「マカン・マラン」シリーズまもなく完結!古内一絵さん「作家の読書道」インタビュー(Web本の雑誌)

その5「名作を読みふけった時期」

―では、どうして小説を書きたいと思われたのでしょうか。

古内:子どもの頃から本が好きで、もともと物語も書いていたので「作家になりたい」という気持ちはぼんやりあったと思います。高校生の時に100枚くらいの小説を書いて投稿もしましたし。それは文藝賞に応募したんですけれど、1次選考を通過したんです。それで満足しちゃったんですよ。もういいや、って。その時に受賞されたのが山田詠美さんの『ベッドタイムアイズ』でした。

それ以上やろうという気持ちにはならなくて、その後は全然書いていませんでしたが、ぼんやりと「小説書きたいな」という気持ちがありました。でも映画の仕事に夢中になって。「私は一生こうして会社の名刺を持って生きていくんだな」と思っていたんですね。

でも、入社した映画会社が、社長が亡くなって大手に営業譲渡されたんです。それまでの老舗映画会社は中小企業で、ブラックでしたけれど楽しかったんです。なんでもやれた。英語もできないのにいきなりカンヌに買い付けに行けって言われたりして、しかも買ってきた映画を宣伝から営業まで何もかも自分でやるんですよ。めちゃくちゃでしたし、だから駄目になったと思うんですけれど、やりがいがあった。プレスシートの映画のストーリーも毎回全部自分で書いていましたから、文章を書く点でも鍛えられていたと思います。

でも大手になったら分業制。全部「外注しちゃえ」みたいな感じで。社員が残業しないように、それが会社としては正しいのだと思いますが、だんだん「ここにいてこの後どうなるのかな」と。このままいくと中間管理職になって、現場の仕事も減っていって、結局売り上げ報告だけしているようになるなというのが見えて、それはあまり面白くないなと思えてきて。37歳くらいになって「また小説書きたいな」という気持ちが浮かんできたんです。

―で、書き始めた?

古内:いえ、書けないです。高校時代に100枚書いて以来、書いてないですから。自分の読書も全然足りてなかった。こんなんで作家になれるわけないじゃんと思って、そこから教科書で読んだことのある人の小説を全部読むことにしました。夏目漱石とか森鴎外、谷崎潤一郎、志賀直哉、芥川龍之介、川端康成とかを、どんどん読み始めました。そうしたらめちゃくちゃ面白かった。

『坊っちゃん』もちゃんと読むと、当時読んだ時と印象が違う。映画のイメージにひっぱられていたけれど、「松山の悪口しか書いてないじゃん」と気づくんです(笑)。夏目漱石は『吾輩は猫である』も『草枕』も『三四郎』も面白くて、『こころ』と『それから』はよく分からない、みたいな感じ。そのうち志賀直哉がすごく好きになり、『和解』を読んだ時に、赤ちゃんが亡くなるシーンにあまりにも迫力があって、電車で読みながらワーッと泣けて「ああ、志賀直哉、好き、大好き」って。川端康成も「こんなに文章のうまい人は世の中にいないんじゃないか」と思うんですけれど、書いてあることはもう、『山の音』なんて舅が嫁に欲情している描写に「おいおい」ですよね(笑)。映画だと山村聰さんのすごくいい印象があるのに。でもそんな最悪なことをきれいな文章で書けるってすごいよなと思いました。

あと好きだったのは井伏鱒二。『夜ふけと梅の花』とか、ちょっとユーモアのある『駅前旅館』とか。『黒い雨』になると全然違いますが、それも大好きです。林芙美子さんもすごいと思いながら読みましたね。島崎藤村は『破戒』は読めましたが、『夜明け前』はあまりに長くて挫折しました。太宰治の『もの思う葦』を読んだら、『夜明け前』のことを「そうめんやうどんを何杯も何杯も出すような小説を書きやがって」みたいな感じで書いていて、爆笑しました。太宰もすごく好きでした。

―一気にずいぶん読まれたんですね。

古内:ただ、明治とか大正とか昭和初期の作家は有名で分かるんですけれど、逆に新しい作家が分からないんですよ。大ベストセラーになるような人は分かっても、新しい作家は誰を読んだらいいのか分からない。その時に、「本の雑誌」を読み始めたんです。それで北上次郎さんのお薦めするものを読むようにしました。

なぜかというと、北上さんが他の雑誌で紹介していたオーソン・スコット・カード『消えた少年たち』とか、浅田次郎さんの作品を読んだらすごく面白かったんです。それでこの人の薦めるものは間違いないと思って、北上さんの「めったくた新刊ガイド」を読み始めて、そこで紹介されているものを素直に買っていきました。そうしたら本当に外れがなくて。特に若い新人作家さんの本がみんな面白かった。

―それらを読んでいる頃は、まだ小説は書かれていなかったんですね。

古内:まだ書いていませんでした。でも、42歳になった時についに早期退職の募集が始まったんです。在籍10年以上40歳以上の全員が、いわゆるリストラ勧告されたんですね。もちろん手を挙げなければ辞める必要はないんですけれど、私もその対象者だったんです。ちょうど20年勤務していました。で、「ああ、映画とお別れするのはここだな」って、本当に思って。退職金に上乗せがあるから、それを元手にして本気で小説を書いてみることにしました。その時はじめて、本気で小説を向き合うことにしたんです。

当時、めちゃくちゃ現役で働いていました。DVD制作室というところに移って「CSI:科学捜査班」という非常に売れていた海外テレビシリーズのプロデュースをやっていて、主演男優を来日させてプロモーションしたりしていたんです。だから会社側もまさか私が手を挙げるとは思っていなかったみたいで、すごく驚かれました。でも、いい後輩も育てたので、任せられるなと思ったし。ところが、この時に手を挙げたのは私一人だったという(笑)。

その6「人に指摘された小説の書き方」

―へええ。それで、辞めて投稿生活に入ったのですか。

古内:そうですね。2年間やって駄目だったら翻訳の仕事をやろうと。その2年間も繋ぎみたいな感じで、大学の中国語の師匠のところで中国語の文法の編集もやっていました。それで、2009年の春に退職して、2010年11月にポプラ社小説大賞で引っかかったんですよね。

―それが翌年刊行された『快晴フライング』、のちに『銀色のマーメイド』に改題された水泳部の話だったんですね。それまでに他の新人賞にも応募されたのですか。

古内:そうですね、さくらんぼ文学新人賞に応募して最終候補までいったり、太宰治賞に応募して、それは1次までだったかな。まあ、何かしらには引っかかるので、まったく何の見込みもないわけではないんだろうなと思いながら、『銀色のマーメイド』を書いて、実は人に言ったことがないんですけれど、仕事仲間のプロデューサーに読んでもらいました。その人はシナリオチェッカーをやっていたんです。シナリオのチェックして、赤を入れるという、編集さんみたいな仕事ですね。それまでは誰にも見せずに投稿して落ちる、ということを繰り返していたんですけれど、そこではじめて人に読んでもらいました。そうしたら、「これ、本になるよ。だけど、このままじゃならない」って言われて。「君、小説の書き方分かってないでしょう」って。多視点でいろんな子どもたちの内面を書いていたんですが、「これじゃ純文学なんだかエンタメなんだか分からないよ」って。「俺が読むにこれは弱小水泳部に性同一性障害の女の子が秘密兵器としてやってくるという、エンタメだよ」、「だったらエンタメの書き方しなかったら、受からないよ」。そこで「ええー。エンタメと純文ってそんなに違うの」と言ったら「馬鹿じゃないの。エンタメにはエンタメの、純文には純文の書き方ってものがあるんだよ、今までどんな読書をしてきたの」って。

―もともと厳しく言う方なんですか。

古内:すっごく厳しい人でした。それだけはっきり言ってくれると信頼していました。で、「エンタメはどういった見せ方をするの」と訊いたら「まず『神話の法則』を読みな」と言われました。『神話の法則』って、ハリウッドのシナリオの書き方を指南した本なんですね。「スター・ウォーズ」などの物語のパターンを書いている本。ここで危機があって、ここで何か成果があって、でも次に何かあって…というパターンですね。それで、他にもその人に言われた通りにあさのあつこさんの『バッテリー』とかいろいろ読み直して、頭から『銀色のマーメイド』を全部書き直しました。その時にはじめて、エンタメ小説ってこうやって書くんだと学びました。

―その時、そのアドバイスがなかったら、デビューまでにもっと時間がかかっていたかもしれませんね。

古内:そうですね。他にも「映画だってそうでしょう」「この監督ならこういう売り方があるって思うでしょう? 色が分からなかったらパッケージにならないんだよ。小説も風俗小説なのか恋愛小説なのか、エンタメなのか、君はごちゃごちゃになっている」って言われましたね。そうした意見を聞いて、はじめてエンタメに振り切って書いた『銀色のマーメイド』が特別賞を獲ったので、よかったなあって。

その時に「資料を見ながら書く」ということも学びました。それまで落ちていたものは、わりと自分の経験してきたこととか、自分に近いことを書いていたんですね。でも『銀色のマーメイド』は青春小説で、今の中学生はどうなんだろうということや、性同一性障害の人が出てくるので、そのあたりのこともちゃんと調べないと書けなかったんです。なので、資料として本を探して読むということを始めました。次に書いた『十六夜荘ノート』というのは、戦前戦中戦後の話なので、もっと資料を読み込まないと書けない話でしたし、次の『風の向こうへ駆け抜けろ』は競馬の女性ジョッキーの話なので、出版社の編集さんと一緒に取材をするということも始めました。それはそれですごく楽しかったですね。

―デビュー後の生活はいかがですか。

古内:中国語の編集をやっている時は、毎日毎日小説のことだけ考えて生きていけたら楽しいだろうなと思っていましたが、実際そうなるとそこまで楽しいものでもなく(笑)。でも本当に良かったなと思うのは、会社員生活を20年間やったことが力になっていること。何も知らずに20代でデビューしていたら、私はたぶん、書き続けられなかったと思うんですね。取材の仕方にしても、会社員時代に鍛えられたものがあるので、それは会社に育ててもらったなと、感謝の気持ちでいっぱいです。

―読書はいかがですか。

古内:浅田次郎さんは相変わらず好きですね。『終わらざる夏』とか、ああいうのが好きです。最近ではアンソニー・ドーアの『すべての見えない光』がすごく良かったですね。『アウシュヴィッツの図書係』とか、『HHhH プラハ、1942年』も好きでした。もちろん、川上弘美さん、山田詠美さん、角田光代さんもずっと大好きで、楽しく読んでいます。最近の若い方も、うわあ、うまいなあと思いながら読むものは多いですね。一木けいさんの『1ミリの後悔もない、はずがない。』もすごくいい小説だなと思いました。

それと今、ちょっと興味があるのが憲法24条で。9条の話題の影に隠れちゃっているんですが、24条も改憲案があるんですね。それは家族法の改憲なんですよ。これはまずいのではないかと思い、『まぼろしの「日本的家族」』という、早川タダノリさんの書かれている本なども読みました。

今の24条で守られているのは個人の権利なんですけれど、それを今度は家族という単位に変えていこうとしている。それって乱暴な言い方をすると家族の中で起こったことは家族で解決しようということで、家族になれない人たちはどうするの、と思います。独身とか、同性愛者やバイセクシャルや、あえて事実婚を選んだ人たちとかが、憲法で守られなくなってしまう怖さがある。

そうした気配を察知してか、最近では女性の作家たちもいろんな小説を書いていますよね。田中兆子さんの『徴産制』とか村田沙耶香さんの『地球星人』とか、本当にすごいなと思いました。『地球星人』の、誰もが身に覚えのある親戚の集まりとかの感じから始まって、あのラストの突き抜け方、びっくりしました。男性の作家も、白岩玄さんの『たてがみを捨てたライオンたち』も興味深く読みました。

徴産制

著者 : 田中兆子

新潮社

発売日 : 2018年3月22日

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その7「最近の生活、次作について」

―一日のサイクルはどのようになっています?

古内:うっ…。

―うっ?(笑)

古内:いえ、あの、さぼっているわけではないんですけれど、机に座っている時間が少ないので、編集さんにご迷惑をおかけしているつもりではないんですけれど。週に3日くらいしか書かない。他はあちこちに出かけているんです。調べものをしていることが圧倒的に多い。それこそ図書館や本屋さんに行ったり、情景が必要だと思ったら、その景色を見に行ったり。そうするとやっと筆が動き出すので。私の場合、映像が浮かばないとまったく筆が動かなくなっちゃうんですよ。たとえばオペレーターの人が出てくるとすると、描写するわけでなくても、どんな電話を使っているのかが浮かばないと指が動かない。

―ああ、じゃあ、どこかの公園で古内さんを見かけても、お散歩しているのではなく、取材しているのだ、と思ったほうがよいですね(笑)。

古内:そう言っていただけるとすごく嬉しい(笑)。それで、書く時は集中して書くんです。

―古内さんは、競馬の女性ジョッキーから映画会社の話から夜食を出してくれるカフェの話まで、さまざまな題材で書かれていますよね。

古内:いろんなものを書いているとよく言われているんですけれど、自分ではわりと一貫していると思っているんですね。やっぱりマイノリティの話が多いですし、世間一般からはみ出した人たちが主人公になっていることが圧倒的に多いです。『風の向こうへ駆け抜けろ』とか『蒼のファンファーレ』は競馬シリーズですけれど、描いているのは女性差別。他に出てくるのも中央競馬でスキャンダルを起こした人とか、失声症の人とかですし、夜食カフェの「マカン・マラン」シリーズにしても、狂言回しになっているのがドラァグクイーンですからね。出てくる人たちも社会のなかで生きづらさを抱えている人たちが多いので。

―その「マカン・マラン」シリーズも第四弾の『さよならの夜食カフェ マカン・マラン おしまい』でいよいよ完結ですね。そもそもなぜドラァグクイーンが料理をふるまってくれる夜だけのカフェ、という設定を思いついたのでしょうか。

古内:やっぱり会社員時代、夜10時に会社を出られれば早かったんですが、そうすると女性が入れるお店が少ないんですよ。お腹はぺこぺこですが、作るのはもう面倒くさいし、お店に入るとするとラーメン屋か居酒屋しかない。私はお酒が飲めないし、こういう時に野菜スープとか飲ませてくれるお店があったらどんなにいいだろうという、夢ですね。

―毎回美味しそうなメニューが登場しますが、これはどのように考えたのですか。

古内:編集者に「何が食べたい?」と訊いていろいろ話し合ったりしましたね。これって春夏秋冬の話なので、この季節だったら何を食べるだろうとか。野菜中心にするということは決めていました。「さよならの夜食カフェ」の2話に出てくるキャロットケーキなんかは、実体験というか。シンガポール料理屋に行って「キャロットケーキを頼んだのにキャロットケーキが入っていない」と大騒ぎしていたら「シンガポールのキャロットケーキは実は……」と言われて。それをそのまま小説に使ったりして。

―まだまだ続いてほしいシリーズでもありますが、本当におしまいなんですか。

古内:1冊目を書いた時はシリーズ化は決まっていなかったんですが、「非常に評判がいいので次回を書きませんか」というお話をいただいて。その時に思ったのは、「私と考えていることが同じ人って世の中にいっぱいいるんだな」ということ。23時にやっとご飯が食べられる、という人がいっぱいいるんだな、って。それで「じゃあやってみましょう、それで、四部作にしませんか」と言いました。2の「ふたたたび」3の「みたび」、4の「おしまい」という。まあ、続きを書くとしてもまた違う形になると思います。迷っている人が出てきて、お店に行って…というパターンはこれで終わりです。

―今後の執筆のご予定は。

古内:「キノノキ」というサイトで「アネモネの姉妹 リコリスの兄弟」というのを書いています。それは「兄弟姉妹は一番近くにいる謎」ということで、ちょっとミステリーっぽいもので、なんとモデルはほとんどキノグループの方です(笑)。みなさんにアンケートに答えていただいて、それで面白かったところを追加取材させていただきました。小説よりも面白い話が多かったんですけれど、オチは私がつけさせていただきました。「バッドエンドも書きますよ」と事前にお伝えしてあります。それと、来年の6月くらいから「キネマトグラフィカ」の続編の連載が「ミステリーズ!」で始まります。第一弾は映画がフィルムだった頃を書いていますが、次はミニシアターブーム、映画が一番お洒落だった頃の話です。他は、書下ろしの準備をしているところですね。

<了>


この記事のライター

瀧井朝世瀧井朝世

1970年生まれ。WEB本の雑誌「作家の読書道」、『波』『きらら』『週刊新潮』『anan』『CREA』『SPRiNG』『小説宝石』『ミステリーズ!』『読楽』『小説現代』『小説幻冬』などで作家インタビュー、書評、対談企画などを担当。2009年~2013年にTBS系「王様のブランチ」ブックコーナーに出演。現在は同コーナーのブレーンを務める。ラカグ「新潮読書クラブ」司会、BUKATSUDO「贅沢な読書会」モデレーター。著書に『偏愛読書トライアングル』(新潮社)。

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