美味しいって結局なんだ?ー太田哲雄さん『アマゾンの料理人 世界一の”美味しい”を探して僕が行き着いた場所』独占インタビュー

こんにちはブクログ通信です。

世界を股にかけ数々の超有名店で研鑽を積んできた太田哲雄さんは、今、最も注目を集める料理人です。太田さんはイタリアの星付きレストラン、”世界一予約がとれないレストラン”「エル・ブジ」(スペイン)、「料理で国を変えた」とまで言われた料理人ガストン・アクリオの店「アストリッド・イ・ガストン」(ペルー)に留まらず、イタリア貴族のプライベートシェフまで務めた経歴の持ち主なのです。

現在は日本に帰国し、現地で衝撃を受けたアマゾンカカオの普及のため幅広く活動しています。2018年初の単著となるエッセイ『アマゾンの料理人 世界一の”美味しい”を探して僕が行き着いた場所』が講談社より刊行されました。

今回、ブクログ通信は刊行記念として3月4日(日)青山ブックセンター本店にて開催された「『美味しいって結局なんだ?』太田哲雄 × 木村郁美 トークイベント」に潜入! 

イベント直前に貴重なお時間をいただき、太田哲雄さんへの独占インタビューが実施できました!まずはそのインタビューからお届けします!

取材・文/ブクログ通信 編集部 持田泰

著者:太田哲雄(おおた・てつお)さんについて

1980年、長野県白馬生まれ。19歳で伝手もなくイタリアに渡って以降、料理人として、イタリア、スペイン、ペルーと3ヵ国で通算10年以上の経験を積み、2015年に日本に帰国。イタリアでは星付きレストランからミラノマダムのプライベートシェフ、最先端のピッツァレストランで働き、スペインでは「エル・ブジ」、ペルーでは「アストリッド・イ・ガストン」などに勤務。現在は、料理をする傍ら、アマゾンカカオ普及のため幅広く活動している。

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[現代ビジネス2018年1月16日]世界一の「美味しい」を求めた料理人が行き着いた場所 アマゾンは食材の宝庫

東京を食べ歩き、イタリアを食べ歩き、「料理人」へ

―よろしくお願いいたします。僕もこちらの新刊を早速読ませていただきました。大変面白かったです。

ありがとうございます。

―太田さんの今までのパワフルな活動がそのまま本に出ている、そんなご本だなあと思いました。今回は、ユニークな太田さんの来歴を振り返りつつ、根掘り葉掘りお話を聞ければと思います。
まず太田さんが料理人を志す前に、そもそも「美味しい料理」に興味を持たれたことについて。ご本にも書かれていましたが、それはテレビ番組「料理の鉄人」を見て、とのことですが。

そうですね。実は「料理の鉄人」の前に、中学生の時に最初のきっかけがありました。書店の専門書コーナーで料理本を買ったことなんです。そもそもぼくは長野の白馬生まれなんですが、白馬にはオーベルジュ(※主に郊外や地方にある宿泊設備を備えたレストラン)があるんです。そのオーベルジュに、観光シーズンはフランス帰りのシェフたちが働きに来ている。そのシェフたちが見るような料理本を買ったんです。料理本といっても完全に専門書ですね。それを扱っているコーナーが白馬の書店にはあったんです。そのコーナーに私が迷い込んでしまい(笑)。そこの本棚に並んでいた本を一冊買ったことが、料理の世界に入ったきっかけです。もうタイトルも忘れましたが、海外のシェフの本でした。

―そうなんですね。なるほど。

そこから徐々に興味が広がって、魯山人の本を買ったりとか、「コート・ドール」(※東京白金高輪のフレンチの名店)の斉須政雄シェフの本を買ったりとか、料理評論家の山本益弘さんの本も買いました。でも本場フランスとかイタリアなんてそう簡単に行けるものでもないですから、じゃあまずこの「料理の世界観」をどういうふうにしたら味わえるんだろう?って考えて、長野から電車で都内のレストランにまでやって来て食べ始めたのが、始まりです。

―本で書かれていましたが、高校生の頃から都内レストランまで食べに来られていたんですよね。太田さんは、好奇心と行動が直結していて、食べたいと思ったら、東京まで来て、年齢を偽ってでも高級料理店に行って、ちゃんと食べてしまう。すごい行動力ですよね。

そうですね。

―ただ、料理人を目指そうというのは、この頃は思ってなかったですよね?

「料理人になるんだ」っていうよりは「食の世界ってすごいな」っていう気持ちが中心でしたね。アイドルを追うみたいに料理人を追って、アイドルの歌を聴くみたいに彼らが作り出す料理を楽しんでいました(笑)。

―なるほど(笑)。その後、イタリアに語学留学をされて。イタリアでの経験の中で、「だったら料理人になったほうがいいよ」ってイタリア語学校の先生にすすめられてから料理人を目指すようになったと。

そうです。連日連夜食べ歩いていましたから。先生もそういう人間を見たことなかったんじゃないですかね(笑)。スーツ片手に、東西南北イタリア旅行して名だたるレストランを食べに行くし。「料理がそんなに好きだったら、君はもう料理の世界に入ればいいじゃん」って。

―それまではどういうお気持ちだったんですかね。料理人を目指すでもなく、イタリアで食べ歩いている頃は。

年齢も年齢だし、これからどうやって進んでいこうかなっていうふうには、なんとなく考えていたんです。シェフになりたいというよりは「料理の世界に入りたいなあ」って……。当時はまだブログとかSNSとかそういう個人で情報発信できるツールがあまりなくて、料理に関する仕事で知っているのはパティシエとか、あと料理のサービスぐらいな感じだったんです。選択肢がそんなに見えてこなかった。今は「料理研究家」も知られていますけど、その頃はわからなかったものですから。まあ「サービス」と「作り手」だったらどっちのほうがいいのかなあって考えたときに、やっぱり「作り手」のほうが楽しいだろうなあと思って、「料理人」を選びました。

海外の料理人は「職人」ではなくて「芸術家」

―そうなんですねえ。その後イタリアから日本へ戻ってこられて、東京青山の「笄櫻泉堂」(こうがいおうせんどう)で働かれたとのことですね。もう閉店しましたが、当時先端のおしゃれなお店だったそうで。

今は結婚式場になってるみたいですけど、当時はそこで働いているすべての料理人がイタリア帰りだったものですから、ぼく以外イタリア帰りのシェフで、もう、なんていうんですかねえ……1日の時間の流れがイタリアみたいなんです。お昼からお酒も出るし。

―本にも書かれてましたね。

はい(笑)。ただ、仕事はきっちりするっていう。けっこうイタリア語がバンバン飛び交うような厨房でしたので、そこでより強く「外の世界に行きたい」っていう気持ちが強まった気がします。

―国内での修業を経て2004年晴れて再びイタリアへ。今度は料理修業というかたちで出ていかれますね。本には、さまざまなお店で働かれたエピソードが書かれていますが、その中でおもしろかったのが、イタリア人シェフのメンタルの弱さで(笑)。

ああそうですね(笑)。メンタルの「弱さ」はやっぱりありますね。「脆さ」っていうんですかね。その「脆さ」があるから、素晴らしいものを作ったときに、日本人のシェフが出せないような、発想や味が出せるのかなあとは思いました。

―やはり、感動が行動原理の中心にある人たちなんですかね?

感性が豊かと言いますか。感受性もすごく鋭いですし。ぼくは音楽をやっていたので思うんですけど、モーツァルトや、ベートーベンとか作曲家たちもみんな繊細じゃないですか。そういうのに似ているかなあと思います。

―そうなんですね。太田さんは音楽を習ったことがあるんですか。

小さい頃から私はピアノをずっとやっていたんですよ。嫌だったんですけど(笑)、ずーっとピアノを勉強させられていて。なので音楽家の伝記的な話も少し知っているんですが、波瀾万丈な人生の人が多いですよね。

―なるほど。

ヨーロッパのシェフ、海外のシェフって、けっこうそれに近いなあって思いました。表現の仕方も、アーティストや作曲家に近い感じの表現方で、エレガントな表現する方も多いですね。

―どちらかというと、日本の料理人は「職人」に近いけれども、ちょっと芸術家に近いんですね。

はい。向こうだと、料理人が「腕を組んでいる」写真が多いと思います。日本の料理人は「気をつけ」している写真が多いように思います。これも、社会的立ち位置の違いを表している気がします。最近は少し変わってきていて、ヨーロッパと同じような感じになってきてるとは思いますけど。ひと昔前は、まだまだその流れが強かったのかなあとは思います。

―なるほど。興味深いですね。

繊細な「エル・ブジ」の技術に接して分かったカタルーニャ料理の「力強さ」

―そのイタリアでさまざまな経験をされて、ついにスペインに向かい、泣く子も黙る「エル・ブジ」(※科学的な知識や技術をもとにした料理法「分子ガストロノミー」を編み出し、「世界一予約がとれない」と言われたスペインのレストラン。2011年惜しまれつつ閉店)で修業される。「エル・ブジ」には半年契約で居て、このまま続けて残らないかとオファーがあったんだけれども、断った……という逸話が本に記されています。

「エル・ブジ」は今でもすごくよかったし楽しかったなあと思うんです。その時断ったのも、即答したわけじゃなくて、ちょっと考えさせてほしいって。「今後自分がどうやっていきたいのか」をちゃんと整理しようかなと。「エル・ブジ」を山頂とすれば、なんとかその山頂まで登ってこれたなという自負がありましたが、じゃあ今後ぼくはどういうふうな料理を作っていきたいのか。「日本に帰りたい」という気持ちもあったので、「帰ったら日本の人たちに何を紹介することができるか?」と考えたときに、「技術先行型」で「エル・ブジ」と似たり寄ったりなことをやってても、結局「二番煎じ」で、ぼく自身の強みにはつながらないなと思って……。

―なるほど。

あと「ヨーロッパ帰り」ってもう普通になりつつあった時代なんです。

―そういわれてみると、たしかにもう大勢いらっしゃる印象ですね。

そうです。だから、ぼくは「まだ見ぬ未開の土地」に対しての憧れみたいなのもすごくあった(笑)。その頃くらいからガストロノミー(※「料理」中心として芸術、歴史、科学、社会学などさまざまな文化的要素を考える総合的な学問。日本では「美食術」「美食学」とも訳される)の世界では、南米料理がおもしろいって言われていて。まだ日本人が踏み入れているところがないから、ぼくが行くことによって「前例」になれるんじゃないのかなとか、自分自身の唯一無二の何かが得られるんじゃないかなっていう思いで、その後、南米に行くことにしたんです。

―本でも書かれていたように、太田さんは「エル・ブジ」の廃棄量の多さとか、そういったものへの違和感をずっと感じていますよね。

そうですね。ぼくは「エル・ブジ」門下生の中では、ちょっと変わりものだって言われるんです。料理も「エル・ブジ」っぽくないし、考え方も「エル・ブジ」っぽくないねっていうことは言われていて。

―そうなんですね。

それは多分、自分の中での「エル・ブジ」の捉え方が他の人と違っているからかもしれません。「エル・ブジ」ってスペインのカタルーニャにあるんです。ぼくは、「エル・ブジ」を通じて「カタルーニャの骨太さ、力強さ」ってすごいなあと思ったんです。「野蛮」だって言い方は言い過ぎですけど、「エル・ブジ」の料理ってすごい繊細で儚いのに、カタルーニャ自体はものすごく荒々しく力強い。

―一見高尚で文化的人工物なもののように見えて、根っこはやはりカタルーニャ料理で、そのアップデート版だと。

はい。彼らの根底にはやっぱり、「カタルーニャの力強さ」があるなと思ったんです。だから、その「力強さ」にすごく惹かれるようにもなってきて、その「力強さ」がないと、やっぱりクリエイティブな料理を出したときの厚みにはつながらないなっていう思いがありますね。

―なるほど。「エル・ブジ」は技術的なコンセプト自体、日本料理の影響を受けているそうですね。

そうです。銀座に日本料理の、銀座の「壬生」さんという店があるんですけど、その「壬生」さんにかなり影響されています。「エル・ブジ」料理長のフェラン・アドリアさんは、服部調理師学校の服部幸應先生や、「リストランテ・ヒロ」の山田宏巳さんとか、いろいろな日本の料理人の人たちと交流して、すごく日本に惹かれてきたみたいですね。「エル・ブジ」前期はそこまでもないんですけど、後期はかなり日本っぽい感じのお皿が多くなってきてましたね。コースの1、2品は日本的なエッセンスで作られて…。柚子を使ってたりとか、お醤油を使ってたりとか、ぼくが働いてたときは納豆も使いましたね。「大豆の歴史」っていうお皿があったんです(笑)。

―そうなんですか!すごいですね。

一番はじめのぼくの仕事が「湯葉」を作ることだったくらいですから(笑)。

―おもしろいですね(笑)。

毎回テーマがあるんです。今年のテーマはお水ですとか、今年のテーマは大豆ですとかいろいろあって、そのテーマにもとづいて、彼らが料理を作っていくっていう……。

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