「本は世の中で一番大事なもの」―のっぽさんがオススメする意外な3タイトル!のっぽさん自伝『夕暮れもとぼけて見れば朝まだき』刊行記念独占インタビュー後編

こんにちはブクログ通信です。

前篇につづき、『夕暮れもとぼけて見れば朝まだき――ノッポさん自伝 』刊行記念、のっぽさん独占インタビュー!

後編では「かいかぶりすぎる子育て法」、子供を「子供」と呼ばない理由!?、とんでもない読書家だったのっぽさんが選ぶおすすめタイトルなどお伺いしています。意外なその選書とは…?お楽しみください。

取材・文・撮影/ブクログ通信 編集部 持田泰 猿橋由佳

「かいかぶりすぎる」教育

―今日もお話しされていた、のっぽさんのお父さま「嘉一」さんのお話。お父さまはのっぽさんは「必ず大物になる」と予言をしていたから、「こんなふうな大人になってしまってごめんなさい」と、いつも謝っているみたいなこともおっしゃいましたけど。

親父ね(笑)。謝ってます。

―僕から見ると見事にお父さまの予言を成就されてるような感じがしますけれども。

そう思ってますかねえ……。親父はもっと私のこと偉くなると思ってたんですよ(笑)。

―あ、「かいかぶりすぎる」というお父さまですもんね(笑)

随分おじいちゃんになった親父に、そろそろ本当に褒めてもらおうと思って行ったって、全然褒めない。本当に不思議な顔して「え?そんなことわざわざ言いに来たんですか?あなたならもっとできますよ」ってやるの。言われた本人はどうなると思います?「あーあ……」みたいなもう(笑)。

―そうですか(笑)。なるほど。

すごいですよ。こんなに「かいかぶる」って。

―すごいですね。「甘やかす」のとは違いますからね。

全然違う。だって、本当に親父は「もっとできる」と思ってる。

―そこの徹底ぶりを、やっぱり親は持つべきなんですかね。僕も娘がいまして、かいかぶってるほうだとは思いますけど、そこまで徹底できてないような気がしますね。だからもう徹底的にかいかぶったほうが。

そう。徹底的にかいかぶったほうがいい。

―何か褒めてほしいって感じで来ても、「それは君なら当たり前でしょ」っていうふうに言ったほうがいいってことですかね。

そうそう(笑)

―そのお父さまによる、「嘉一さん流かいかぶり子育て法」をちょっとどこか出版社で出してほしいですね。

でもかいかぶりは本当に心底思い込まなければ、そんなふうには「小さい人」たちはとってくれませんよ。敵をそれだけ本当にかいかっぶっているから、私も「あーあ」ってなるけど、それを「かいかぶってやろう」って意識してやったって、向こうだって通じませんからね。本当にかいかぶれるならばいいですよ。

「子供」は「小さい人」であって大人より賢い

―のっぽさんは「子供」っていう言葉が嫌いとおっしゃっていましたね。

そう。

―「子供」として扱わずに「小さい大人」だと思ってちゃんと接してあげればいい。

いや「小さい大人」じゃないですよ。自分が「小さい人」になってればいい。

―あ、なるほど。自分が「小さい人」になるんですか。

だって「小さい人」って賢いですから、だから賢いと思ったらそれと同じ賢さだと自分を思えばいいんです。だから「小さい人」と「大きい人間」は、大きさだけ、違うだけで同じだっていうこと。

―なるほど。

本当に私はそっちのタイプですから。親父はそうでなくて私に関する限りは自分より優れた人間だと思ってくれてたんだと思いますよ。あなたは自分の小さい頃は覚えていますか?

―うっすら覚えてはいるんですけど、どこまで覚えているんですかね。さっきのお話でいくと『できるかな』は、本当に僕の心には刺さっていたんですよね。他の番組は大人が子供のために作っている感じがあって、同じ視線の番組であったのが『できるかな』だったんですね。

その「同じ視線」っていう言葉もいけないんです。それがまた大人が顔出しちゃってます(笑)

―ああなるほど(笑)。なんかわかります。そうですね。そういうことですね。

そう。もう全て同じ。頭の賢さも同じ。ヘタすりゃ敵のほうが賢い。私はそのつもりです。だから私は「小さい人」たちにウケようと思ってやったことはありません。私は私が面白いと思うようにやって出すと、それをもし向こうが受け入れてくれたらば、私は「小さい人」と同じであり、「小さい人」向けの仕事をする資格があると。

―なるほど。

これはね、本当はここまでも思ってないんですよ。だってみんながね、「こんど『できるかな』で子供にウケるために“シェー”ってやりましょう」ってよく言った。ほら、「シェー」ってあったでしょ。

―ああ、あの当時はその赤塚不二夫ギャグ全盛期ですもんね。

その時に、絶対に拒否するんです。「私は“シェー”は趣味じゃない」と。「小さい人」にウケるからと言われても。もちろんウケたかわかりませんよ。これが面白ければね。でも私の趣味じゃないから。私の趣味じゃないことやってウケたって、私は面白くもないから、その点は何にも考えないで、自分と同じ人を相手にするって。だから自分を相手にするっていう感じです。

―なるほど。そうですね。ちょっと……考えます。いや、考えちゃいけないのか。

そうなの(笑)。

―難しいですね(笑)。でもすごく重要なことを教えていただいて……。 「のっぽさんの教え」なんて教育本をどこか出していただけないものか!(笑)

のっぽさんは、お寺の蔵書を全部読まれた読書家だった?!

―改めてご本に書かれている、のっぽさんが「ノッポさん」になる前の経歴を掘り下げたいと思いますが、京都の太秦のそばにある竜安寺の「役者長屋」で生まれて、その後東京向島に引っ越して、疎開で岐阜に行き、戦後そこから戻って三鷹にお住まいだったと。立川高校に通われて西東京随一の進学校ですよね。

そう、一番の高校でしたよ。だから、岐阜から編入試験で。あそこら辺はみんな優秀な生徒があそこへ編入試験受けるでしょ。20何倍だったんですって。勉強も嫌いだから、試験受けたってどうせ入れないからと思ってたら、どういうわけだか……。でもね、あそこの学校で「進学先がみんな決まったかね?」って言われた時に、大学行かなかった生徒は私1人だけ(笑)

―そうだったんですね。

だって私の母が本当に言ったんですもん(笑)。

―ご本にも書かれてましたね。

そうそう、もうあの通り。「大学行くのなら自分のお金で行ってちょうだいね」って言ったから、「大学行くほどバカじゃない」って言ったの。

―かっこいいですね。

かっこいいって言うけどね、これは「悔しまぎれ」と勉強嫌いなんですよ。勉強が嫌いなんです(笑)。

―ご本にも書かれていましたが、疎開で岐阜にお住まいの頃にお寺の蔵書を全部読まれたそうですね。

はい。それはすさまじく読みました。

―15歳ぐらいで書庫の本を全部読み切って。

そう全部ですね。それから売れない芸人だから三十いくつまでありとあらゆる本を読みましたよ。

のっぽさん「ショックを受けない人は、たいした人間じゃありません」

―作詞などもやられてるじゃないですか。また詩人で宮沢賢治が好きだったみたいなことも書かれていたと思うんですけど。

宮沢賢治は、尊敬していて、大好きな人に入りますね。やっぱりものすごい人ですけど、宮沢賢治だけじゃなくて、ありとあらゆるもの読んできましたよ。

―のっぽさんから読書が好きな人たちに、こういう本を読んでみたら?というおすすめ3作品をあげるとすれば、何になりますか?

まず第一に挙げるのは『ガリヴァー旅行記』です。『ガリヴァー旅行記』の終わりのほう。「小人国の巻」なんて簡単な風刺じゃない。もっと違う……。

―馬の国の話ですね。ヤフーの語源にもなった。

そう、馬の国の話とかの最後のほうの章を読めば、ショックを受けるでしょ。この作品で「ショックを受けない人は、たいした人間じゃありません」って書いてください(笑)。

―わかりました。書いておきます(笑)

それから、西鶴はすごいです。例えば、みんながあんまり読んでないような短編の中に、すさまじい嫁いびりの話だとかっていうのもあります。それから、ジョイス『ダブリン市民』って私の本でも書いてますが、これは私を助けてくれた本。

でも、私を本当に助けてくれたのは、やっぱり『ガリヴァー旅行記』ですよ。あれは、「人間弾劾の書」って私は思っていますけど、最初のほうの風刺の「小人国の巻」だとか、あんなものはたいしたことないですね。終わりのほうです。

―のっぽさんからスウィフト『ガリヴァー旅行記』が出るっていうのはなかなかすごいことだと思います(笑)。

そう?(笑)。でもホントにショックだったんですもん。私が岐阜の加納高校の頃、先生のかわりに『ガリヴァー旅行記』を風刺文学だって講義をしたことあるんですよ。でもそれは単に「風刺文学」っていう評論やなんかを読んだ、バカののぼせ頭がやったもので、たいしたことないんですよ。それがもうちょっとわたしが歳とってから読んだ時に、その終わりのほうまで、きちんと読んだら、もう私は1週間寝られなかったんですよ。熱にうかされて。そのくらいあれがすごい本だってことがわかった。

―すごい重要なことをおっしゃられていると思います。

だから、私が『ガリヴァー旅行記』が好きだと知って、ある出版社が『ガリヴァー旅行記』を絵本にしませんか?って来たことあるんですよ。でも絵本にするとなると、「小人国の巻」でしょ。だから断りましたよ。これはそんな「風刺文学」的な分かりやすいものにしたら害をなす。端折っただけで『ガリヴァー旅行記』を読んだと思わせたら、人間にとってよくないと、私がそうだったから。だから私はお断りするって言って。

のっぽさん「『論語』も吹き出しながら読みなさい」

―面白いですね。たまに「古典を読むっていうのは、若いうちに済まさないと意味がない」っていう意見もあったりするんですが、それは反対で、若い時に読んでおけばもちろんいいのだけど、それをもう一度、ある年齢を越えた後で読んだら、また全然違いますよね。

そう。そういうこと絶対あるね。それは若い頃に、いい気になってるだけで浅く読んでるからですよ。

―そうなんですよね。

「読んだ」と思って「読まない」んです。若い時っていうのは。「読んだ」と思って「読まない」からよくないんです。『ガリヴァー旅行記』について、若い時は非常に簡単に考えていた。けど、違う。魂が震えるくらいの「人間弾劾の書」です。

―これは深いですねえ……。

まあそんなに言わないで(笑)。

―どうもすいません。しかもやっぱりスウィフト、西鶴、ジョイスが出てくる。やっぱりちょっとした読書家レベルとは違いますね。

でも別に人に教えてもらって読んだわけではないですから。ただすさまじい量をやっぱり読んでいますよ。だって『シェークスピア全集』なんてのが何十巻とあって、日本で上演されたことのない戯曲まで全部入ってるのを中学の3年くらいで全部読んできたんですよ。

―のっぽさんの文学講座みたいのをやったら面白いんじゃないですかね。

宮沢賢治の本も好きですけど、岩手県で宮沢賢治のファンがたくさんいるんですよ。私の感想を言ったって、1人もそんな感想聞いたことがないって(笑)。宮澤賢治記念館の人が「それを初めて聞きました」って。

―「宮澤賢治は唄いながら書いていたにちがいない」ってご本では書かれていましたね。

「唄」はもう絶対に宮沢賢治はありますよ。間違いなくありますから、その通りなんですけど、宮澤賢治の作品には行と行の間に書いていない部分がもう何十ページ分もあります。カニの 「クラムボン」を読んでみると、行の間には何にも書いていませんよ。でも、その行と行の間にダーッと書かれていないものが頭に浮かんでくる。それをあの人はわざと書かないんです。だから読むほうは、そういう部分も読んであげないと、あの人の本当のすごさがわからない。それから、非常に簡単なギャグをちゃんと貫いている。そのギャグがね、あの人を一級の芸術家として観ていたらそういう部分はとらえられない。わたしが「あーふざけてる」って思うところ、みんな難しく真面目にとらえてしまいますから。これは自分が宮澤賢治が好きだからって、何もいばって言っているんじゃないんですよ。

―はいわかります。でも何でしょうね。先ほどのの「小さい人」の話とも通じているような気がしますね。なんか、とても面白いですね。

面白いといえば、『論語』は読んだことありますか?『論語』も吹き出しながら読みなさいって、私は言うんです。

―それもまた、面白いですね(笑)。「『論語』は吹き出しながら読む」ですか。

『論語』はプップ吹き出しながら読みなさいって。

―いやーいいですね。なんか禅寺の問答ようで奥深い。

いやいや。ちょっとここでいばったようになってるから(笑)。プップと吹き出しながら読むっていうのは大変なことなんだけど、私なんか別に、勉強も何もしてないですが、あれをとにかく吹き出しながら読みます。ですから『論語』は吹き出しながら読みなさい(笑)。

のっぽさん「本は世の中で一番大事なもの」

―最後に、さきほど言ったように『ブクログ』というのは本が好きな人たちが使うサービスですので、ぜひこののっぽさんの本を勧めたいと思うんですけど、本が好きな人たちに、メッセージをいただけますか?

のっぽさん:そうですね。「本は世の中で一番大事なもの」ですって伝えてください。だって、ある意味ものすごい賢い人たちが、何千年もの間に培ってきた、それこそ「不変なもの」を取り出してくれるものは本だけだと思いますよ。だからその本が大事にされてない世の中なんて、もうろくなもんじゃないですよ。

―そうですよね。

そう。本は世の中で一番大事です。

―その言葉がのっぽさんから聞けて最高です。本日はありがとうございました!

関連記事

[2018年1月16日]「できるかな」最初の1年は喋っていた?!―のっぽさん自伝『夕暮れもとぼけて見れば朝まだき』刊行記念独占インタビュー前編