「できるかな」最初の1年は喋っていた?!―のっぽさん自伝『夕暮れもとぼけて見れば朝まだき』刊行記念独占インタビュー前編

こんにちは、ブクログ通信です。

NHK教育テレビのこども番組『できるかな』でおなじみだった「ノッポさん」こと高見のっぽさん。その自伝『夕暮れもとぼけて見れば朝まだき――ノッポさん自伝 』が岩波書店から刊行されました。今回ブクログ通信は昨年12月14日東京八重洲ブックセンターにて開催された「高見のっぽさん トーク&サイン会『夕暮れもとぼけて見れば朝まだき ――ノッポさん自伝』(岩波書店)刊行記念」に潜入しました!

軽快なタップダンスを披露しながらノッポさん登場!

『できるかな』放映時(1970年~90年)に実際に見ていた大人たちと、さらにその大人たちが自身のお子さんも連れてこられて、会場は大盛況。のっぽさんからは番組制作の裏話から、のっぽさんが「ノッポさん」になるまでの経緯、お父様とのさまざまなエピソードも。最後はのっぽさんと客席のみんなでダンスして一緒に工作!と、暖かい空気に包まれながらイベントは終了しました。

そして今回、ブクログ通信は高見のっぽさん独占インタビューも実施できました!「ノッポさん」は実は「不器用」だった?『できるかな』開始の1年は喋っていた?そして30年前の番組終了で抜け出せる思ったキャラクターとの和解?!などなど、さまざまにお話お伺いしています!

完全な『できるかな』世代のインタビュアー興奮冷めやらぬ思いで臨みました!

取材・文・撮影/ブクログ通信 編集部 持田泰 猿橋由佳

のっぽさんは、「サンタクロースみたいな存在」だった

イベント終了後に八重洲ブックセンターにてお話をお伺いしました!

―本日のイベント会場にも沢山いらっしゃっていましたが、僕はもう完全に『できるかな』世代ですね。

年代はどれくらいですか?

―40代です。

じゃあ本当に真ん中だ。

―はい。本当に『できるかな』で育った世代ですね。なので、まさかこういう形でリアルに「ノッポさん」とお会いできるとは!そしてあの「しゃべらなかったノッポさん」とお話できるとは!と感慨ひとしおなんですが、本日のイベントの最後の質疑応答で 「サンタクロースみたいな存在」と僕らの世代を代弁してくれることを仰っていた観覧者の方がいましたが、たぶん僕の世代はみんなが思っていると思いますよ。「のっぽさんはサンタクロースみたいな存在」だと。

そうですかね(笑)。

―ブラウン管の中にいた「ノッポさん」と「ゴン太くん」のキャラクターというのは、ちょっと他の番組と比較しても、飛びぬけて子供心を掴んでいたように思いますね。うちも兄弟全員でかじりついて見ていましたから、

当人は意外とそういうのはわからないですから。みんなには喜んでもらえているとは思っていたけど、「こんなにすごかったんだ」っていうのは、本当に本にも書いたように、自分でもわからないんですよ。むしろ番組が終わってからのほうが「おお、こんなことになっていたんだ」ってなってるんです。

―なるほど。

のっぽさんは、実は「不器用」だった

ただ、さっきも言ったように、私はもともと一生懸命だけど、『できるかな』はあの長い年月を全く気を抜かない、力を抜かないでやったんですよ。だから終わりのほうも全くだれてないんです。

―ご本の中では、そもそものっぽさん自身が、モノを造る番組だったにも関わらず、大変「不器用」だったと。

本当にそう(笑)

―20年間、不器用だからこそ毎回真剣に取り組んでおられたと。

そうです。本当にその通りだから。だから本当にそういうのも運が良かったと思う。

―『できるかな』では事前に台本はとくに準備されず、「ノッポさん」と「ゴン太くん」と声の「のこおねえさん」の三人が打ち合わせの中で即興のようにどんどん展開が決まっていったそうですね。

そうです。でも即興とはいえ、みんなお稽古の時は相手が何を狙っているかはちゃんと見計らっているんですよ。そんなボーっとしてるんじゃないですよ(笑)。みんな黙ってるけど、特に私が一応主導権は取るわけですから。ゴン太君とおねえさんは私のことは何にも言わないで、ジーッと狙っているんですよ。だからその点は3人の仕事のチームワークっていうのは、全く油断はないわけですよ。油断するとやられちゃいますからね。もしくは私がやっちゃいますから(笑)。

―先のイベントで番組の美術担当の方もおしゃってましたが、番組の裏でけっこう激しくやりあっていらっしゃったとか(笑)。

すごいですよ(笑)。激しくやりあうって言っても、私がうるさいだけなんです。上手にやれないと…上手って言っても、失敗しても上手にやれたように見えないと、私が「何をやってるの?」って怒るんです。それで向こうが用意したものを平気でダメにするんです。でもダメにしても、この「ダメ」を上手に使うっていう方法は一応芸人なので知っていますから、向こうも文句は言わないんですよ。

『できるかな』は「失敗」も大事な要素

―この本でも書かれていましたが、番組で作っていたものが最後にもげちゃったのが。

そう。もげた。タコの口のところがね(笑)

―タコですよね。それを覚えているっていう人がいて、声かけられたとか。

そう。だからそういう失敗もみんな番組では大事な要素で。

―それをお姉さんがうまく拾ってよい形に落としてくれるっていう、みんながその場で助けあって。

その場でね、こう、パッと拾ってくれるんですよ。

―すごいですね。それを音楽とパントマイム劇のスタイルでやるんですよね。

そう。音楽は頭から15分間で出来ていますからね。だから音楽に命令されながらやっているようなもんなんです。寸法は音楽で計りますから。この時間の中で何をやらなきゃいけないかとか。この中で音楽が変な余り方したら、それは「ヘタクソ」ということなんです。

―なるほど。

だからその失敗も、そんな自由に失敗できるわけじゃない。ちゃんとその中に合わせて、失敗も入れないといけない。

―だからミュージカルみたいなものなんですかね。

そうですね。とにかく15分なら15分の中に音楽はきちんとできてるんです。

―そうですか。だからなのでしょうか。先ほども申し上げたように、『できるかな』世代として思うのは、他の番組を批判するつもりではないんですけど、当時の教育テレビのラインナップってやっぱり子供心であまり面白いって思えなかったんです。ちょっとお説教くさくてちょっと教養くさい。でも「できるかな」は全然違ったんですよ。

全然違ったでしょう。

―みんなが「ノッポさん」や「ゴン太君」の動きに合わせて一緒に踊って何かを作ろうみたいな感じになるんですね。

そう。そういう意味じゃ他の番組とはやっぱりまったく違ったんですよ。

『できるかな』最初の1年は喋っていた?!

―その番組の構成アイディア自体というのは、のっぽさん自身もこういう形で、やっていこうっていうことだったんですか?それとも最初にそういうわりと…。

やっぱり最初に私を選んだってことはきっと、もう私にある意味で好きなようにさせようとしたんだと思いますよ。

―なるほどそうですよね。この『できるかな』の前身の「なにしてあそぼう」で抜擢された時から既にあのスタイルでしたか?

『なにしてあそぼう』はもっと自由だったんですよ。『できるかな』より。もっと自由奔放ないわゆる造形番組だったんで、すごかったんですよ。

―そうだったんですね。その『なにしてあそぼう』でパントマイムの無言劇をやりながら、キャラクターと一緒にかけ合って、上から声が入るっていう一つの番組のスタイルが出来ていたんですね。

それはもう『なにしてあそぼう』からです。

―しかもご本にも書かれていましたが、『なにしてあそぼう』から『できるかな』に移行した時は、一回降りているんですよね。その1年後に視聴者のたっての希望で『できるかな』にカムバックされたという。

そう、1年後に戻ったんです。

―その展開が意外でした。面白いですね。その間の1年は、「ノッポさん」役の代わりにどういう人が出ていたんですか?

男の子が二人か、女の子が一人かでの、造形番組なんですよ。でも彼らはお芝居したりしゃべったりしてやらなきゃならないから。でも全国の幼稚園・保育園の先生達がもう見ないって言ってきちゃったんですよ

―あれ?その三人組はしゃべってたんですか?

そう、しゃべってた。

―なんと!しゃべる番組だったんですね。

しゃべって作ってた。

―それで2年目以降、のっぽさんが戻ってからまた無言に戻って。

そうそう、また戻った。

番組終了後も「ノッポさん」は続いた?!

―そういうことですか、なるほど。すごいですね。そこから20年なんなんとする長寿番組ですか。

そう(笑)。恐ろしいですね(笑)

―本当に「教育テレビと言えば」の看板番組でしたもんね。

そうなんですよね。だって他の番組はもっと番組編成で変わりますもん。だから変わらなかったからね。

―30年前に『できるかな』が終了する時、本にも書かれていたことですけど、続けてほしいというオファーがあったんですね。

そう。「みんなと一緒じゃなければ私はやりません」って。みんな仲間ですから。一人だけ残ってやるのは嫌ですから。だからみんなでやめますって。

―その番組終了も30年前というのがちょっと驚きますね。まだなんか10年前くらいの印象なんですけど、30年も経ってますか。

ほんとそうだね(笑)。だから、それだけ「ノッポさん」がずっと続いてるってこと(笑)。恐ろしいこと(笑)。

―イベントでも話されていましたが、やっぱり「ノッポさん」のキャラクターがずっとついてくることは、少し辛かったっていうお話もされてたと思うんですけど。

芸人さんとしては要するに、考え方をある意味で間違えていたんですね。テレビで散々知られているキャラクターが終わったんだから、「何か違うものになろう!」って思うじゃないですか。まだ50代ですから。ところがいくらやったってダメなんです。これは、ある意味、とても辛いですよ。

―なるほど……。そうかもしれないですね。

そうですよ。

―それが自分の中で納得できたのが……。

70代に入ってからですよ。

―10年前くらいですか。そうなると本当に最近なんですね。

そうそう。それはとても辛いことでしたよ。

「ノッポさん」との和解

―そうですよね。やっぱりもう街で見かけただけで「ノッポさん」ってわかりますよね。

でも、それがね、むしろ今のほうがすごいんですよ。

―あ、なるほど。ちょうど、僕らくらいの世代の人たちが大人になって…。

その世代の人たちが私みて「何かあやしい」と思うらしくて(笑)。

―思いますね(笑)。

そう。電車で席を譲られたりね。小声で「見てました」って。

―わかります(笑)。

だから、番組終わったばっかりの頃は自分も気配を消して歩こうとしたりなんかしましたけど、今の方が、気配を消す必要もないくらいなんも出していませんよ。それでもね、「ノッポさんですか?」って。

―その帽子はかぶってないんですよね。

こんなものかぶってるわけないじゃないですか(笑)。これかぶってたらすぐわかっちゃう(笑)。

―今は自分が「ノッポさん」ということも認め、芸名も「高見映」から平仮名の「高見のっぽ」にされましたね。

そう、もうしちゃったんですよ。

―和解したわけですね。

そうそう。もうしょうがねえなっていうやつ。

―でも「ノッポさん」のキャラクターを背負うことは本当に辛かったのかもしれないんですけど、「僕らの世代のサンタさんだった」とそこまで思われるキャラクターってなかなかいないと思うんですよね。

そう思いますよ。だから本当にすごいのをやらせてもらった、自分はやってきたって思いますね。そりゃ思うでしょう。だって番組終わって30年経っても「ノッポさん」ですよ。

―そうですね。実際、僕も今こういう話をしてても、なんか夢の中にいる気持ちで現実感がないです(笑)。

ああ、そういうものですか(笑)。

―僕もいろんな人のインタビューしてるんですけど、今回ばかりはどうにも不思議な気持ちになります(笑)。

そうですか(笑)。だから、恐ろしいものやったなって思ってね。別に得意になっているんじゃないですよ。得意になれるわけないじゃないですか。ただ、そういうものだったってことがわかったってことなんです。


この続きはインタビュー後編で!後編では、のっぽさんのお父さまが実践した「かいかぶりすぎる子育て法」、子供を「子供」と呼ばない理由が語られます。また、のっぽさんが選ぶおすすめ本は意外なセレクト?!お楽しみに!

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