WEB本の雑誌「作家の読書道」相場英雄さんインタビュー

その3「キーパンチャーから経済記者へ」

――さて、高校を卒業してからは。

相場:東京に出て新聞配りながら英語の専門学校に行っていたので、ほぼ寝る時間がなくて、本はあんまり読んでなかったですね。その当時はロックしか聞いていませんでした。漠然と将来は自分の親父の工場を継ぐんだなっていう意識はあったんですよ。でも学校出た時に会社がなくなっちゃったんで、帰るところがなくなっちゃったんです。それで東京でフラフラしていた時にたまたま求人広告で時事通信のキーパンチャーの中途採用の仕事を見つけまして。1988年の年末だったかな。面接に行ったらバブル時代だったんで人手不足で、そのまま入っちゃったんですよね。
 キーパンチャーで7年内勤をやって、途中から編集企画みたいなのをやり始めました。というか、勝手に自分で仕事を作っていったんですけれど。

――そういうことができる環境だったんですか。

相場:上司に恵まれていたんでしょうね。すごくやりやすいようにしてくださる上司がいっぱいいました。みなさん今は大学教授になっていますけれど。

――ご自身でも「もっとこういうことやればいいのに」という企画が頭に浮かんできたわけですよね。

相場:そうです。ちょうど過渡期だったんですよ。時事通信って新聞やテレビ向けに情報をわーっと配信する配信事業のほかに、金融機関の株式とか為替とかが出るモニタあるじゃないですか。そこに配信するニュースの編集専門部署があったんです。僕、そこの配属だったんで、この為替の画面の横に為替専門のニュースだけ出すサイトを作ったらいいんじゃないかとか、そういう企画をやっていました。そのへんの働きもたぶん、経済部の人が見ていたんでしょうね。金融危機の直前だった頃に「人手が足りないから、ちょっとあいつ寄越せ」となって、日銀記者クラブというとんでもないところに配属されたんです。

――大抜擢じゃないですか。

相場:はい、大抜擢だと思います。同じような職種から地方の記者になるのは何人かいましたけれど、いきなり経済部の主戦場、日銀記者クラブって。いろんな人たちのジェラシーがすごかったですね。「あいつ、パンチャー上がりだからさ」って。で、仕事してくると「あいつコソコソやってネタ引いてるらしいぜ」って、もう全部聞こえてくるんですよ。

――その頃の読書といいますと。

相場:仕事関係の本は、書泉グランデさんの専門書の棚でデリバティブ原理の本とか、1冊5000円の原書とか買うわけですよ。分からないところを自分なりにメモを作って、当時の日本興業銀行とかのディーラーさんとか経営企画の人に「しつもーん」とか言ってほぼ毎日行きました。「これどういうことですか」って。そうしていると「時事通信に変な記者いるよ」って言われて、あちこちの人を紹介してもらえるようになって。
だからずっと原稿書いたりメモ取ったりで、あとは自由になるのは耳しか残ってないので、ヘッドホンでひたすらロックを聴いていました。あとはもう睡眠時間も限りなく怪しかった。

――どんなロックを聴くんですか。

相場:ストーンズとかザ・フーとか、ブルース・スプリングスティーンですとか。ゴリゴリな王道なロックです。でもプログレッシブロックも聴くし、ブルースも聴きますし、かなりの雑食性です。

――趣味の本を読む時間はないですね。

相場:若手なので「夜回り行け」と言われたら行かなきゃいけないですし。20年前って金融機関が死ぬ時の法律がなかったんですよ。死なないものだと思われていましたから。国が守るという大前提のもと、性善説で行政も民間も回っていたので、銀行の資金繰りがおかしくなるなんてみんな思っていなかった。でもおかしくなるんですよ。で、銀行は社会のインフラだから、きれいに死なせなきゃいけない。でもその法律がなかったんですね。なので、すごいパニックになった。記者クラブではみんながライバルなので、他社のできる社員がふっと2、3日いなくなると、無茶苦茶怖いんですよ。「げ、なんかスクープ出すんじゃねえ」って。ということで、無茶苦茶すり減りました。

――ちょうど激動の時代を見てきたってことですよね。

相場:そうですね。まさしく渦の真ん中にいました。元讀賣新聞の清武英利さんのノンフィクション『しんがり 山一證券最後の12人』とか、『石つぶて 警視庁 二課刑事の残したもの』みたいな感じで書くならネタになりそうなエピソードがいっぱいあったと思います。金融機関の生命維持装置のボタンを握っている人物が通う居酒屋で、姿が見えないようカウンターでちびちびビール飲んで待って、そろそろ相手がトイレ行きそうだなという時を見計らって先にトイレの個室に入っておいて、相手が来たら出ていって「あ、偶然ですね」っていってつかまえる(笑)。そういう泥臭いことやってました。

――ちなみに相場さんが内向的でなくなったのはいつくらいなんですか。記者になってからですか?

相場:いや、高校の時に話し相手がすごくできたんですね。一応田舎の進学校で、ロック好きな奴もいるし、映画好きな奴もいるし。やっと共通言語で話せる友達が周りにできて安心しました。というのを今思いだしました(笑)。

――あ、人心掌握術を身に着けたのは記者時代の前なんですか。

相場:ああ、それは新聞配達の時ですかね。高校で、朝毎讀、産経さんの奨学生担当の人が営業に来て、すごくいい人だったんで配達を始めたんです。で、部数の多い新聞なら1丁目だけで500部配れるけれど、少ないと500部配るのに1丁目から8丁目から行かなきゃいけない。そこでいかに狭いエリアで部数をあげるかを考えるわけです。集金とかに行く時に、商店街のおばちゃんに「あの子はいい子だから、もうちょっと取ってあげよう。スポニチでいい?」とか言ってもらえるように。じゃないと回り切れないので。
 会社も過酷なところに入ってしまったので、やっぱり知恵を使わないといけませんでした。日銀の主要な課長さん、局長さんをカバーしろと言われて、1日2回挨拶しに行ったり、世間話をしに行ったりするんですよ。その時に見ていると、他の記者で偉そうな奴って結構いるんですよ。秘書さんに怒鳴ったりする奴。そこで考えたのが、ウエスト作戦ですよ。

――はてウエストとは。

相場:ウエストっていう洋菓子屋さんがあるじゃないですか。あそこのでっかいシュークリームを3つくらい買って、こそっと秘書さんのカウンターの下で渡すんですよ。「止めてください」と言われても「生モノだから持って帰れないんで」って。そこからコネクションを作っていきました。親分、つまり上司が出張でいない時にランチに誘って、まったく業界に関係ない、週刊誌の記者とか連れていって雑談するんです。そうやって仲良くなっていくと、次第に秘書さんも局長の奥さんの悪口とか言い出すんですよ(笑)。それがすっごく面白かったですね。そのへんからですね、日本一座持ちのいい作家の礎ができたのは。

その4「記者と同時に漫画原作」

――なるほど(笑)。そうやって忙しく働き、活躍しているなかで、小説家になろうと思ったのはどうしてだったのでしょうか。

相場:ええと、スクープを出しまくっていたんですよ。それで内部告発があって、絶対に出てこない内部資料をポンと出されたんです。『不発弾』という小説のもとになった話なんですけれど、僕しか資料を持っていないんで、他が後追い取材をできないんです。でも僕がいた時事通信って、「後追いされない記事はスクープと認めん」という不文律があってですね。ちゃんとした結果も出ているのに認めてくれなくて。本当のことを書きすぎて営業や事業のほうからクレームがきまくって内容証明を求められたりして、「じゃあ訴えてもらいましょうよ。全部本当で絶対こちらが勝てますから」と言っていました。ある日当時の経済部長に、夜1時の締切が終わって2時に新橋のガード下の居酒屋に呼び出されて、褒められるのかなと思ったら、「君のネタ元、誰?」って。それでプツンと糸が切れて「ああ、もう一切スクープ出しません。9時5時の記者になります。定例の割り振られた仕事しかしません」となって。実はその時、某放送局への転職の話が進んでいたんです。でも、あとは最終面接という段階で、仲介してくれた人から電話があって、「ごめん、人事部長が駄目って言ってる」「え、なんでですか」「君、大卒じゃないから」。

――えーっ。ひどい話。

不発弾

著者 : 相場英雄

新潮社

発売日 : 2017年2月22日

ブクログでレビューを見る

Amazonで購入する

相場:その頃、超有名な漫画原作者のブレーンをやっていて、他の作品にも携わったりしていて。そうしていたら、ある時「小説書いてみたら」と言ってくださる方がいらっしゃって、たまたまダイヤモンド社さんで第2回経済小説大賞を募集なさっていたんで、そこに出すために、まず本を読み始めました。

――文章を書くことは好きだったんですか。

相場:まったく興味はなかったですけれど、読書感想文は高評価を取りました。すごく嫌なガキだったので、「体言止めから始めればいいんでしょ」って。新聞記者をやっていましたけれど、その時も別に文章にはこだわりがなかったです。新聞記者の文章ってマニュアルがあって、「こういう時はこうで、こういう時はこう」というパターンを組み合わせればいいように、新人教育のファイルがありますので。

――それを叩きこまれてしまうと、小説を書く時に書きづらくなかったですか。

相場:僕はその前に漫画原作をやっていたので。そこで徹底的に鍛えられたんです。漫画編集者って怖いのがいっぱいいるんですよ(笑)。「こんなんじゃ漫画家が全然絵が描けないじゃん」と言って、紙をくしゃくしゃに丸められて放られたりとか。

――漫画原作のブレーンになったきっかけは何だったんですか。

相場:大きな出版社の週刊誌の記者さんって、その場で僕に経済ネタを僕に訊いてくるんですよ。「今週何か面白いネタはあった?」とか「株価下がったけれど、あれはどうなの」とか。そういう付き合いのある人が、たまたまコミックに異動になったんです。その人の伝手で、ある漫画原作の大御所の人が経済漫画を始めるからブレーンをやらないかという話がきて。
 それがもう面白くて面白くて。ネームをはじめて見た時には「こうやって漫画を作るんだ」って純粋な感動がありました。

――漫画原作ってどういうふうに書くんですか。

相場:いろんなパターンがあるんですよ。本当に脚本のように書く場合もありますし、ペラ紙に要点だけ書く場合もあるし。カットだけ割って「こんな感じ、こんな感じ、で、決め台詞にこんなの入れたらいいんじゃない」という、ラフなメモの時もあります。漫画家さんによって違いますし、編集者との組み合わせによってもやり方を変えるんで。僕はだいたいシナリオ形式でやっちゃうんですけれど、そこから漫画家さんと編集者の視点が入って盛り上げ方が変わったりして「あ、ここで見せ場はこうなるんだ」というのがまた面白かったりするんですよね。
 よく若い漫画家さんがネットで編集者の愚痴をこぼして炎上したりするじゃないですか。本当にひどい編集者もいますし、「ものすごく優秀だけどその口のきき方が誤解されるんだよな」みたいな奴もいますし、まあ、いろんなタイプがいます。僕がおつきあいした編集の方はたまたま、いい人ばかりでした。まあ口は悪かったですけれど。漫画家さんもみんな面白い方ばかりだったし「ここを使うのか」「ここを延ばしてこんな面白い引きの絵を作るんだ」というのがすごく勉強になりました。というのをサラリーマン時代にやっていたんで。

――どんな作品に関わったのですか。

相場:「闇金ウシジマくん」とかは、株の信用取引でウシジマくんがある主婦をカモにするんですけれど、そのネタを出させていただいたりしましたね。他は、名前は出せない漫画もあったりするので(笑)。

その5「小説を書くために100冊読む」

――さて、「小説を書いてみたら」と言われて、それでどうされたのでしょう。

相場:まずは本を読みはじめました。売れていて、書店の文芸書や文庫の棚で平積みになっているものを100冊。小学館の漫画の編集者経由で文芸編集者に「どんなの読んだらいいですか」って聞いてもらったりもしました。

――そうして読んでみて、心に残ったものは。

相場:エンタメ色の強いものばかりですね。真保裕一さんの『ホワイトアウト』、桐野夏生さんの『OUT』、東野圭吾さんの『白夜行』とか。そのあたりの作家の、いわゆる代表作というのは片っ端から読んだ記憶があります。宮部みゆきさんの『理由』を読んだ時には、「どうしてこう複雑なことを書けるのか、なんだろうこの人は」って(笑)。みなさん、独自の切り口だったり、独自のストーリーの回し方とか構成の仕方とかがあるんですよね。キャッチ―な話題を書かれる人だったり、より内面をえぐっていく人だったり、かなり引っ張ってからぐわーっと話を盛り上げていく人だったりと、多様性を感じましたね。絵が浮き出るわけでない分、イマジネーションの広がる余地が多い世界だなと思ったし。

――そして、実際に小説を書いてみて…。

相場:『デフォルト 債務不履行』という小説を書いてみて、それで大賞をいただいてしまいました。

――はじめて書いた小説で受賞ですか

相場:当然、改稿はしましたよ。応募原稿から発刊するまでに半年くらいかけて手直しはしました。でも視点とかはあまり言われなかったし、すごくありがたかったのは、審査員の一人の高杉良先生が、ものすごい数の付箋をつけてくださって。「ここは直したほうがいいぞ」って。あんなにお忙しい先生が、もう本当に感謝、感謝です。

――それでも、それまで小説を書いていなかったというのに、すごいですね。

相場:普通は「小説家になりたい」と言って小説読み始めたって、書き方も分からないとは思うんです。僕も漫画の下地がなかったら、たぶん駄目だったと思うんですよね。漫画原作で基礎は学んでいたので、それはありがたいなと思います。

――基礎というと、たとえば。

相場:視点とか。すごくシンプルだけど、一次選考に残らないような作家志望の人の書いたものは、そこが分かっていなかったりする。僕も漫画原作の時に一番言われたのが、「これ、誰が見てるの」っていうことでした。「この場面はこうだけど、じゃあ2人一緒なったらどっちがどうなるの」とか。漫画原作と文芸って全然分野は違いますけれど、ストーリーという部分に関しては一緒なので、そこはきっちり学べたのでありがたいなと思っています。
それと、よく言っているのが、漫画原作の影響で、僕は小説もページを開いた時に絵が浮かぶように作るんですよ。「誰がどこにいてどうやって」「どの立ち位置で」というのを、読者が想像できる文体で書くように心がけています。

NEXT ▶︎ 「いいノンフィクションとは」「“エンタメ作家”を主張する理由」