような感動があります。そのあとに『野生の探偵たち』という大変な長篇を読んで、すごく納得がいきました。

最近は、エトガル・ケレットの『あの素晴らしき七年』かな。エッセイなんですけれど、この人とアレクサンダル・ヘモンの『愛と障害』を並べたい。この2人が私の中では同じグループにいるんです。

―エトガル・ケレットはイスラエルの作家で、両親がホロコースト体験者ですよね。アレクサンダル・ヘモンはサラエボ出身で、アメリカにいる時にユーゴ紛争が起きて、移住を決めた人ですね。

古谷田:そういった自分の悲惨な環境だったり、体験だったりを、ユーモアを中心にして語っているんです。ユーモアというのは人間独自の、そして人間にとってもっとも大事なものだと私は思っているんですが、この2人は、悲惨な体験を忘れるため乗り越えるためではなく切実に表現するためにユーモアを用いている。人間の強さを感じます。作品にも、書き手としての彼らの姿勢にも、心の底から感動しました。

―海外小説が多いんですね。

古谷田:そうですね。翻訳されている文章が好きで。外国語から変換されているという、ワンクッションおいた遠さというのが、私にとっては重要なんだなと思います。

そうそう、私にとってフリオ・リャマサーレスの『黄色い雨』も大事な作品です。これまでに読んだことのない小説を読んだなと思いました。すごく絶望的な状況なんだけれども、本当に美しくて、文章を読むということの喜びにつまった一冊だなと思います。

―スペインの作家ですよね。昔単行本で出ていたのが、最近になって違う版元から文庫で出ましたよね。

古谷田:こんな言い方していいのか分からないけれど、日本では出版してもらえないような小説だなって。そういうありがたさもありますよね、海外文学って。

あと、斎藤真理子さんのおかげで、と言っていいかと思いますが、最近は韓国文学を読む機会も増えました。私が読んだのは『こびとが打ち上げた小さなボール』、『野蛮なアリスさん』、『すべての、白いものたちの』。韓国の作家たちの社会問題に対する向き合い方、その深さと真剣さからはものすごく刺激を受けています。

―読む本は、どのように決めているのですか。

古谷田:最近だと、信頼できる人が薦めてくれる本とか、興味があるものとか。ちょっと問題発言かもしれないんですが、私、なるべく本を読まないで生きていきたいって思ってるんですよ。なるべく少ない冊数ですませたい。昔からそうなんです。一冊読むのがそれくらい大変で、だから読む時は「必ずいい本」を読みたい。絶対に自分を豊かにするものを読みたい。「なんとなく、これでも読んでみるか」みたいなことはもう全然できないんです、私はそんな余裕のある読者ではない……。

―では、ご自身の本も読者にとって「必ずいい本」と思ってもらえるようにと…。

古谷田:あ、自分の本は「書くもの」であって「読むもの」ではないので。読者にとっていい本かというのは、その人と作品との関係の話で作者の思惑なんて出る幕はないと思ってますが、ただ、「(古谷田さんの)本、読みましたよ」って言われると「わー、すごい」とは思います(笑)。一冊ぶんの貴重な時間と体力を使ってよく読んだな、勇敢だなあと。

―えー(笑)。執筆する際、資料として本を読んだりはしないのですか。

古谷田:それはもちろんあります。調べなくてはならないことは必ず、何かしらあるので。これから書く作品の材料になるのだという思いがあるから、資料を読んでいるときがもしかしたら一番身の入った読書タイムかもしれません。

その6「ノンフィクションへの敬意&自作の執筆」

―普段、資料とは別に、ノンフィクションは読みますか。

古谷田:基本、「本を読む」という時は小説を読んできたんですが、ノンフィクションを読むこともあります。アン・ウォームズリーの『プリズン・ブック・クラブ』を読んで思ったのは、ノンフィクションというのはフィクションの一ジャンルなんだなと。実際の人物や出来事について書いているとしても、書き手が自分の印象に残ったところを自分なりの表現で書いてまとめているという意味で。自分が小説を書く時とほとんど変わらないなと思って、それ以来、ノンフィクションに対して特別な感情を持つようになりました。親近感と、それでもやはり小説とは違うというところへの敬意。

磯部涼さんの『ルポ川崎』を読んで感じたのは、書き手の覚悟です。観察者というよりは、一人の登場人物として川崎の人々や場と関わっていこうという意思が文章から感じられる。書いたものに対する責任の負い方が、どちらがより尊いかということではないけれども、やはりフィクション作家のそれとは違うなと感じたんです。私はフィクションをまがい物だとは思っていません。それも一つの現実なのだと考えていますが、だからこそ感銘を受けました。生身の人間を描くノンフィクション作家と同じ覚悟で書いていきたいと思いました。

―ちなみに、ゲームや漫画のお話がありましたが、他に何か影響を受けたり、すごく好きだったものってありますか。

古谷田:ミュージカルです。最初にぐっときたのが「オズの魔法使い」だったと思うんですけれど。ミュージカルを「あんな、いきなり歌いだすなんておかしい」みたいに言う人もいますが、私はむしろ、歌わない私たちがおかしいって思うんですよね。

私たちは普段、歌うことや躍ることを我慢して生きているんだなって思うくらい、ミュージカルは自然に感じる。身体の一部として歌と踊りがある人たちの表現、すごくしっくりきます。あの形式は真理だと思う。でも、あまり観に行ったりしているわけではないんですけれど。

―1日の執筆時間などは決まっていますか。

古谷田:今ね、生まれてから一番、書いているんですよ。すっごく集中してます。締切が迫っても前まではこんなふうには書けなかったというくらいに書いていて、自分の覚醒具合に自分でビビっています(笑)。

―朝起きてすぐ「書くぞ」みたいな?

古谷田:なんなら夢のなかで文章ができあがっていって、それに急かされて起こされるみたいな感じで。起きた瞬間にパソコン起動させてコーヒーを淹れて、まだぼーっとしているんだけれど無理やり音楽聴いて踊ったりして身体を起こして、それでいきなり書き始める感じです。お腹がへるまで。お腹へらないでほしいって思いますよね(笑)。で、食べて、またすぐ書いて。そんなこと不可能だと思っていたのに、もう一日中書いています。今日、久々に人と喋ってるんです(笑)。今書いているものはそのうち雑誌に掲載されると思います。

―『リリース』『無限の玄/風下の朱』というのは、ジェンダーの問題を扱っていましたが、次はどうなりますか。

古谷田:テーマの中心にジェンダーがくることはないと思う。その問題から興味を失ったということではなく、中心にしてはいないということですね。今まで考えてきたようなことが実際に組み込まれている、自然に存在しているというものを作っていきたい。これまで書いてきたことがあるからこそできる表現があると思っています。

<了>


この記事のライター

瀧井朝世瀧井朝世

1970年生まれ。WEB本の雑誌「作家の読書道」、『波』『きらら』『週刊新潮』『anan』『CREA』『SPRiNG』『小説宝石』『ミステリーズ!』『読楽』『小説現代』『小説幻冬』などで作家インタビュー、書評、対談企画などを担当。2009年~2013年にTBS系「王様のブランチ」ブックコーナーに出演。現在は同コーナーのブレーンを務める。ラカグ「新潮読書クラブ」司会、BUKATSUDO「贅沢な読書会」モデレーター。著書に『偏愛読書トライアングル』(新潮社)。

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