美味しいって結局なんだ?ー太田哲雄さん『アマゾンの料理人 世界一の”美味しい”を探して僕が行き着いた場所』独占インタビュー

「料理」はその背景を理解してないと薄っぺらいものができてしまう

―そんな「エル・ブジ」の経験のあとに、何故かイタリアの貴族の専属料理人に。

ミラノのマダムのところで1年半、貴族のプライベートシェフをしました。「エル・ブジ」で6か月ぐらいタダ働きしてましたから、南米に行こうと考えたときにはもうお金が無くなっていて。それを知っている友人のイタリア人シェフに声をかけられたんです。「わりのいい仕事があるから、南米行くまでにちょっとお金稼がない?」みたいな感じで。でも、よくよく調べるとそいつが抜けたいから、ぼくへ回したっていうのもあるんですけど(笑)。

―押し付けられた!

まあ、そういうきっかけがあって、ミラノに行って面接を受けて、採用になった。

―ご本を読んでいてつくづく思ったんですけれども、南欧イタリア・スペイン、またこの後の南米ペルーでも、太田さん自身が、料理だけにとらわれず、その背景にある文化や風土、人々を一緒くたに受け取ってから、それの「本質」を掴みたいという意志がすごくあるのかなと思ったのですけれども。

そうですね。料理って、料理だけですべてを理解しようなんてムリなんですよ。その土地の料理であったりとか、何か料理を生み出すときっていうのは、その背景をきちんと理解していないと、すごく薄っぺらいものができてしまうので、そういうところを特に吸収できるよう、勉強してました。

―その部分で、太田さんの手から生まれた料理のカタチは、どちらかというと、「エル・ブジ」的なものに対して否定的なものも多いのかなと。

「エル・ブジ」は唯一無二なんです。ただ「エル・ブジ」が作ってくれたものを、それを受け継いで、少し自己流にアレンジしてっていうのは、なんか違うかなあと思ったし、「エル・ブジ」はあれだけやり尽くしてるから、やっぱりかっこいいし、世界中から注目されてるんだなっていうふうに思ったんです。なので、そこを中途半端にやるんだったら、もうきっぱりと切ってしまったほうがやりやすいんですよ。

―ああ、なるほど。

「エル・ブジ」卒業生ってみんな「エル・ブジ」の「呪縛」にとらわれるんです。みんな悩んでるんですよ。それは日本人だけじゃなくて、世界中のぼくの同期たちも、みんなその「呪縛」から逃れられないというか苦しんでいるんです。ぼくは「呪縛」にとらわれたくないなっていう思いがあって。

―その「呪縛」の存在に早いうちから太田さんは「やばいぞ」と認識していた。

そうですね。なにが成功するかまだわからないんですが、ただ、自分のオリジナルっていうのを見つけたい気持ちがより強かったものですから。「エル・ブジ」の真似でもおもしろいだろうし素晴らしいものは作れるし、お客さんも喜ぶかもしれないけれど、「ぼくはここじゃないなにかを求めたい」と、そちらのほうを選びましたね。

「エル・ブジ」は料理の発想の「自由さ」を教えてくれた

―敬意を持ちつつも、違和感をずっと持ち続けた結果、アマゾンにまでたどり着いたっていうふうに思うんですけど、その後イタリア貴族の「マダム」のところを卒業して、今度は南米チリのガストン・アクリオさんのところに行きますね。こういうかたちで料理人として世界を股にかけていろんな有名店を転々としながら働くのは、けっこう珍しいことなんですか?

日本人としては珍しいと思います。でも海外では普通です。

―ああそうなんですか。しかもこれぐらいの距離を移動するのも。

そうですね。海外は普通です。スペインの最前線で働いている子は今は中南米の子が多いです。だから、そのフットワークの軽さと、あまり壁を作らずどんどんどんどん飛び込んでいく姿勢は、海外のほうがすごいなあとは思います。

―そういう海外のお友達の影響を受けて、太田さんも動いていると。

そうです、それは大きいと思いますね。

―今後も、このまま国内にとどまるよりも、世界を股にかけていこうと思われている。

自分が思っているよりも世界は大きかったっていうことを、「エル・ブジ」のときに気づかされました。モロッコ人やコロンビア人のシェフも同僚でしたが、その子たちの経歴を見ると、もう世界のトップレストランを片っ端から渡り歩いている。それが「自分の捉え方」を変えなきゃいけないなあって思ったきっかけでもありました。だから「エル・ブジ」がぼくに与えてくれたものは、「技術」じゃなくて「考え方」とか「捉え方」です。あと料理の発想の「自由さ」とか。「もっと料理を楽しんで想像しなさい」っていうことを教えてくれたんだなと思います。

―料理人というよりも「料理思想家」というか「料理哲学者」といいいますか、そんな表現をしたくなりますね。

そうですね。わたしもそう捉えてます。「エル・ブジ」料理長のフェランさんも「エル・ブジ」のコピーを作りなさいと伝えたいわけではなく、そういう「考え方」「捉え方」を門下生に伝えたかったんじゃないかなとは思いますけど。

―その部分ともつながりますが、本の後半にいけばいくほど、太田さんは「社会企業家」的な行動が多くなります。

それはガストン・アクリオさん(※世界的有名なシェフであるだけでなく、貧しい子供たちが学ぶことができる料理学校を設立するなど、「料理で国を変えた」といわれるペルーの国民的英雄)の影響がかなり大きいです。はじめはブラジルに行こうと思っていたんですけど、いろいろ調べていくと、ブラジルはそんなに伝統料理がなく……。ぼくは、もうこの頃から、料理は技術ばかりに目を向けるのじゃなくて、社会的なことにも関心があるシェフにすごく興味を持っていて、それを探していくとガストンさんに行きつきました。活動が「料理人を超越してるなあ」という人で、国民支持率が50%ですからね。「これが料理人が持てる支持率なのか!」とびっくりしました。

―すごいですね。

放送会社も持ってるし、映画も自らのプロダクションで撮る。総従業員数は3,000人とか、「エル・ブジ」が50人でそれでもすごいなあと思ってたけど、3,000人ってもう大企業じゃん……みたいな(笑)。それを一料理人がやっていて世界中のシェフたちからもおもしろいと言われている。そのガストンさんにどんどんどんどんのめり込んでしまいました。彼にどうしても会いたい、一緒に働いてみたいという気持ちがわたしをペルーに向かわせたきっかけです。

―ガストンさんの思考の枠組みの影響をすごく受けて、いよいよアマゾンにまで向かっていくんですね……。

始めはペルーの砂漠地帯の、お母さんがやってるような店でペルー料理のイロハを身に着けました。スペイン時代、繊細な「エル・ブジ」のメニューの根っこにある、カタルーニャ料理の「力強さ」を理解できるまで時間をかけてしまったと感じていたので、同じ轍を踏みたくなかったんですよね。その後ガストンのお店に行ったんです。
ガストンのお店では、かなりアマゾンの食材を使うんですよ。アマゾンって一言でいっても、ペルーの地図を見てみると、国土の60%がアマゾンなんですよ。半分以上ですね。その半分以上で、カカオも採れるしコーヒーも採れるし、さまざまなフルーツや唐辛子といった食材が採れるんです。

―なるほど。

それらをお店で使ってはいるのに、どういうところで採れて、どのように伝統料理として現地で楽しまれているのか。という単純な事実を知らなかったんです。また情報もぜんぜんなくて。ペルーの料理人に聞いても、アマゾン行ったことないとか、「あそこは違う国だから」的な言われ方をしたので、「だったら自分で行って見てこようかな」と思って入ったのが最初のきっかけですね。

日本は便利過ぎて、想像するための時間があまり取れなくなってしまう

―そこで、一定期間滞在して、現地の人と一緒に生活して、同じ料理を食べてこられた。

同じ釜の飯を食わないと理解できないですし、膝を突き合わせて話さないと彼らの考え方がわからないものですから、しっかりと学んでみようと思ったんです。

―アマゾンまで行ってしまう太田さんのような、「冒険家」に近いカテゴリーの料理人は他にいないのでは?と思うんですが。

それはどうでしょうね(笑)。「誰もやってないことだから、おもしろい!」じゃなくて、自分がやりたいことをひたすら追及してやってきたってだけなので。評価されるからやるわけではないですし。自分がいいと思うその直感を信じてやるっていう感じですかね。

―なるほど。

だから、たとえこれが流行らなくてもやめることはないし、これからもやり続けていくと思いますけど。

―一貫して感じていた「違和感」「矛盾」を解決する道筋で、カカオまでたどり着いて。

そうですね。ペルーではカカオとかコーヒーが採れます。でも現地の人たちはすごい安価なものしか食べていないし。質も悪いんですよ。

―太田さんのこの考え方、思考の道筋っていうのは、いろいろな経験の中で会った人からの影響かと思うんですけれども、本からの影響は受けましたか?

さきほどお話した、斉須政雄シェフの本はイタリア時代にも助けられた本なので、その考え方や思想には多少なりとも影響されていると思います。

―太田さんって日本的な枠組の外にはみ出ちゃう人だなとつくづく思ってたんですが。

たぶん日本的でありなさいとか、常識的にありなさい、というのには、もしかしたらはまらないというか(笑)、順応できない人間なのかなとは思いますけど(笑)。

―順応できないというよりも、要は「おさまりきらない」。

まあ、そうですね。生きやすいのは、海外かもしれないとは感じますね。

―海外の方が生きやすいですか。

はい。ストレスがあまりないというか。これまでの人生、それだけ長く海外にいたってことは、やっぱり居心地が良かったってことでしょう。日本は日本語が通じるし、ある程度、安全じゃないですか。平均点以上のものは手に入るし、書店に行けば探したいものも事細かくあるし便利なんですけれど、便利過ぎて、想像することや、そのための時間があまり取れなくなってしまって。

―なるほど。

やっぱり海外のほうが自分らしくいられるとは思います。

―本でも紹介されていた太田さんがコーディネートする「アマゾンツアー」は、今後も実施されるんですよね。

やります。今年は7月の終わりから8月にかけてですね。

―巻末の川手寛康シェフ(※ミシュラン二つ星・2018年版「アジアのベストレストラン50」第3位にランクインするレストラン「フロリレージュ」オーナーシェフ)との対談によると「スパルタ式」だと(笑)。

川手さんは「突き抜けたい」っていう希望なので、じゃあ突き抜けられるところに一緒に行きましょうかって(笑)。

―そういう考えを持つ日本人シェフってけっこういらっしゃるんですか? 「壁を破りたい」と思っている。

そうですね、ぼくの周りにいるシェフたちは、みんな「壁を突き破りたい」と思っているし、日本におさまるんじゃなくて、海外に出ていきたいと思ってます。川手さんは海外のシェフとも積極的にコラボイベントをしているみたいです。海外に行き過ぎ、てたぶん今自分がよくわからなくなってる状態だって言ってましたけど(笑)。川手さん世代のシェフ、たとえば大阪「ラ・シーム」(※ミシュラン二つ星のイタリアン)の高田さんとか、もう、「自分をどうやったら海外に売り込んでいけるか」っていうことを考えてましたね。対日本ではなく対海外を意識しているというか。世界と勝負したいという感じですね。

―いいですね。みなさん日本に縛られずどんどん世界で勝負していただければおもしろいと思います。

それが結果としては日本のためになりますしね。「日本の枠の中でしか成功できない」などと囚われることなく世界から日本を見ればいいし、日本の外から発信していけたらいいですよね。

―本日は貴重なお話ありがとうございました!


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