直木賞候補『彼方の友へ』で話題の伊吹有喜さん「作家の読書道」インタビュー(WEB本の雑誌)

その3「漢詩からファンタジーSFまで」

―では、中学時代は主に時代小説を読んでいたわけですか。

伊吹:そうですね。それとその頃、中島敦さんの『山月記』を読んで、その文体が猛烈に好きになったんです。前から好きだった漱石と、どこか似た感じがある気がして、共通項を考えた時、ああ、二人とも漢籍に造詣が深いのだと思いました。それで俄然、漢詩に興味が湧きました。時代小説でも登場人物がここぞという時に漢詩を口ずさむ場面があったりしたので憧れがあったのです。

ただ、いきなり書き下し文を楽しむにはハードルが高かったので、漢詩に関する入門書から読み始めました。先生の解説を読んで「ああ、いいな」と思う程度で、学んで理解するというよりは景色を楽しむような読書でした。
他は井上靖さんの『額田女王』や『しろばんば』の三部作が好きでした。

あとは向田邦子さんの作品も。有吉佐和子さんの本も家にたくさんあったので、読みました。『紀ノ川』、『有田川』といった川シリーズが印象深いです。母の実家が和歌山寄りの三重県なので、それで紀州を描いた小説が家にたくさんあったんだと思います。

―となると、中上健次も読まれたのかな、と連想しますが。

伊吹:それが実家には有吉作品しかなくて、10代の頃は読んでいません。でも20代の頃、朝日新聞で連載なさっていた『軽蔑』に夢中になりまして、毎朝読むのを楽しみにしていました。とりあえず朝早く起きて新聞が来たら『軽蔑』の続きを読んでまた寝る、という生活でした。すでに社会人になっていましたが、あんなにワクワクしながら連載小説を読んだのはあとにもさきにもありません。そこから『千年の愉楽』や紀州三部作、映画の原作として書かれた『火まつり』などを読んでいきました。

『軽蔑』の装丁も忘れられないです。真っ白な本に銀色の文字で「軽蔑」とだけタイトルが書かれていて。
 この作品には「男と女、五分と五分」という言葉が何回か出てくるのですが、趣味の長唄の三味線を何年か稽古したある日、もう一度読みかえしたとき、「この作品は唄なんだ」と思いました。小説であり、唄でもあると。文字で書かれているけれど、口承文学のように、節を回して口伝えで語りかけられているような感覚を強く感じたんです。心地良いリズムやうねりのあるものは、ずっと聴いていたくなる。だからあれほどまでに毎朝夢中になって読んだのかもしれないとも。
「小説ってなんだろう」と考えるきっかけにもなった作品です。そのときいろいろ思ったことがあり、それ以来、小説に限らず、文章を書くときは音読して、リズムや音の響きなどを確認するようにしています。

―高校時代の読書はいかがでしたか。

伊吹:時代小説の日々ですね。それ以外は友人にすすめられて『吸血鬼ハンターD』のシリーズもよく読みました。主人公がヴァンパイアと人間の間に生まれたダンピールで、眠狂四郎もハーフですから、自分はどうもハーフと剣士に弱いという結論に達しました(笑)。映画化されたので、それも観に行きましたね。主題歌がブレイク前のTM NETWORKでした。サウンドトラックを小室哲哉さんが担当していらして、すごく心とらえるメロディーだったのでレコードを買ったら、天野喜孝さんが描かれた超美麗ジャケットでした。それも印象深いです。

―部活は何を?

伊吹:高校は授業に組み込まれているクラブ活動は読書クラブに入りました。放課後の部活もどこかに所属しなければならなかったので茶道部に入ったんですけれど、滅多に行きませんでした。
読書クラブも、その1時間図書室に行って好きな本を読めばいいという野放しな感じだったので、とりあえず社会か国語か忘れてしまったのですが、副読本の文学史の冊子に出てくる本をかたっぱしから読んでみました。でもあまり憶えていないです。あ、でも泉鏡花は繰り返し繰り返し読みました。『海神別荘』は今も読んでいます。音読すると、ものすごく気持ちがいいんですよ。

その4「出版社に就職&シナリオを書く」

―大学進学で東京にいらしたそうですが、読書生活に変化はありましたか。

伊吹:大学生のときは隆慶一郎さんを繰り返し読みました。ほかにはハードボイルドというのか、エンタテイメントの作品を読むようになりました。あ、それは社会人になってからかな。大学時代は司法試験を考えていて、法律の勉強をしていたんです。それであまり小説は読まなかったのかもしれない。ただ、勉強するうちに「自分は法律に向いてないな」とひしひしと感じました。
社会人になってから、一転してシナリオの勉強を始めたので、シナリオ集を読むことが多くなったんです。その時に倉本聰さんのシナリオシリーズを読みました。

―卒業されて、就職されたのですよね。シナリオの勉強をしたというのは。

伊吹:本や雑誌が好きだったのでそういう仕事がしたいと思って出版社に就職したのですが、全然違う部署に回されてしまって。雑誌主催のファッションショーをする部署だったんです。「2、3年後には異動するよ」と言われていたんですけれど、もしも異動できなかったどうしようと悩みまして。その頃、テレビドラマの全盛期だったんです。脚本家のオリジナルのドラマがたくさんあって、野島伸司さん、野沢尚さん、内館牧子さん……。そういう方々がすごく面白いドラマを書かれていた時代だったので、「脚本って面白いな」というところから、シナリオスクールに行くことにしたんです。

―小説を書こうとは思わなかったんですね。

伊吹:小説よりも脚本のほうが早く書けるんじゃないかという甘い考えがあったんです。やってみて、脚本は脚本で書き方があって、そんなにさっと書けるものじゃないというのは、ようく分かりました。脚本の勉強をしてよかったのは、決まった時間、いわゆる尺のなかで、起承転結をきっちりつけてまとめる方法論を学べたことですね。それは後に小説を書き始めようとした時に活かされた気がします。

―出版社ではイベント部署から、異動されたんですよね。

伊吹:はい、季刊の着物の雑誌の編集部に異動しました。そこから月刊誌に異動したんですけれど、その頃脚本を書くのが面白くなっていたものですから、シナリオライターになろうと思って会社を辞めて、しばらくはいろいろな賞に応募していました。でもどうしても規定枚数に収めることができなくて困っていた時、夫に、当時雑誌の編集者だったんですけれど、「そもそも長編小説の題材を無理に短篇の枚数に突っ込もうとしているから入りきらないんだ」「この素材は脚本じゃなくて小説でやるべきだ」と言われて、「ああ、小説をやりたかったんだ」と気づいて小説を書きだしたんです。30歳のときでした。

―会社を辞めた後、ライターの仕事もされていましたよね。

伊吹:はい。着物雑誌の編集部にいた頃、その会社は撮影のコーディネートも編集作業も原稿を書くのもすべて編集者が行うという作り方をしていたんです。その一連の作業の中で、一番得意だったのが原稿を書くことでした。それで、ある程度時間が自分でやりくりできそうだったので、応募するシナリオを書きながらライターの仕事をしていました。小説を書きだした時も、教育関係や塾など、学生向けの冊子の仕事をしていました。

―ああ、前に『なでし子物語』で「自立と自律」の話がすごく印象的だったとお伝えした時、教育関係者の方に取材した時に聞いた話だとおっしゃっていましたよね。

伊吹:そうそう、そうなんですよ。のちに小説に活かされたことっていろいろあります。イベント部署の仕事も少女ファッション誌のイベントの仕事だったので、それが『彼方の友へ』に活かされていますし。こんなにあの時のことが後に生きてくるとは思っていませんでした。

著者 : 伊吹有喜
実業之日本社
発売日 : 2017-11-17

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