直木賞候補『彼方の友へ』で話題の伊吹有喜さん「作家の読書道」インタビュー(WEB本の雑誌)

『四十九日のレシピ』、『ミッドナイト・バス』、『なでし子物語』など心温まる作品を発表、最近では直木賞候補にもなった『彼方の友へ』も話題となった伊吹有喜さん。幼い頃から読書家だった彼女の愛読書は? 時代小説にハマったり、ミステリ小説を応募していたりと、現在の作風からすると意外にも思える変遷を教えてくれました。

取材・文/瀧井朝世 ―WEB本の雑誌「作家の読書道」2018年6月23日

伊吹有喜(いぶき・ゆき)さんについて


三重県出身。2008年『風待ちのひと』でデビュー。二作目の『四十九日のレシピ』がドラマ化、映画化。『ミッドナイト・バス』で山本周五郎賞候補、直木賞候補に。同作は18年に映画化。『カンパニー』が18年に宝塚歌劇にて舞台化。『彼方の友へ』で直木賞候補、吉川英治新人文学賞候補、書店員有志による『乙女の友大賞』受賞。

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その1「愛読したシリーズ」

―幼い頃のいちばん古い読書の思い出といいますと。

伊吹:最初は母の読み聞かせでした。「ママお話きかせて」という子ども向きの本がありまして。それを毎晩寝る前に読んでもらうのが好きでした。ボロボロになってもずいぶん長い間、家にあったので、自分で字が読めるようになってからも、ときどきその本を読んでいました。
自分一人で最初から最後まで読んだ長い小説といえば、小学1年生の時の『不思議の国のアリス』です。子ども向けに少しやさしく書かれたものでした。表紙が硬くて、絵がなくてある程度の分厚さがあって。大人が読むような本をはじめて読んだぞという喜びがありました。他には、小学生向けの「世界の民話」とか「世界の伝説」といった本を読んでいました。

―古今東西のいろんなお話に触れていたんですね。

伊吹:そうですね。なかでも夢中になったのは、偕成社の「少女名作シリーズ」です。海外の少女小説を集めたもので、表紙にきれいな女の子や花束が描かれていて、その装丁が好きでした。それに少女小説って、タイトルで女の子の心を捉えますよね。シュテファン・ツヴァイクの『マリー・アントワネット』を少女向けにした『悲しみの王妃』とか、他にも『夢のバレリーナ』とか『母のおもかげ』とか、思わず読んでみたくなるタイトルでした。

―ツヴァイクって、小説や伝記もので有名なあのツヴァイクですよね。

伊吹:そうです。このシリーズは書き手が錚々たる人たちなんですよ。『母のおもかげ』はジョルジュ・サンドが書いたものです。原題は『ピクトルデュの館』というらしいのですが、それが日本で少女小説として抄訳された時に『母のおもかげ』というタイトルになったようです。お父さんと旅している少女が、夜が更けたけれど宿がなくて古いお城に泊まりました、という冒頭からもう、フランス、城、少女、という心を鷲掴みにする要素ばかりで(笑)。小学校3年生くらいの頃、そのシリーズで読んだ『赤毛のアン』を特に大事にしていたら、「それは抄訳で本当はもっと長いんだよ」と言われ、それで村岡花子先生訳の『赤毛のアン』シリーズ全10巻を読みだし、すごくハマりました。その『赤毛のアン』シリーズは、薄紫色の函に入っていて、函から出すと、白地に紫の2色になっていて、とてもシックな装丁だったんです。そこにも心くすぐられました。2巻以降の内容はアンが大人になって就職して大学に行って結婚して、後半の巻は子どもたちの話になり、最後の2巻はアンの住んでいたアヴォンリーの村の短篇集で、どれもすごく面白かったです。

―今振り返ってみて、とりわけ本好きな子どもだったと思いますか。

伊吹:思います。今もそうなんですけれど、子どもの頃も人の中に入っていくのは嫌いじゃないけれどあまり得意じゃないというか、主張するのが苦手なところがあって。家に帰って本を読んでいるのがとても楽しかったんです。とにかく本があればもういいという感じでした。本があってよかった、という感じ。

―読む本はどうやって選んでいたのですか。

伊吹:学校の図書室もあったんですけれど、もっぱら買ってもらうことが多かったです。何かのご褒美も本、父の出張のお土産も本(笑)。「何がほしい」と訊かれても「本」しかなくて、クリスマスのプレゼントも「本」でした。お小遣い制度になって自分で本を選んで買うようになったのが小学校4年生ぐらいからです。当時はまだお小遣いの額も大きくはなかったので、どれを買うのかが思案のしどころでした。あの頃は文庫の詩集だったら200円から300円台くらいで買えたんです。それでどんどん詩集が増えていきました。単行本サイズの大きな本は依然として親と一緒に本屋さんに行って、タイトルで選んで買ってもらっていました。

―詩集はどのあたりを。

伊吹:武者小路実篤さんからです。あ、それとは別に、やはり偕成社から「ジュニア版日本文学名作選」という赤い表紙のシリーズがあって、当時、その本をよく読んでいました。その中に『愛の詩集』という巻があったんです。愛といっても恋愛の詩ではなく、家族への愛や自然への愛といった、広い意味での「愛」をとらえた詩集で、島崎藤村から吉野弘まで……呼び捨てにするのは恐縮ですが、敬称略で失礼しますね。今回、数えてみると総勢74名の詩人の代表作が、彼らが活躍した年代別に数篇ずつ収録されていました。それを読んで「あ、この詩人が好きだ」と思った人を文庫で買っていたという感じです。
この『愛の詩集』でいちばん好きだったのは黒田三郎です。『ひとりの女に』という詩集から数編が収録されていて、それを読んでいくと、「僕」が女の人に恋をして、その「僕」の心の移り変わりが分かっていく。最後の詩を読むとどうやら無事に恋が実った模様なんです。恋愛のことはわからなかったのですが、その詩の雰囲気に猛烈にドキドキしまして。でも文庫本では見つけられなかったので、黒田三郎のいくつかの詩集を収めた本を買ってもらいました。すると『ひとりの女に』に続いて『小さなユリと』という詩集があり、どうやら『ひとりの女に』と結婚されたあとにお子さんができ、ところが奥様が病気で入院され、小さな娘のユリちゃんと、お父さんになった「僕」が2人で暮らすことになったようなんです。そこに驚き、そのあとユリちゃんとお父さんの様子をうたった詩にとても心惹かれました。こうした出会いを作ってくれた『愛の詩集』は本当に好きな一冊で、大人になってから再び買い直して、今も持っています。

この「ジュニア名作選」のシリーズで、同じように大人になってからも繰り返し読んでいるのは川端康成の『掌の小説』ですね。

―掌編集ですよね。

伊吹:そうです。「ジュニア名作選」の『伊豆の踊子』に『掌の小説』からいくつかが収録されていました。その掌編がすごく心を捉えて。それで『掌の小説』を読んだら、透き通るような硬質な文章で、映像がぱっと浮かぶような作品がたくさん入っていて。当時はこうして言葉に表すことはできず、好きなので繰り返し読んでいただけですが、漠然と、詩みたいだ、と思いました。今もこの作品をときどき手に取ります。子ども向けに作られた本には、こういう出会いを導いていくれる力があるんだなって思います。

―海外小説の子ども向け名作全集は読みませんでしたか。シェイクスピアが一通り入っていたり、『レ・ミゼラブル』も『ああ無情』のタイトルであったりして。

伊吹:そうですね。私も『シェイクスピア物語』というタイトルで、戯曲じゃなくて小説化されたものを読んだ記憶があります。のちに戯曲を読んで、「あれ、雰囲気が違うな」って思いました。ただ、私は国外の作品がやや弱いですね。海外の名作では『ああ無情』など比較的ポピュラーなものしか読んでいないかもしれません。

国内作品ではポプラ社の「青葉学園物語」のシリーズが好きでした。『さよならは半分だけ』とか『翔ぶんだったら、いま!』とか『まっちくれ、涙』とか。私はポプラ社さんからデビューしたんですけれど、賞をいただいた時のスピーチで「子どもの頃に『青葉学園物語』をよく読んでいて、数十年後にその出版社からデビューできるとは」というお話をしたら、当時の社長が「その本は私が新人時代に作ったんだよ」って、スピーチ中に驚きの声を発されまして。あの本を作った新人編集者さんが社長になられたとは、年月が経ったんだなあと思いました。社長はおそらく、あの頃あの本を読んでいた子どもが、こんなに大きくなっちゃって、と思われたに違いありません(笑)。

その2「小学生で時代小説にハマる」

―小学生の頃から文章を書くのは好きでしたか。

伊吹:好きでした。小学校1年生くらいからずっと真似事のようなことはしていて、2年生の文集には「絶対小説家になります」と書いてあります。でも3年生くらいになって、「あ、ちょっと恥ずかしいかも」と感じるようになりました。身近に原稿を書くのを仕事にしている人はいないし、小説家を見かけたこともなかったので、雲をつかむような話をしている気がして恥ずかしくなったんです。「パイロットになりたい」「宇宙飛行士になりたい」と言うのと同じくらい夢の話に思えて、もう一人の自分が自分に「もっと地に足をつけてものを考えないと」と言っている感じがあって。だんだんそれを言わなくなって、高校生の頃にはその気持ち自体をしばらく忘れてしまったくらい。後に小説を書きだした時に実家でその文集を見て、「ああ、私はやっぱり小説を書きたかったんだな」としみじみ思いました。

―真似事、というのはどういうことをされたのでしょう。

伊吹:最初は鉛筆であれこれ書いていたんですが、小学4年生ぐらいのとき、この日のこと、すごく記憶があるんですけれど、父の机の上にピンク色の軸に赤いマーブル模様の、ペン先をインク壺につけて書くタイプのペンがあって。「格好いいペンがあるな」と思ってじっと見ていたら、母が「わざわざインク壺につけなくてはいけないこんな不便なペンはもうお父さんは使わないから、もらってあげるわね」と言ってくれて、その後無事にそのペンが我が物になったんです。大人の匂いのするペンなので浮かれましたね。その日のうちに文房具屋さんに行ってインクを買ってきて、ペン先をつけて書いたらものすごく気分がよくて。そうすると今度は、何か書いてみたくなるわけです。それでまた文房具屋さんに行ってノートを買ってきて、最初は日記のようなものを書き始めました。でも、だんだん小説みたいなものを書きたくなっていって。
ちょうどその頃、偕成社の文学シリーズで夏目漱石の『坊ちゃん』や『吾輩は猫である』を読み、短い文章でシャープに書いていく文体がたいそう格好よくて魅せられました。それで「これを真似したい」と思い、とりあえずそのペンで夏目漱石の文体を真似して日記を書いてみたら「なんだかすごく格好いい」という気分になり、そこから漱石の文体を模写していろいろ書くことに夢中になりました。でも悲しいことに、書き出しは調子がいいんですけれど、途中で飽きるんですよ(笑)。いつも10ページくらいは調子がいいけれど、その後は尻切れトンボ。小説家はこれを最後まで書き切るんだなと思うと、いよいよ小説家になるなんて無理だよねと思っていました。

―なるほど。ちなみに漫画などは読みませんでしたか。

伊吹:うちは漫画が禁止されていたんです。だけど『キャンディ・キャンディ』だけは母がハマったものですからOKになりました(笑)。「『キャンディ・キャンディ』は女の子が自立するところがお母さん好きなんよ」って言い訳していましたね。『はいからさんが通る』もやはり母がハマったので読めました。あれも女性が自立する話でもあるので、母はそういう話が好きなんだと思います。とはいえ、そのあと友達が貸してくれた『ベルサイユのばら』と『オルフェウスの窓』を見せたら、あまり厳しく言われなくなりました。

―その後、夢中になった小説といいますと。

伊吹:小学校6年生の時に橋田壽賀子さんのオリジナル脚本のドラマ「おんな太閤記」を見たんですが、時代劇というと重たくて「男の人」というイメージだったのに、女の人の視点で、衣裳もきれいで。それで『太閤記』に興味を持ち、家に吉川英治の『新書太閤記』があったので読みだしたら、面白くてハマりました。翌年には徳川家康の大河ドラマが始まったので、その原作を読んだりして。

―山岡荘八ですか? 全26巻くらいありますよね?

伊吹:はい。ものすごく長かったんですけれど、熊の若宮という登場人物が好きだったんですよね。後半には納屋蕉庵になるんですけれど、髪は長めで、涼やかで教養あるいい男です。今でいうとキャラクター萌えで、熊の若宮が出てくるシーンが読みたいがために全部読みました。そのせいで、出てこなくなると著しくモチベーションが下がりましたが(笑)。
その頃にですね、たしか二夜連続だったと思うんですけれど、民放のドラマでかなり素敵な源義経を見たんです。それもキャラクター萌えで今度は村上元三の『源義経』を読みだして。高校生になると柴田錬三郎の『眠狂四郎無頼控』にハマりました。眠狂四郎は転び伴天連の西洋人と武家娘の間に生まれたハーフで、凄絶なほどの美貌の剣士なんです。今度は眠狂四郎萌えです(笑)。その一方で山田風太郎の『柳生忍法帖』で柳生十兵衛もすごく好きになって。

角川書店(角川グループパブリッシング)
発売日 : 2012-03-24

隆慶一郎さんも好きです。未完ですが『花と火の帝』、もう痺れます。『一夢庵風流記』もすごく好きで、これは後に『花の慶次』というタイトルで漫画化されたんですけれど、そちらも好きです。『北斗の拳』の原哲夫さんが描かれています。

著者 : 隆慶一郎
日本経済新聞出版社
発売日 : 2013-10-25

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