サイレントマジョリティーはOne of themであってもいい―成宮アイコ『あなたとわたしのドキュメンタリー』独占インタビュー

こんにちは、「ブクログ通信」です。2017年9月20日に書肆侃侃房さんから刊行された『あなたとわたしのドキュメンタリー』の著者、成宮アイコさんへインタビューを実施しました。

「生きづらさ」をテーマに全国で朗読ライブを続ける詩人・成宮アイコさん。家族からのDVを受けながら詩人デビューへいたる経緯、言葉への「愛憎」と「信頼」Twitterで募集したエピソードから編み上げる独特の作詩法そしてあのヒット曲のこの部分がどうしても我慢できない(?)お話などさまざまにお伺いしました。今もっともアツい「朗読詩人」の素顔に迫ります!

取材・文・撮影/ブクログ通信 編集部 持田泰 猿橋由佳

話し相手がいなかったから、毎日たくさんの種類の日記を書いてた

―よろしくお願いいたします。まずは『あなたとわたしのドキュメンタリー』のご出版、おめでとうございます!

ありがとうございます。

―さっそくですが、ご本を読ませていただきました。あらめていろいろお伺いできればと思いますが、それこそもう「赤裸々に」書かれていらっしゃるなあと思ったんですけれども。成宮さんは「生きづらさ」をテーマにした「朗読詩人」として、さまざまな活動をされていますが、そういう活動をされて、どれくらいになるのですか?

そうですね。主催している「カウンター達の朗読会」を始めたのは2013年からなんですけど、本格的にライブをやるようになったのはここ2年ぐらいです。

―なるほど。

それまではほんとに年1回2回イベントに出たりしていたくらいです。

―「詩人」になろうとした経緯はなんだったのでしょうか?

もともとは「言葉」に対して「愛憎」があったので、自分でも、便宜上「詩」とは言っているんですけど、たとえばSNSとかで書く時にも「新しい詩(暫定)」って書いたりして、「詩」を書いています!ということはあまり自分では言ってこなかったんですよ。

―なるほど。

もともと書き始めたのが、小さい頃に「お前の声気持ち悪い」とか、学校で、「あいつの声ぶりっ子」とか「声」についてすごく言われていたことがあったんですね。なので、喋ることが怖くなってしまって。

人とあんまり会話をしなくなると、かえって会話の代替欲求というか、コミュニケーションはしたいという気持ちが強くなってきて。でも、「声」を出すこと、「人と話す」ことが怖い。だから「日記を書く」しかなくて、「書く」ことはただの最終手段だったというか…。なので、私に仮に毎日いっぱい話ができる相手、毎日電話ができる相手がいたとしたら、「書く」なんてしなかったと思うんですね。喋ったほうが楽しいし。

―なるほど、なるほど。

成宮アイコさん近影2

でも私には話し相手がいなかったから、毎日いろんな種類の日記を書いていました。「本当にあったことしか書かない誰にも見せない日記」とか。逆に、「公開してもいい嘘の自分を創作した日記」とか。他にも「自分の一日を一行でまとめる」って決めて、「一行にするにはどうしたらいいんだろう?」って考えて書くようなメモ帳とか。とにかくすごくいっぱい書いていました。暇だったんだろうなあと思うんですけど(笑)。

―巻末の雨宮処凛さんとの対談でも話されていましたね。

そうです。そうです。雨宮さんには「そんなに日記書くなんて明らかにおかしいから」って言われて(笑)。

―理想の自分がしていたら嬉しい嘘を書いていたとかですよね。「友達とこんな話をした」とか(笑)。

そうです。してないのに(笑)。そういうのをネットでいっぱい書いていたんですよ。ネット上でも、手帳とかメモ帳にもずっと書いていて。そこがもともとの始まりでした。

―それは、今のお話だと、ネットでも書いていて、手書きでも書いていて。

そうです。そうです。

―ブログもいろいろ作っていたんですか。

そうですね、当時まだSNSじゃなかったので、日記サイトみたいなものを、いろんな名前で書いていました。

―その頃だとまだガラケーですかね?

はいガラケーで書いていましたね。ヤプログとかメモライズっていう日記サイトとか、その後はmixiとか。とにかくたくさん書いていました。忘れちゃうことが異常に怖くなって、人と話さない代わりに何かに残して自分の毎日を記録せねばと思って。

―それは、すべて偽名というかハンドルネームで書かれていたんですか?

そうですね、本名で書いたことは1回もないです。

―なるほど。今の「成宮アイコ」さんは本名ですか?

違います。これも全然本名じゃなくて、子供服のナルミヤ・インターナショナルが好きだから付けただけなんです(笑)。

―ああなるほど。そうだったんですか(笑)。

「誰かと話したい」っていう感情から書き始めて、その先の人と関わりたかった

成宮アイコ近影3

―じゃあ2000年代からさまざまな形で日記を立ち上げて、あらゆる人格を演じながら言葉を紡いでいた時期があると。しかしそこから現在の「朗読詩人」にまで至る流れには、わりと飛躍があると思うんですけれど。

そうですね。こういう活動をするきっかけは、「言葉の展示」をしたことからですね。

―展示ですか?

はい。私は学校にあんまり行けなかったので、学校に行かないと毎日に時間的余裕があって(笑)、地元の新潟市に映像作家のナシモトタオさんが始めた「Pプロジェクト」っていうシアターがあって、そこによく出入りをしていたんです。そこは、何故か学生が昼間いても誰も怒らないから(笑)、だんだん居心地が良くなって。空いているスペースがあると作品を展示している人もいたので、「私もやりたいです」って言ったら、スペースもただで貸してくれたので、そこで「言葉の展示」を始めました。

―なるほど。新潟の高校時代はいろいろ「生きづらかった」と書かれていましたけど、その新潟で、ある種の「逃げ場所」というか、いわゆる「サードプレイス」というものがあって、そこに出入りしていたんですね。

そうですね、学校に居場所はなかったんですけど、学校の外では居場所がいくつありました。でもやっぱり同世代と仲良くしたいとか、たとえば、プリクラ撮りたい、学校の帰りに誰かと喋りたい、休み時間一緒にトイレ行きたい、っていうことが、全然叶えられなかったんですけどね。でもそれ以外の、家と学校以外の居場所で「何か作っている人」とは結構出会えたりしました。

―そういうちょっと文化系の大人たちが新潟にはいて、そこである種のネットワークが形成されていたんですね。

すごく仲が良いというわけではなかったんですけど、誰も悪口を言わない場所ではあったので。

―成宮さんの表現活動はそういう学校の外の逃げ場所から始まったということなんですね。

そうですね、本当にとにかく「誰かと話したい」っていう感情がすごく大きくて、その感情で「何とかならないか」と思って書き始めて、「何とかならないか」と思って展示を始めてっていう。その先の人と関わりたいっていうのが常にありましたね。

―その展示を始めた後に「こわれ者の祭典」という朗読イベントに参加する。これは東京のイベントですか?
成宮アイコ近影4

新潟で始まったイベントです。新潟に「NAMARA」っていうお笑い事務所があるんですが、そこがおもしろいイベントを開催していて、たとえば、新潟でいじめによる殺人事件が起こった時に、関係者や家族を呼んでみんなでトークイベントをするとか。元刑務所にいた人と保護官の人をみんな一緒にしてトークイベントをやるとか。何でもやる事務所だったんです。

―なかなかアグレッシブですね。

その「NAMARA」代表の江口さんは、「自分は社会的運動をしたいわけでも、差別をなくそうと思って活動してるわけでもなく、ただ本人の話を聞きたいからやってるだけ」っていう方なんですけどね。もう一人、月乃光司という詩人がいまして、その人が「病気」系のイベントを立ち上げたいと企画したんです。そうしたら、江口さんが「それ超おもしろいじゃん」って言って、NAMARAでやることになって、それが「こわれ者の祭典」です。

―なるほど。新潟はおもしろいですね。

NAMARAの江口さんは私の事を前から知っていたんですよ。私が中学生の頃にNAMARAのお笑いライブを見に行ったことがあって、私が具合悪いのも知っていて、展示会をしたのも知っていて、「そんなに死にそうなら、今度イベントやるから見に来なよ」って朗読のイベントに誘ってくれたんです。そこに月乃光司さんが出ていたんですね。私は「こんなにかっこ悪い大人なら私も喋れるかもしれない」と思って、すぐその場で、アンケート用紙の裏に手紙を書いて渡したんです。そうしたら、月乃光司さんが私の展示会を見に来てくれて、直接「こわれ者の祭典」出てみませんかと誘われて、そこから人前に出るっていう訓練が始まりました。

―なるほど。ご本には、最初は舞台に自分が立つのが怖かったから舞台に人形を立たせて、舞台の袖に隠れて朗読していたとありましたね。

はい(笑)

―おもしろいですねぇ。そうなんですね。

とにかく私は醜形恐怖症もひどかったし、自分の声を聞かれるとかがすごい怖くて。

―動画を見せていただいたんですけど、成宮さんの「声」は、たぶんいろんな大変なこともあったとは思うんですけど、逆にその「声」に救われていらっしゃるところってすごくあるなあと感じて。

あ、はい。ありがとうございます。

―結構重い内容を朗読されるじゃないですか。でも、それが成宮さんの声で朗読されることによって、その落差で救われるといいますか。あれを普通のおじさんの声で読むものでもないだろうなと。

ああ、はい(笑)

―その、少女の声ですから、ああいうことを朗読されることで、かえって強いメッセージ性が生まれるのかなと思うと、逆に「声」が武器になっていて、それこそ今、成宮さんが感じている「生きづらさ」を、全部うまく生かしているのかもと。

そうだと嬉しいですね(笑)。

言葉が「100%好き」とは言い切れない

成宮アイコ近影5

―その後、舞台の上で成宮さん自身がその「生きづらさ」を朗読するようになり、今に至るわけですが、同じ「生きづらさ」を感じていてもそこに立てない人って大勢いますよね。

そうですね。

―今は新潟から東京に活動拠点移されて、決して退却せずに、一歩一歩着実に進んでこられたという、その成宮さんの勇敢さを讃えたいですね。今は本の宣伝も積極的になさっていますよね。

はい(笑)私なんか無名なのに書肆侃侃房さんが本を出してくれたので、どうにか、ちょっと自分でも動かないと思っていて。

―そうなのですね。でも、お話ししていても、決して非社交的には見えないですよね。

時間がかかりました(笑)。

―そうですか。でも、お気持ちわかりますよ。僕なんかはもう大人になって結構長いので、それなりに社交できるようにもなりましたけど、どこかで「社交めんどくせぇなあ」と思っている面もありますから(笑)、そういうもんですよね。

たとえば「ライブができるからもう大丈夫でしょう」とかじゃなくて、それはただの場数なだけなんです。「あなたは言葉が書けるからいいわね」って言われたとして、他にすることがなにもなかったから書いていたんだよって、ちょっとイラっとするじゃないですか。

―なるほど、そうですよね。

ほんとに才能ではなくて、場数と今までの何年間があったからだっていうことは言いたいです。才能がある人なら、一発目からできちゃうんですよ。

―器用にこなせる人間は世の中にたくさんいますからね。不器用なりに、ただ逃げずに一歩一歩進んでこられた結果、今の成宮さんがいて、今は人の前で詩を朗読できる。

はい、他に手段がなかったので。

―ご家庭や学校もいろいろ大変だったと思うんですけれども、今、成宮さんがこういう活動をされているってことは、地元のご家族はご存知なんですか?

母親は応援してくれているんですけど、父親や親戚とはその後、会ってないので全然わからないです。

―なるほど。そうなんですね。

成宮アイコ近影6

それもあって、本にはやっぱり書けないことがいっぱいあります。「ライブでしかとても言えないようなこともある」と本に書いたのはそこです。

―ご家庭の状況を少しお伺いすると、父方の祖父から暴力を受けていたと。

はい、もう、超DVでした。

―超DVのおじいさんの元に、成宮さんのご家族が同居されていて、母子を残してお父さんが蒸発されてしまってということなんですよね。

はい。血がつながってない家族でした。血のつながってないおばあちゃんもいて。

―なるほど。で、そこで結構いろいろ酷い虐待を受けていたと。

そうですね。

―それは…大変でしたね。

大変でしたね(笑)。

―こういう言い方で申し訳ないですけど(笑)。

とんでもない(笑)。でもこういう人ってすごいいっぱいいるんだなあと思っていて、こういうことを誰かが1回言うと「自分もそうだった」って教えてくれたりして、ちょっとほっとするというか、ちょっと楽になるというか。

―そういう、家族からひどい暴力やネガティブな言葉を叩きつけられてきたことで、本でも書かれていたように「言葉が憎い」という感覚になったのですか?

そうですね、あと、自分が活動してきた中で、やっぱり自殺して亡くなってしまったお客さんも結構いたので、私が朗読なんかしても何の意味もないんじゃないかっていう不毛感にも苛まれていて。でもその反面「その気持ちわかります、助けられました」っていう人もいて、なんかもう言葉に対して愛と憎が同じぐらいの気持ちです。

―なるほど。

だから「言葉が100%好きです」とは言い切れないですね。

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