直木賞候補『彼方の友へ』で話題の伊吹有喜さん「作家の読書道」インタビュー(WEB本の雑誌)

その5「小説執筆と読書」

―20代以降の読書生活はいかがだったのでしょう。

伊吹:なんだかふわーっとしているんですよね。気が向いたものを読むという感じで、応募する作品の資料を読むことが多かったですね。年表とか、ドキュメンタリーとかルポルタージュとか。

―ちなみに、あれほどまでに好きだった時代ものを自分でも書こうとは思わなかったのですか。

伊吹:時代もののシナリオを書いたことはありました。「暴れん坊将軍」が好きだったので、似た雰囲気のものをノリノリで書いていました(笑)。
でも、小説ではなぜか、時代ものを書こうとは思いませんでした。小説で書くテーマとしては今の時代の生きづらさとか、そういうものの方に強く心が向いて。時代小説のプロットも何本か持っているんですけれど、小説としてはまだ書いたことがないです。ただ、近代で興味を持っているテーマがいくつかあり、それらは今後書く予定があります。

―『彼方の友へ』も大戦前後の少女雑誌編集部を舞台にした話でしたし、現代ではありますが『なでし子物語』のシリーズも昭和を振り返るような内容ですよね。

伊吹:そうですね。そのあたりに、時代小説好きの部分が反映されているのかなという気がします。やっぱり長いスパンで何かが変化していくことはとても興味のあるテーマです。

―2008年にポプラ社小説大賞特別賞を受賞、翌年その作品『風待ちのひと』が刊行されてデビューするわけですが、それまでにいろんな新人賞に応募されていたのですか。

伊吹:はい、応募時代が長かったんです。ミステリーの賞と、ミステリーではない賞に交互に応募していました。ミステリー以外の賞のほうが最終候補に残ったりしたので、ミステリーはあまり合っていなかったのかな。

―今となっては伊吹さんにミステリーのイメージがないです。犯罪が起きて、警察が追って…という話を書いていたんですか。

伊吹:警察が追うというより、身内が罪を犯して、それは本当なのかと、普通の人が調べていくというものです。どうしようもなく、やむにやまれず行ってしまったことが法に触れた場合、あるいは大切な誰かを守るために取った行動が犯罪になってしまった場合、本人や周囲の人々はどう思い、どう動くのだろうか。大学で刑法を学んでいた折に、そうしたことを漠然といくつか考えていたので、それを小説に書きました。
生きづらさという点では、ほかの系統の応募作品と通じるテーマなので抵抗はなかったですが、登場人物にあまりにひどい暴力をふるわれ続けると、書いている自分も心が引っ張られて弱りました。

―心に傷の大人の男女が出会う『風待ちのひと』の後で、お母さんを亡くした後の父娘の話『四十九日のレシピ』が話題になって、温かい作品を書く作家というイメージが出来上がっていたので、ミステリーと聞いてちょっと意外でした。では、デビュー後はどんな本を読まれているのでしょうか。

伊吹:やはり資料本が多くなりました。その時代の様子を知るために読んだり、年表を読んだり。たとえば『彼方の友へ』ですと、当時の少女小説とか。吉屋信子先生をはじめとした小説で、女学生言葉や、当時の20代の人がどういう仕事をして、どういう暮らしをしていたのかとかを知ろうとして。でも結局、資料というよりは小説として面白いので夢中になって読んでいることが多いですね(笑)。

その6「楽しく学べる息抜き本」

―息抜きで読む本はありますか。

伊吹:落語と万葉集解説ですね。落語は興津要さんの『古典落語』。万葉集でしたら、最近好きなのは『よみたい万葉集』です。万葉集の解説の本をいろいろ読みましたが、今まで読んだ中でダントツに楽しくて美しかったです。万葉集の知識が一通り分かる上、素敵な歌が原文入りで網羅されていて、繊細なカラーイラスト入り、しかも「万葉新聞」というコーナーでは、男女が歌を詠み合う「歌垣」にならって「歌垣合コン参加者募集中」みたいな広告が入っていたりします。そういう視点がすごく好きで、面白いなと思います。

著者 : 松岡文
西日本出版社
発売日 : 2015-02-27

あと、学習書になってしまうかもしれませんが、『古文研究法』と『漢文研究法』という昭和の受験生がよく読んでいた分厚い本があるんですが、あれは大人になって試験から解き放たれてから読むと面白いですよ。今読むと、すごく偉い先生が「君たちに心をこめて教えるよ」という感じで、あたたかいんですよ、行間に漂う雰囲気が。

―その本、ありましたよね。その優しさに、受験生だった当時は気付きませんでした。

伊吹:ただひとつ難点があって、活字が小さいのでそれが今は辛くて(笑)。3分冊にして活字を大きくしてくれたら、案外私たちくらいの年代の人たちが面白く読むんじゃないかなと思います。興味深い例文や美文が豊富なので、読んでいて楽しいんですよ。「これ面白いな」と思って原典を最初から読み出すと「あれ?」となるので、さすがその道の大家が試験問題に出したくなるくらいの抜粋箇所って、選りすぐりの面白いところなんだなと思います。それと、最近はチェーホフを読み直しました。

―いきなりチェーホフとは、何か理由が?

伊吹:格好いい理由ではないんです。ロシア料理の大ブームというのが自分のなかに来まして。きっかけは『亡命ロシア料理』という本です。あまり見かけないお料理の写真に惹かれてレシピ集かと思って手に取ったら、料理に関するエッセイ集でした。アメリカに住むロシア、当時はソ連の時代ですが、二人の男性が料理について熱く語りつつ文明批評を行うという本です。その冒頭にたいそう美味しそうなスープの話が出てきまして。素焼きの壺に肉や野菜を詰めてオーブンに入れると具材から出てきた水分で素晴らしいスープができるというんです。おいしそうだ、これは食べてみたいなと思って読み進めると「唯一問題なのは、ロシア以外の地でその素焼きの壺をどうやって買うかだ」みたいなことが書かれていまして。たしかにそうです、そんな調理器具(?)、めったに売っていません。でも日本には縄文式土器があるじゃないですか。(笑)。埼玉に縄文式土器の制作体験ができる施設があったのを思いだし、そこに行って素焼きの壺を作れば、このスープも試せるぞと気持ちが盛り上がったんです。でもよくよく考えて、自分が作った土器を2~3時間オーブンに入れるのは壺の安全性に不安があるという結論に達してやめました。でも、その本をきっかけにさまざまなロシア料理に関する本やレシピ集を読んでいるうちに今度は「ロシア料理が美味しそうに書いてあるのはチェーホフである」と一文を見かけたので、では読み直してみよう、と思ったんです。つまり「ロシア料理の描写を読みたくて読んだ」というのが最近の読書です(笑)。

―で、描写は美味しそうでしたか。

伊吹:うーん、実はよくわからなかったです。読んだことがない作品もあるので、引き続き、いろいろ読んでみようと思いました。料理で思い出したのですが、先日近所のカフェで「ムーミンママのお料理の本」というレシピ集を読んだところ、文面からはまったく想像ができないお料理が出てきたり、ロシアと隣接しているフィンランドというお国柄か、ロシア料理と似たスープがあったりして、楽しかったです。そこでムーミンにも再び興味が湧いて、ムーミンシリーズ大人買い、というのもしました。

―本との出合い方が面白いですね。さて、今後の執筆のご予定はいかがでしょうか。

伊吹:『なでし子物語』の完結篇、「常夏の光」が「asta*」で連載が始まっています。これは2008年が舞台になっています。『なでし子物語』では少女だった耀子にも、もう瀬里という娘がいるのですが、彼女が18歳になっていまして、大学浪人中なんです。照子、耀子、瀬里という、三世代の女性たちの視点で常夏荘の今後と、それぞれの愛の行方を描きます。
続いて、『犬がいた日々』という新連載が「小説推理」で始まります。三重県の地方の高校に通う18歳たちの物語です。
それから「別冊文藝春秋」連載の『ホームスパン』が最終回を迎えまして、来年刊行の予定です。こちらは盛岡でつくられている手紡ぎ、手染め、手織りのホームスパンという布をめぐる人々の物語です。

<了>


この記事のライター

瀧井朝世瀧井朝世

1970年生まれ。WEB本の雑誌「作家の読書道」、『波』『きらら』『週刊新潮』『anan』『CREA』『SPRiNG』『小説宝石』『ミステリーズ!』『読楽』『小説現代』『小説幻冬』などで作家インタビュー、書評、対談企画などを担当。2009年~2013年にTBS系「王様のブランチ」ブックコーナーに出演。現在は同コーナーのブレーンを務める。ラカグ「新潮読書クラブ」司会、BUKATSUDO「贅沢な読書会」モデレーター。著書に『偏愛読書トライアングル』(新潮社)。

この記事の提供元

WEB本の雑誌