デビュー作『百年泥』で新潮新人賞・芥川賞W受賞の石井遊佳さん「作家の読書道」インタビュー(WEB本の雑誌)

その3「幻の第一作、ご一報求む」

―大学進学で東京に越してらっしゃるわけですよね。その後はどんな読書生活になるんでしょう。

石井:よく読んだ本としては、さきほども言った開高健。東京に行ってからは、住環境がなかなか難しかったんです。一人暮らしなわけですが、隣の奴が夜騒いだりして「ううー」と思ったり、ちょっと暗くなる時があって、そういう時に支えてくれたのが開高健でした。『青い月曜日』などを読みましたね。他人の辛い思い出を書いたもので共感してなんとか耐えてたという感じ。

早稲田大学では文学サークルに入ったのでいろいろ読んだと思うんです。サークルの読書会があるからという理由で森敦の『月山』も読んだんですけれど、すごく面白いなと思って。なんだろう、やっぱり表現力ですかね。自然描写も素晴らしいし。自分でやってみれば分かるけれど、自然描写って難しいんですよね。本当にありきたりな表現を重ねるだけになってしまうんですけれど、あれは本当にご自分の表現になっていて。村人たちの様子とか。ああ、そうだ、私、月山に行ったんですよ。

―山形まで、ですか。

石井:そう。出羽三山参道の七五三掛口というところの注連寺に泊めてもらったんですが、そこで4人の画家に本堂の天井画を描かせるという企画をやっていたんです。1人の画家さんが何か月も泊まり込みで描いてらっしゃったので、その画家さんと話したり、和尚さんと話したり、すごく楽しかったですね。食事を作りに来てくれるおばさんがいて、ご飯も美味しくて。そんな話、『月山』とは関係ないんだけれども。

―ふふふ。サークルでは創作はしなかったのですか。

石井:早稲田祭にあわせて小冊子みたいなものを出していたので、いくつか短い小説を書きましたよ。それはわりと評判が良かったけれど、残ってない。欲しいんです、あれ。「朱の春」という題名です。大学生が主人公で、まあまあ恋愛小説に近いような。さっき言ったように「嘘を書けない」ということがあって、それまで創作が苦手だったんですけれど、「朱の春」は完全なフィクションを書いたということでははじめてかもしれない。しかし残っていない、幻の一作。題字を母に書いてもらいました。うちのお母さんは書道の師範なんですよ。私は字が下手ですが、母は上手いんです。で、タイトルを書いてもらいました。誰かコピーでいいからくれないかな。早稲田大学文学研究会の誰か。くれたら私のサイン本を差し上げます(笑)。私、アドレス帳をなくしちゃって、昔の知り合いに居場所が分からない人はいっぱいいて。

―いつ頃の会誌でしょうか。それと、ペンネームは違いますよね

石井:私が早稲田に入ったのは確か1984年なので、84年か85年に出した早稲田文学研究会の会誌で、小菅陽子の「朱の春」が載っているものを持っている方はぜひ、新潮社の出版部にご連絡ください。

―反応あると嬉しいですよね。さてさて、大学生時代、読むのは国内文学が多かったのですか。

石井:さすがにその頃はガルシア=マルケスも読んでいたんじゃないかな。ラテンアメリカ文学ってある時期からブームになりましたよね。あ、そうだ、その頃に一番好きだった小説は『銀の匙』です。

著者 : 中勘助
岩波書店
発売日 : 1999-05-17

―中勘助の。

石井:そうです。その時代の私の最高峰がそれでした。今も時々読みますけれど、あれは本当に愛しています。どうしてって、文の素晴らしさ、柔らかさ。もう、比べるものがない、と。

―石井さんがその作品を気に入るかどうかは、やはり文体が重要なんですね。

石井:とにかく文ですよね。言葉が自分の肌にフィットするかどうかですよね。だからはじめの1~2ページで分かっちゃうから、いくらみんなが「いい」と言っていろんなところで紹介していて「読まなきゃ」と思っても、全然駄目なものもあって。いや、それは反省しているんです。読んでいるうちにフィットしてくることもあるんだから、我慢して読まなくちゃいけないのに。だから作家だったら当然読んでいるべき本を全然読んでいなくて恥ずかしいんです。それで言うと、さっき申し上げたセリーヌの『夜の果てへの旅』は、本を紹介する本に載っていた「ぜひ読むべき本」を図書館でずらっと集めてきたなかの1冊で、読み始めたところ、2~3ページ読んでポイっと投げかけたんです。でも、文庫本ってカバーの見返しに著者の紹介がありますよね。そこのところに、セリーヌが亡くなった時墓石に、普通だったら名前とか「安らかに」とか書くところ、「否(ノン)(ノン)」一語だけが刻まれた、とあって。「これは読まなあかん」って思ってもう1回開いて読み返したら、面白いと感じられたんですよ。そういうことがあるから、すぐに捨てちゃいけませんね。セリーヌは本当は差別主義者だから、そういうことを考えないようにして読まなくちゃいけないんだけれど。

―今古い本を読むと、差別や偏見を感じることは多いですよね。

石井:ひどいこと書いていますよね。そこはちょっと置いといて、ということで。しょうがないですよね。開高さんだって女性に対して差別的なことは書いているけれど、それはあの人の生きてきた道の険しさを思うと、こういう思いにすがって生きなくちゃしょうがなかったのかなと分かるし。言葉尻だけを捉えてどうのこうのっていう気はないです。言葉だけ聞くと表面的に差別的なことがあっても、その言葉が出てくる元の部分があるから、そこを注意深く知るようにしないと、と思います。自分だってたいがいなことを言っているわけで、でも言うには言うだけの理由があって前提条件があるんだから、人の言葉についてもそう捉えないといけないですよね。

その4「本格的に小説を書き始める」

―大学生くらいの頃に村上春樹ブームがありませんでしたか。そうした話題の本などには興味がなかったのかなと思って。

石井:周りに村上春樹ファンの人、いました。でも私はあまり読んでいませんでした。ああ、そうだ、私は村上龍さんが好きでした。『コインロッカー・ベイビーズ』が一番好きで、もちろん『限りなく透明に近いブルー』とか『海の向こうで戦争が始まる』とかも読みました。私にしてはまあまあ読んだほうだと思うんです。大体の作家は時々「うん?」と思う文章があるんですけれど、村上龍さんはそういうのがないですね。

―芥川賞の選考委員でしたが、石井さんの時の選考にはいらっしゃらなかったんですよね、体調不良で。

石井:そうなんです。講評がおうかがいできなかったので残念でした。受賞式もいらっしゃらなくて。ああ、そうか選考委員といえば、山田詠美さんも好きで何冊か読みました。『ベッドタイムアイズ』とか。あの方の本はたいていみんな持っているから、友達に借りたりもしていました。

―ところで、大学で専攻したのは。

石井:法学部。法律なんだけど、勉強しませんでした。小説を書いてないにも関わらず作家になりたいとは思っていました。でも高校の終わりくらいに、政経の先生の授業がすごく面白くて、その先生に薦められて、岩波新書あたりで出ている法律に関する本を読んで「いいな」と思ったというのもあって。社会的な興味が出てきたんです。小説家になりたいからといって文学部というのも芸がないなと思って、社会学系がいいなと思って法学部に入りました。入ったら入ったで、浪人が辛かったこともあってもうヨレヨレになって、勉強する気もなかったという。でも書くことはずっと続けていました。その時はまだ小説らしい小説も書けなかったんです。小説という形で書けるようになったのは20代終わりとか30代になってですね。やっと平気で嘘をつける人間になったので、小説も書けるようになってきたんです。

―ちなみに政経の先生が教えてくれた岩波新書あたりの本というのは、そんなにいい本があったわけですか。

石井:ベタな本ですよ。後藤昌次郎先生の、一般向けにやさしく書いた法律に関する本が何冊かあって、それが面白かったんです。冤罪についての本などがあったかな。わりと具体的な内容だったと思います。法曹を目指したいと思ったことは一度もないんですけれど、やっぱり世の中のことをちゃんと知ったほうがいいなというのもありましたし。

―大学を卒業後、20代後半で小説が書けるようになるまでは、どのような変遷があったのでしょう。

石井:いろんなバイトをしましたね。親が病気をして大阪に戻ったりとか、いろいろしていました。単に年を取ったというのもあるし、世の中のいろんなものを見て、嘘によって幸せになれるんならそれでいいじゃないですか、みたいな気持ちになって、書けるようになったのかもしれません。
その間に読んだ本は憶えていないけれど、常に本は好きだから読んでいたと思います。図書館に入り浸るのが好きだから、図書館で見かけた本を読んでいましたね。

―その間、小説を書こうとはしていたのですか。

石井:習作的なものは書いていたんですけれどなかなか仕上がらなくて、だから創作としてはクオリティが高くなかったと思いますけれど、20代後半から投稿はしていました。もちろん一次選考にもまったく引っかからずという感じで。唯一最終選考までいったのが、33歳の時の「文學界」新人賞で、その時はよりによって草津温泉に住み込みで仲居をしている時で、選考に残ったことは偶然知ったんですよ。その頃家は埼玉にあって、たまたま用事ができて帰ったら、留守電がいっぱい入っていて、その中に「文學界」からのものもあって「最終選考に残られました」と。「え、応募してたっけ」みたいな感じでしたが、文藝春秋まで行って編集者にお会いして。芥川賞を頂いた後にその話をしたら、その時の編集者がどなただったかを調べてくださった方がいて、贈呈式の二次会の時にその編集者の方が来てくださったんですよ。それはともかく、「文學界」新人賞候補になった時に唯一、推してくださったのが奥泉光さんだったのを覚えています。

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