関係者だけで盛り上がって広まらないイベントは意味がない
―「こわれ者の祭典」や東京でのいろいろな朗読イベントで、「苦しみ」「生きづらさ」を抱えている人たちが成宮さんの朗読を聴きにくるわけですね。
そうですね。今時な方たちも多くて「何でこんなリア充な人が来てくれたんだろう」って思うことがあるんですけど、実は小さい頃に嫌なことにあって以来、あんまり人と話ができないとか、人は見かけではわからないんですよね。最近多いのが精神科の看護婦さんが来ることが結構あって。
―おもしろいですね。それは看護婦さん自体が苦しみを抱えているんですかね。
どうなんでしょう。どっちの意味で来てるのか。当事者の話を聞きに来たいのか。もしくは自分も引っ張られちゃうからツラいのか。人にはいろんな生きづらさがありますもんね。
―結構いろいろな方がいらっしゃるイベントですごいですね。
そうですね。お母さんと来る女の子とかもいたりします。
―巻末の雨宮処凛さんとの対談でもそうでしたけれども、サイトで公開されている動画見ていても思ったんですけれども、すごく明るく、決して負の感情に流された感じはなく、笑い飛ばしている展開でやられていますよね。
一番これだけは大事にしないといけないと思っているのが、イベントでも朗読でも全部そうなんですけど、ポップにするということです。そうじゃないとその分野にもともと興味がある人しか集まらなくなってしまうっていう不安があります。そうなると、やっている意味がなくなってしまうし、関係者・出演者だけで盛り上がっても、外側に広まらないとイベントは意味がないような気がしてモヤモヤします。興味がない分野でも、何か面白そうなら行こうって思うかもしれないから。
今回の帯文をどうしても松永天馬さんにお願いしたかったっていうのも、現代のことや生きづらさを一見ポップな音楽と言葉で表現していらっしゃるからなんです。イラストもちょっと入れてもらったのもそうですね。
―ああこちらですよね。
そうです。真剣で真面目な暗い「生きづらさ」専門家です、みたいな感じにはしたくなかったので。イベントだと、トーク部分もいっぱいあって、ライブの感想が「トークが面白かった」って書かれて、「ちょっと!ライブ部分どうだったの?」みたいなこともあるんですけど(笑)。でも楽しんでもらえた方が嬉しいです。
―実際「生きづらさ」がテーマとなるとたしかに普通の人が怯えちゃう可能性があるけれど、実際動画見てみると、結構楽しくやっていらしゃる。
そうですね。
―楽しいんですけど、朗読される詩の内容が結構エグかったりしますよね。
それもミュージシャンの人としっかり合わせて音楽にしています。ただリーディングをしますっていうのは、私はどうしてもできなくて、それで詩関係のイベントにはすごく悩んでも、出ますって言えないんですよね。
―そうでしたか。逆に成宮さんの方から「それはちょっと」と。
「憎」をこれだけ抱えたまま詩と呼ぶことがどうしてもできなくて。でもこの本が出たことで、はじめて言葉への気持ちが落ち着いてきたので、愛憎の「憎」が少しだけ減ったような気がします。
―これがひとつの節目となって、いろんな形の場に出られると、また逆にいろんな刺激にもなっておもしろいのではないかと思いますね。
ライブハウスでバンドとか音楽のイベントだと大丈夫になるんですけど。
―音楽イベントの方に出ていたんですね。
そうです。そうです。「詩です」「言葉です」っていうのが自分では言い切れなかったので。
―成宮さんの声のセットで考えるとやっぱりいろんな場所で朗読されたらよいかと思いますが、そうなると、音楽イベントだと歌ったりすることもあるんですか?
節や音程はあったりしますけど、朗読しかしないです(笑)。歌う方と一緒にやったりはしますけど。ベースやドラムの入ったバンド編成での朗読もしています。
―歌うことも今後もしかするとあるかもしれないですか?
いやあどうでしょう考えたことないです(笑)。でもバンドと一緒に出て朗読する方がいいですね。
―たしかに公開されている動画では横に演奏者がいるライブ映像が多かったですね。
そうですね。ちんどんバンドと一緒にやったりもしました(笑)
―ちんどん屋とも共演していましたか!
小さなエピソードでも、いろんな人が共感できることが、嫌いだった言葉のできることのすごさ
―ちょっと別の切り口でご質問さしていただくと、成宮さん普段はどういう本を読まれていますか?
事件のルポとドキュメンタリーが好きです。
―そうですか。この本のタイトル通り物語とかファンタジーよりも、ドキュメンタリー。
小説は、高校生の時は読んでいましたけど、それ以降は全然読まなくなりました。イヤミスだけは読むんですけど。今はほぼルポタージュばっかりですね。
―結構そういう、リアリティというか、作られたものよりも現実的なものが。
はい。人が何を考えて…一人でいる時に何を考えているのかすごく知りたくて。
―ちなみに、何かそういう散文といいますか、小説的なものとか、そういったものは書かれたりはしてないんですか?
してないです。
―今後書いてこうという感じもあまり?
そうですね。エッセイやコラムの仕事の場合は、以前に短く書いたものを、どうしてこういう風に至ったのかって伸ばして書いたりすることで、自分の中で頭の整理に近いことはしています。
―長い文章は文章で頭の使い方が違いますものね。
ドキュメンタリーが好きっていうのも、そもそも私の表現って、人からエピソードを募集して書いたり、「あなたの言葉を叫びます」って言って人の言葉を朗読するコーナーもあるので、現実にあることをちゃんと伝えたいというか、頭で作った「お話」ではなくて、今起こっていることなんだよっていうのを、文章にしてまとめたい欲求があって。
―なんかわかりますね。本の中にあったエピソードで、学校の友達がいないで卒業証書を持って紳士服売り場の踊り場ベンチでぼんやりしている。あのシーンは印象的なエピソードで、すごくリアルな感じがしましたね。
ああ、イトーヨーカドーで。はい。(笑)
―そこは誰とも会わないから落ち着ける場所だという。
おじいちゃんとおばあちゃんしかいないんですよ(笑)
―そうですね。僕が同じ経験をしたというわけではありませんが、なんか似たようなことありますよね。
ありましたか?聞きたい(笑)。
―なんか人は弱った時に隙間に入っていこうする習性があると思うので(笑)。すごくリアルな感じがしました。
そうですね。
―そういうちっちゃいエピソードの積み重ねが、どれも作り事ではないことも非常によくわかるので、現実に存在する新潟のイトーヨーカドー館内の感じがよく伝わりました。
文章って不思議なもので、人のエピソードを書いた時に書いている私自身も「これ私のことかも」って思えたりして、それをライブで朗読すると、聞いた人も「これ自分にも同じことがあった」って、人前では話せなかったその人の小さなエピソードがいろんな人に伝わって、その人自身も、これは結構みんなあることなんだって安心して人に言えるようになったりするんですよね。そういうのができるのが、嫌いだった言葉のできることなので、すごいなあと思いました。
―おもしろいですね。「伝えるには言葉だけでは足りないんだけど、足りてないからこそ、その奥の経験が言葉を通して人にちゃんと通じることがある」って話をブクログインタビューで説明されていた方がいらっしゃいましたので、その感じと今すごく似ているような気がしました。
はい。すごくわかるような気がします。
ムキになって「希望」っていう言葉を意識的に使っているのは「希望という言葉が死んだ」という言葉をTwitterで見たから
―そうやって人のエピソードを集められて、成宮さんが詩にした作品は、この本で何作品あるのですか?
収録しているのは2つですね。「その足元にまでも」と「あなたのドキュメンタリー」です。
―こういう「集合詩」は、今後もライブなどでも展開されるのですか?
そうですね。今は、「あなたの希望を教えてください」っていうのを募集しています。Twitterで「希望という言葉が死んだ」って書いてあるのをよく見かけるんで(笑)。
―ああなるほど。つまり某政党の方の(笑)。
そうですね(笑)。「『希望』を殺さない人が使えば、『希望』という言葉は死なないから、あなたが今進行形で感じている『希望』のことを教えてください」って。結構いっぱい集まりました。
―おもしろいですね。あなたの「希望」ですか。じゃあそういうエピソードの募集はTwitterとかでやるんですね。
そうです。そうです。最近ムキになって「希望」っていう言葉をいっぱい意識的に使っているのはそれが理由なんです。結構いろんな人が書いていたので。
―じゃあ、今後成宮さんのアカウントでもそういうのを募集していくんですね。
はい、今後も募集します。「希望」は長く続けると思います。「希望」は死なないので。
―Twitterを使って集めたみんなのエピソードを成宮さんが作品にしてくスタイルはおもしろいですね。何か現代フォークロア的な。言葉が集まって成宮さんが媒体となってひとつの作品を紡ぎだす。じゃあ今後もひとつ大きなテーマとしてこの活動を続けると。
続けます。私は、自分のことを書きたいわけではないので。「こうすればうまくいく」的な本を読んでも当てはまらない私が自分のことなんて書いても、何の意味があるんだろうと思いますし、いろんな人がいっぱい考えていることなら書きたいんです。
―おもしろいですね。最初、僕は、成宮さんに会う前、若干怖気ついていたのですが(笑)
いろんな人にそういわれるんですけど(笑)
―今のお話聞いて安心しました、というと失礼にも聞こえる表現なんですが(笑)。すごくいろんな苦しさを体験されてきているからこそ、自分自身のお話を中心に据えてしまう人も多いじゃないですか。そうなっちゃうと、人に伝えるインタビューとしてとても重いものになってしまう可能性があるなと思ってですね。
そうですね。
―でも、今のお話は、自分を中心においていることではないということですね。ただ、成宮さんという方が最初に僕が思っていたとの違って、「生きづらさ」や「弱さ」っていうのは全面に本には出ていると思いますけど、むしろとてもタフな方なんだなと思いました。
ありがとうございます(笑)。全然繊細じゃないです(笑)。
―繊細でもあると思うんですけれども、すごく、体を張られているので。
それで結構イベントに呼んでもらえなくなるとかあるんですけど。
―イベントに呼んでもらえなくなる?
はい。その本にも書いたことなんですけど、「障害は個性だ」で終わらせようとしないでほしいんです、「個性で片付くような地獄があるか」って。
―なるほど。たしかに「ツラいことは人としての肥やしになるんだよ」みたいのことを言いたがる人はいますよね。
何でも「障害があって良かったです」みたいにされると、やっぱり頭に来るし、全然良くなかったし、生まれ変わったら同じ経験は絶対したくないし、地元大好きなマイルドヤンキーになろうと思ってるし。ただ、障害の経験を持ってしまったからにはせめてその中で楽しく生きる方法を、と思っているだけなんです。
―なんか、日本人の特徴なのか、ちょっとそういうネガティブなものを逆にプラスに考えようということ、ほんとに苦しいものに対して、麻酔としての「ありがとう」と言って、ツラさをツラさとして直視しない風潮がありますよね。
そうです。嫌なことは嫌です。ツラいことはツラい。悲しいことは悲しい。
―それをたぶん成宮さんは、ちゃんと直視すればそれに耐えられると思っているのか?ってことを、いろいろ書かれていて。
私には「怒り」が結構あって、でもその「怒り」を前面に出すと、最初に言っていたように広くは届かないから、「悲しい・ツラい・怒り」をどうポップにできるかっていうのを考えていて、なので、欅坂の「サイレントマジョリティー」が絶賛される理由がどうしてもわからなくて。
―不意にヒット曲批判が入ると、震えがきますね(笑)