WEB本の雑誌「作家の読書道」門井慶喜さんインタビュー

今年1月、『銀河鉄道の父』で第158回直木賞を受賞した門井慶喜さん。受賞作は宮沢賢治の父親にスポットを当てた物語。他にも、美術や建築などを含め歴史が絡む作品を多く発表している門井さん。その礎を築いたのはどんな読書体験だったのだろう。

取材・文/瀧井朝世 ―WEB本の雑誌「作家の読書道」2018年3月21日

門井慶喜(かどい・よしのぶ)さんについて

1971年群馬県生まれ。同志社大学文学部卒業。2003年、オール讀物推理小説新人賞を「キッドナッパーズ」で受賞しデビュー。16年に『マジカル・ヒストリー・ツアー ミステリと美術で読む近代』で日本推理作家協会賞(評論その他の部門)、同年咲くやこの花賞(文芸その他部門)、18年に『銀河鉄道の父』で直木賞を受賞。

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その1「あの分厚い本を読んだ記憶」

―古い読書の記憶といいますと、何が浮かびますか。

門井:国語辞書です。

―え?

門井:国語辞書というか、国語辞典というのかな、あれを最初から最後まで読んだのが、僕の最初期にある読書の記憶なんです。

―わあ。何歳くらいの時ですか。

門井:小学校1年生の4月から5月にかけて、いや、もっとかかったかもしれません。ちゃんと理由がありまして。おそらくは小学校の入学祝いだと思うのですが、親に小学生向けの大きな活字の辞書を与えられたんですね。幼稚園の頃は絵本などを読んでいて、僕は本のことをよく知らない子どもだったので、本というものは全部、最初から最後まで読まなければいけないものだと思っていたんです。それで親に辞書を与えられた時もこれはもう、全部読むものだと思って、砂を噛むような思いで「あ」から律儀に、1ページも飛ばさずに読んだんです。読めない漢字などは飛ばしたとは思いますが。

―じゃあ、学校から帰ってきたら黙々と読むような日々だったのでは。

門井:はい。家にあった、組み立て式で2人が向かい合ってベンチシートに座るような形のブランコや、縁側に座って読んでいたのを憶えています。

―全部読んだとしたら、相当勉強になりましたよね。

門井:なったのかもしれませんが、僕はただただつまらなかった思いしかないという。「あ」から「い」は絶好調だったんです。普段なんとなく使っている言葉の意味を、ピタピタピタッと短い言葉で決めてくれるので、こんなすごい本はないと思いました。でも、「い」で飽きますね(笑)。それは辞書ではなく僕が悪いのですが。でも最後まで読まなきゃいけないという強迫観念があるので、つまらなくても読み進めました。「か行」や「さ行」が一番ボリュームあるので、次に進まずつらかったですね。「さ行」が「た行」に変わっただけでもう、世界が変わった! みたいなドラマを感じました(笑)。「た行の一番最初は“田”だよ!」と思った覚えがありますね。それが幸か不幸か、僕と辞書との出会いでした。

―分厚い書物を読み終え、その後はどんなものを読んだのでしょう。

門井:幼少時はよく憶えていないんですよね。わりと早い時期から新聞は読んでいたんです。小学生新聞もとってもらいましたが、大人向けの新聞も読みました。それと、乗り物の図鑑なども。他はなんでしょう、学習漫画が好きだった気が。

―学研の「ひみつ」シリーズとかでしょうか。『恐竜のひみつ』とか、いろいろありましたが。

門井:あ! そうですよ、それですよ! 今パッと思い出しました。「科学」から「手品」などまで、いろんな「ひみつ」がありましたね。同じシリーズだったのかな、歴史の学習漫画もありましたね。1人につき見開き2ページずつ、聖徳太子の話から始まって、藤原道長、織田信長、徳川家康、近代では岩倉具視とか……五百円札の時代ですからね。最後は誰で終わっていたのかな、忘れましたけれど。そういう日本史の巻と世界史の巻があって、どちらもすごく好きでした。こうやって考えてみると、フィクションはあまり読まない子どもだったかもしれません。

その2「暴力描写が嫌いだった」

―インドアかアウトドアか、今振り返ってみると、どういう少年でした?

門井:小中学校まではアウトドアだったと思います。田舎の子なので。今はありませんが、原っぱというものが当時はございまして(笑)、そこでボール投げなどしていました。原っぱといっても、『ドラえもん』に出てくるような住宅街の中の都会的な原っぱではなくて、原っぱの横はもう薮で、そこにボールが飛び込んでガサガサ取りに入って戻ってくると、次の日その子の全身が漆にかぶれているという、そういうところでした。小川があって、そこで遊んだりもしました。中学の時は山をひとつ持っている農家の子が「裏山でゴルフしようぜ」なんて言うと、植木鉢を持っていってそれをあちこちに埋めてカップに見立て、「じゃあ、1番ホールはここから打ち下ろしだ」とか言って、崖から3メートルくらい下のところに打っていましたね。

―何ホールもあるってことですか。ちゃんとコースになっているんですね(笑)。

門井:そうです。雨が降った次の日は、沢が増水して真っ赤になっていましたね。全部沢蟹なんです。「うわー」っと言いながら、それをパリパリ踏みながら走って遊んでいました。大人になって大阪に住んで、海遊館という大きな水族館に行ったら、ものすごく大きな水槽に沢蟹が一匹だけ、宝石のように入れられていてびっくりしましたけれど。……こんな話でいいんでしょうか。

―いいです(笑)。どうやら少年時代は、作家になりたいとはまだまったく思っていないようですね。

門井:4年生か5年生で書いたクラス文集が出てきたので見てみたら、将来の夢として「僕は肉が好きなので、肉屋になりたい」って書いてありました。単純すぎる(笑)。

―作文は好きでしたか?

門井:好きでした。成績も良かったです。読書感想文なんかはやっぱり、フィクションは選ばなかった気がします。当時は文部省の課題図書みたいなものがあって、夏休み前にその申込書を渡されて丸をつけて提出すると休み前に配本があって、本を買ってくれた。それを個人で持ち帰って休み中に読むんですよね。それでもノンフィクションを多く買ってもらっていた記憶があります。たぶん、恐竜のナントカ、といったような本だったと思うんですけれど。

―歴史の学習漫画が好きでそのまま歴史好きになった……というわけではないんですねえ。

門井:実家が宇都宮なので車で1時間くらいのところに日光東照宮がありまして、歴史好きの父が幼い僕を連れて行って説明してくれたらしいんですけれども、途中で泣きだしたと聞いています。泣くほど退屈だったか、泣くほど父がしつこかったかのどちらかですね(笑)。

―お父さん、歴史好きだったんですね。まあ、お子さんのお名前に「慶喜」と付けられたくらいですものね。

門井:そうですね、歴史好きだったみたいですね。僕がはじめて認識した書名は、「がゆく」だったんです。ひらがなだけ読めた頃、「がゆく」「がゆく」と言っていたんですよね。

―ああ、その上に漢字が二文字あるのに(笑)。

門井:そうです、『竜馬がゆく』は単行本で家にありました。父は「月刊文藝春秋」と「歴史読本」はずっと購読していました。「歴史読本」は新人物往来社が出していた雑誌で、当時はすごく部数も出ていたんです。父の本棚は誰でも見られるようになっていたので、子どもの頃から「歴史読本」の白黒の写真なんかを眺めていました。見てピンとこなくても、たとえば近藤勇の記事の中に「現在の日野市の風景」みたいなものがあるので、それを眺めていたような。

―小学校の中高学年の頃はどんな本を読みましたか。

門井:ミステリを読んでいました。コナン・ドイルやアガサ・クリスティーとか。子ども向けのリライトだったのかな。江戸川乱歩も少年探偵団のシリーズを読みました。ドイルのシャーロック・ホームズでは『恐怖の谷』が面白かったですね。

―漫画などは読んだりしていませんでしたか。

門井:妹が2人いたので、「なかよし」と「りぼん」が好きでした。少女向けの漫画雑誌ですね。『ときめきトゥナイト』とかが連載されていた頃ですね。その2誌ではないですが、『あさりちゃん』も憶えています。

―門井さんが中学生くらいの頃って「少年ジャンプ」が全盛期くらいじゃないでしたっけ。少年漫画はあまり読まなかったのですか。

門井:僕はまったく読みませんでした。むしろ中学生くらいまでは、少年漫画の暴力的な描写が嫌いでした。裏山を駆け回っているくせに。だから僕、ガンダムとかも全然見てなかったので、分からないです。ガンダムのプラモデル、ガンプラも友達と一緒に作ったことはあるかもしれませんが、長続きはしていないです。だから、他に夢中になったものといえば、ドラクエでしょうね。中学生の頃「ドラゴンクエストⅠ」を発売日に買ったというのは、生涯の自慢なんです。画期的でしたね。モンスターを倒しても「やっつけた!」って字が出るだけ。やっぱり描写が暴力的じゃない(笑)。

―中学生の頃はどのような読書を。

門井:読書は図鑑や歴史ものが多かった気がしますが、一時期、赤川次郎さんにハマりまして、短期間に100冊以上読みました。全部新刊でしたから、よく父が買ってくれたなと思います。ちょうど角川映画で映画化されていたりして、赤川旋風が吹き荒れていた頃です。中学生だからちょっと生意気にも、「『三毛猫ホームズ』なんてドイルを真似したタイトルだなあ」と思って読んでみたら、コロッと「三毛猫が謎を解く!面白い!!」となって。すごく好きでした。今考えると、赤川作品は殺人を扱っていながらも暴力的ではない。死体の数だけで行ったらものすごく多いだろうけれど、全然そういう感じがしない。極端なことを言ったら、血が流れている感じもしない。そういうところが好きだったんでしょうね。僕にとっては「趣味の良さ」を教えてもらった読書だったなと、感謝しています。趣味というのはホビーではなくテイストのほうの意味です。

―歴史ものも多かったとのことですが、どのあたりのものを好んでお読みになっていたのですか。

門井:幕末はあまり。でも他は結構いろいろ読んでいましたよ。日本史だけでなく世界史も多くて、発明・発見系の話も好きでした。レーウェンフックがそれまでにない顕微鏡のレンズを作り出した、なんて話を読むとすごくワクワクしましたね。あの人はひたすらレンズを磨いた人ですけれど、「僕も一生レンズを磨いて暮らそう」と思ったりして。

―本はどこで選んでいたのですか。

門井:学校の図書館を使った記憶がないし、公共の図書館は物理的に遠くてあまり使わなかったです。なので買ってもらっていました。父と本屋さんに行くと文庫本やノベルスをたくさん選んでも何も言わずに「ほら」って財布を渡してくれる。なんて言うとぼんぼんのような…反感を買いそうですね。

―さあ、どうでしょう(笑)。でもそんなに買ってもらっていたということは、読むのが速かったんですね。

門井:速かったと思いますよ。それで、中学生の時にはもう自分の部屋の本棚から本があふれていました。威張っていう話じゃないですけれど。

―部活は何かやっていましたか。

門井:中高、ブラスバンド部でした。ユーフォニアムという金管楽器をやっていました。最近は『響け!ユーフォニアム』で有名になりましたが、当時はとてもマイナーな楽器でしたね。それしか空いていなかったんです。フルートやクラリネットなどができる生徒は小学校の頃から習っていたので、僕のように中学生になって始めようとするとそういう楽器の担当はもう埋まっていて。本当はトランペットをやりたかったんですが、それも埋まっていました。

―でもユーフォニアムを担当して中高と続いたということは、楽しかったわけですね。

門井:そうですね。それに強豪校でもなくて、非常にゆるい感じでしたし。

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