「読者の頭の中でそれぞれの音を鳴らしてもらうこと」が目標―恩田陸さん『蜜蜂と遠雷』ブクログ大賞受賞インタビュー前編

第156回直木賞2017年本屋大賞に続き、『蜜蜂と遠雷』で第5回ブクログ大賞小説部門を受賞された恩田陸さん。文章からあふれる豊かな音の世界に、心をふるわせた方は多いのではないでしょうか。このうつくしい物語がどうやって作り上げられたのか、そして恩田さんがどんなことを大切にされながら執筆されていたのか。作品の舞台裏についてお話しいただきました。『蜜蜂と遠雷』がもっと楽しめる、インタビュー前編です。

取材・文・撮影/ブクログ通信 編集部 持田泰 大矢靖之 猿橋由佳

『蜜蜂と遠雷』執筆のきっかけ―もう一回、音楽に特化した小説を書いてみたかった

盾を贈呈させていただきました!

―このたびはブクログ大賞受賞おめでとうございます!ブクログ大賞は、インターネットユーザーである「読者」が選ぶ賞です。直木賞、本屋大賞を獲ったうえでブクログ大賞を獲ることは、すべての読者層に恩田さんの作品が非常に高く評価されているということになりますね。今回、恩田さんの作品は他の賞を二つ獲っていることで「さすがに他の作品を選ぼう」と考えるユーザーが多いのではとも思ったのですが、恩田さんの作品が圧倒的な票数を集めて受賞しました。

ありがとうございます。

―『蜜蜂と遠雷』は、コンクール全体を一冊の小説作品にされていますね。構想から12年、取材に11年、執筆に7年間をかけられた作品ですけども、そもそもの執筆のきっかけを教えていただけますか?

そうですね、だいぶ前に『ブラザーサン・シスタームーン』(河出書房新社 2009年)という小説を大学時代の経験をもとに一回書いたんです。そのとき大学にはモダン・ジャズ研究会というものがありまして、そこをモデルにしているんですね。作品中演奏シーンを書いたことがあったんですよ。その演奏シーンを書くのが結構楽しかったので、今度はもう一回音楽に特化した小説を書いてみたいなと思ってたんですね。

ピアノはずっと自分でも弾いてたし、ずっと聴くのが好きだったので、ピアノで書きたいな、と思っていたことがあって。それでその最初と最後がはっきりしているピアノコンクールに舞台を移して書こうって思っていたところに、『蜜蜂と遠雷』のモデルになった浜松国際ピアノコンクールのうわさを聞きました。そこでオーディションを受けて入ってきた下馬評にまったくあがってこなかった人が、するするっと最高位で優勝した話を聞いて。そのポーランドの人がその後、ショパンコンクールで優勝したんですね。その話を聞いて、面白いなあと思って。じゃあそのさっきのコンクールをモデルにして、ピアノの話を書こう、と。ということが直接のきっかけです。

―ラファウ・ブレハッチ。2005年にショパンのピアノコンクールを獲った人ですね。

そうです。

―もともと「音楽小説」は一回さきのモダンジャズ研究会を題材にしたものを書いていたのですね。さらに「音楽小説」を書こうと思っていたところ、クラシックのエピソードを聞いて作品化を考えた、という経緯なのですね。それが2005年のころ。

そうですね、そのころですね、あまりにも大昔です。

―そこから取材をずっと続けて、構想も得られたのですね。他で行われた恩田さんのインタビュー記事も読ませていただきましたが、浜松国際ピアノコンクールには4回も行かれたそうですね。長い間この作品を書き続けられていたとのことですが、恩田さんの過去の作品で、『蜜蜂と遠雷』と同じくらい長く時間をかけて書かれたものはあるのですか。

文春の、『夜の底はやわらかな幻』っていうSFファンタジーみたいな作品がありましたが、あれも結構長いことかかっていました。でもそれよりもやっぱり『蜜蜂と遠雷』のほうが長いと思います。

―『蜜蜂と遠雷』が特別に長かったというわけでもないのですか?

いや、やっぱり特別に長いですね(笑)。取材をずっと続けていたし、やっぱり長かったですね(笑)。

―取材した年を起点とすると、登場人物の亜夜さんが二十歳の頃の話ですもんね。十年くらいかけて書かれたということは、亜夜さんも順当に歳をとっていたとすればいまではアラサーで、塵も20代ですね(笑)。

みんな、歳取りましたね(笑)。

―しかも12年くらいやられているとなると、その期間中に浜松国際ピアノコンクールに出たコンテスタントが世界的な演奏家になっちゃうなんてことも……。

そうなんですよ。ありました。私たちが2回目に見に行ったときに浜松で優勝した15歳のチョ・ソンジン君って子がいたんですけども、その人もこないだのショパンコンクールで優勝して出世してますね。

―なるほど。作中では「芳ヶ江」になっていますけども、原案の浜松国際ピアノコンクールは一つの試金石となるコンクールなんですね。

ええ、そう。いいコンクールだってのはすでに知られているので応募者も相当多いですね。

何回も何回も曲を聴きながら書いた、演奏シーンの数々

―実際その、書かれている音楽テーマの小説で、私も非常に感銘を受けたんですけれども、「言葉であの音を鳴らす」と言われていたと思うんですが、そういう演奏シーンは実際その楽曲を聴きながら書かれたのですか?

そうですね、とにかく対象になる曲を何回も何回も聴いて書いていました。

―そうなんですね。この作品では登場人物それぞれが様々な音に対する解釈をしながら進んでいくと思うんですけども、いわば引き出しをそんなに持ちながら出し分けて書くってのは相当大変な、至難のわざではないのかなと。

もう演奏シーンが苦労して、ってことしか覚えてなくて(笑)。毎回毎回すごくつらかったっていうことを覚えてて、一次審査を書いたあとは気が遠くなりました(笑)。まだなのか、こんなにあるのに全部書けるんだろうか、と思った……ってことを覚えていますよね(笑)。

―コンクールをやろうとテーマを決めたときには、必ずもう予選から一次、二次、三次、本選の全部をやろうとも決めていたのでしょうか?

そう。そう決めてたんですけども。

―となると一次の段階で途方にくれるレベルだったのですね。大変お疲れ様でございました(笑)。

「読者の頭の中でそれぞれの音を鳴らしてもらうこと」が目標だった

―「音楽を言葉にする」ことについてお聞きします。言葉を鍵盤にして懸命に叩くかのように書かれたんだろうと思います。しかし、その作業ってすごく難しいことだったとも思うんです。一読したときに、人物描写やそれぞれのキャラクターが立っていて、とても映像化するのに向いていると思ったんです。でも読めば読むほど、これ映像化できるのかな?っていう心配までしてしまいました。むしろ映像化に挑戦状をたたきつける心意気を感じたような気もしたのですけれど。そこはいかがでしょう。

はい。やっぱり映像化しちゃうと、もうイメージが決まっちゃうじゃないですか。ですから、当初から「読者の頭の中でそれぞれの音を鳴らしてもらう」って目標がありました。本を読む楽しみってのはそこにあって、それぞれみんなが登場人物の顔とかを想像してるわけです。だから、この小説においても、今回音楽をそれぞれその人のイメージで表してもらう。目標にしたのは、ひとつ何か「こういう演奏だよ」って決めるんじゃなくて、みんな勝手に想像してもらうことです。「もう絶対に小説にしかできないことをやろう」って思って書いたんですね。言語化するのは大変だったんですけど、でも書き終わってみると意外とその、相性がよくてですね。みんながそれぞれ想像して、自分の音と鳴らせてもらえるって意味では、案外小説と音楽は一番相性がいいのかな、って作品を終えてから思いました。

―なるほど。たぶん映像にできない領域を書いていて、この小説はもっと実際音が鳴っている現場より「上のほう」というか、もっと「向こう側」を書かれようとしているので、かえって言葉でなければ描けないものなんだろうな、と思えました。ヘルマン・ヘッセの言葉で「詩は音楽にならなかった言葉であり、音楽は詩にならなかった言葉」という表現があるのですが、逆に言葉じゃないとできないんだなって。

ありがとうございます。

―とはいえ多分、いろいろな映像化のお話なども舞い込んできているのではと思います。

そうですね(笑)。

―映像化も映像化でもちろん期待しております(笑)。ところで4回コンクールを観に行かれた以外で、実際に音楽家の方に会ってお話を聞いていたりとか、そういったことはされましたか?

それはほとんどしていないです。元々ピアニストって本を書く人が多くて、昔からピアニストの書いたエッセイなどを読んでいて好きだったんです。それで、本から知識を得た部分はあります。

―当事者への取材もされていないんですか?

それはほとんど。コンクールもほんとに観客として聴いていただけで、スタッフに取材したとかそういうことはまったくないです。

―監修の方が入っていることもないんですか?

ないです。

―音楽家の方たちがこの作品を読まれたとき、音楽の描写についてどのような印象を持たれるんでしょう?

一応リアルだとは言っていただけたんですけど、どうなんだろう? それはちょっとよくわからないですね。

―そうですか……!それでこの楽曲のバリエーションを全部書かれたんですか?すごいですね。

ほんとにもう思い出したくもない(笑)。

―「もう本選書かなくていいんじゃ?」と言って編集の方に怒られたという逸話も別のインタビューで読みました(笑)。

もう三次でいやになっちゃって(笑)、「本選読みたい?」って編集者に聞きました(笑)。

―ちょっともう少し切り口を変えてご質問させていただきますと、もともと恩田さんはクラシックの素養があるのでしょうか。

たいしてなかったんですけど(笑)。

―ピアノなどは?

ピアノは習っていたんですけれど。父のほうがクラシックが好きで。

―なるほど。取材を重ねていくにつれてクラシックへの理解を深めていかれたということですか?

ええ、私も一緒に勉強していったという感じで。やっぱり書き始めて耳も肥えたと思うし、本当に書きながら一緒に学習したという感じですね(笑)。

―練習曲を合わせたら、作中に何曲くらい出てきたんですかね。50曲くらいはあったかと。

51曲くらい?プログラムにはあったけれど弾いていない曲とかもあって、高島明石は途中で落ちちゃったから三次以降は実際描いていない曲もありますし、プログラムに載っていない曲だって出てきますから、結構な量ですね。

演奏プログラムが全部固まったのは、三次審査を書いているころ

―先ほど、曲を聴きながら書かれていたとおっしゃっていましたね。登場人物の選択曲は執筆しながら決めていったのでしょうか?

そうですね、最初にプログラムを作って、そのたたき台を作るのに時間がかかったんですよ。その課題曲にあたる曲の音源をとにかく集めて全部聴いて、そこからプログラムのたたき台を作るのが大変で。それで連載していくうちに、登場人物のキャラクターを把握できるようになると「最初はこのプログラムの予定だったけど、この子はこの曲を選ばないよね」って。どんどんその後も入れ替えていって。最終的にそのプログラムが全部固まったのは三次審査を書いているころあたりだったんです。

―そうなんですね。最後、あの本選に残った彼らが何を弾くかということは最初に決まっていなかったんですね。

そうですね、コンチェルトでいくことは早く決まってたんですけど、風間塵が何を弾くかっていうのは結構迷っていて。だから最初は風間塵もそのプロコリフィエフの3番を弾かせて、マサルとまったく違う演奏をさせるってことも考えたんですけど。やっぱりこの子が選ぶのはバルトークだな、って思って。バルトークにしたんですけど、バルトークの課題曲2番か3番なんですけど、それをどっちにするかもずっとギリギリまで迷っていて。なので曲に関しては、わりとずっと迷いながら決定しない感じでしたね。

―登場人物みなさんがそうなんですけど、キャラクターが立っているというか、個性が明確にあります。それぞれにモデルになった人がいるんですか。

まったくいないですね。モデルはいないです。でも最初にキャラクターが決まったのは風間塵ですね。この子がこういう演奏家だから、対照的なタイプを出そうと思って、後から栄伝亜夜とマサルが出てきた。ただ天才ばっかりでは何だしなって思って(笑)。もうちょっと普通の気持ちが分かる人、というので高島明石が出てきたという。

―恩田さんとしては答えづらい質問かと思うんですけども、登場人物のなかで、一番共感しているのは誰でしょうか?

「共感」しているという意味では、奏ちゃん。奏ちゃんは奏ちゃんである種の天才というか「批評性」のある耳を持ってるっていう。「共感」って意味では登場人物みんなに共感するんですけど、一番シンパシーを感じるのは奏ちゃんかな、と。でも書いてて楽しかったのはナサニエル・シルヴァーバーグなんです(笑)。

―ナサニエル先生ですか。なるほど。この作品は結局その「音楽演奏」小説でもあり、「音楽観」小説でもあるじゃないですか。みんなそれぞれの音楽に対する意見、音楽に対する見方・見解があります。それは「音楽観」というか「芸術観」って言っちゃったほうがいいかもしれないし「小説観」にも近いのかなとも思うのですが。例えば、マサルのポピュラリティをちゃんと守りながらのクラシックを更新していくんだ、という考え。あるいは、高島明石の生活者の音楽という考え。恩田さんの考えに近い意見っていうのはありますか?

私の場合ですと、音楽とか芸術って「永遠に触れられる」っていうことが私の持ってる感覚なので。ただ作品の中でいろんな意見が出てきますけど、やはりどれも私の意見でもあるので、特に誰かこれが私の意見、というのはないですね。

―そうですか。確かに恩田さんの様々な芸術観が入っていますよね。書いてて楽しいということでナサニエルの名前が出てきましたが、どのあたりに楽しさを感じていらっしゃいましたか。

なんかすごい人間くさい人なんで。彼の人間くさいところは書いていて、楽しかったです(笑)。

―ナサニエルだけでなくさまざまに人間くさい魅力的な人物が出てきますね。誰が主人公というより、これは群像劇ですね。

そうですね。群像ものとして書いていて、お互いに人間同士でないとインスパイアできないってのがテーマの一つなので。

―もっとも、風間塵が、ある種の特別の人間といいますか、もちろん普通の少年ではあるんですけども、他のインタビュ-でもおっしゃっていたように、神的な、トリックスター的な意味合いもあって、それがタイトルに関わるところでもありますね。

そうですそうです。


この続きはインタビュー後編で!後編では、『蜜蜂と遠雷』執筆時に想定されていた、思いがけないストーリーが明らかに…。そして、注目が集まる次回作についてもお話しくださいました。お楽しみに!

あわせて聴きたい!『蜜蜂と遠雷』CD

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