一番ダサくて愛おしかった頃、90年代を書いた―燃え殻さんブクログ大賞受賞インタビュー前編

燃え殻さん近影&インタビュー前編

こんにちは、ブクログ通信です。

『ボクたちはみんな大人になれなかった』で第6回ブクログ大賞フリー部門を受賞された燃え殻さん。

燃え殻さん『ボクたちはみんな大人になれなかった
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今回のブクログ通信では、燃え殻さんに受賞記念インタビューを行いました。どんなことを書こうと考えていたのか?作品はどれくらい事実に基づいているのか?登場人物のモデルは?さまざまなテーマについてお伺いしました。ぜひお楽しみくださいね。

取材・文/ブクログ通信 編集部 持田泰 大矢靖之 猿橋由佳

『ボクたちはみんな大人になれなかった』のなりたち

―第6回ブクログ大賞のフリー部門は、ユーザーが期間内に読んだ作品の中で、最も人に勧めたいものに投票し、その中から決定します。今回、フリー部門は燃え殻さんの『ボクたちはみんな大人になれなかった』に決まりました。

改めましておめでとうございます!

嬉しいです。ありがとうございます。

燃え殻さんにブクログ大賞受賞盾をお渡ししました!
燃え殻さんにブクログ大賞受賞盾をお渡ししました!

―私も読ませていただきました。大変面白かったです。同世代として身に染みたと申しますか。早速ですが、燃え殻さん、来歴について質問させてください。燃え殻さんの人生は、だいたい…この小説で書かれている通りのものだと捉えていいんでしょうか?

全部が本当の話というわけではないですけどね(笑)。

―あれは、実話ベースではあるんですよね。

実話ベースです、はい。

―この小説の中では、鶯谷の広告専門学校に行き、その後エクレア工場でアルバイト。そしてテレビ業界に入ったと書いてありますね。

そうですね。テレビ業界に入る前に別の仕事を一つしていたので実際は少し違うんですけど、でもほぼほぼ同じです。

―ほぼほぼ。この小説は実話をベースに、創作も交えつつ書かれていたと。

そうですね。流れ的にはほぼほぼ実話です。cakesで連載をやってたときは、ほとんど毎週取って出しみたいな感じでやってたんですけど、基本的には、自分の人生において「こうあったらよかったな」っていう希望も入れながら書いていたというのが正直なところですね。

―なるほど。

実人生ではもっと「うまくいってないこと」は沢山ありました(笑)。

燃え殻さんとTwitterの出会い、そして多くの人たちから共感されるまで

―そうなんですか(笑)燃え殻さんは作家としてデビューする前から、Twitterでは有名人で、昨年7月の時点では9万人のフォロワーだったのが、2018年11月現在は22万人になっています。1年ちょっとで13万人もの読者があたらしく増えたということになりますよね。

そうですねえ…。もうほんとに嬉しいですけど、あんまりそういうのは意識しないようにはしています。

―このフォロワー数はもう桁違いかと思うので驚くばかりです。個人アカウントでこれだけのフォロワー数、そしてこれだけ共感をもたれるような影響力のある方は中々おりませんから。こう「Twitter有名人」になる契機みたいのはあったんですか?

自分が「Twitter有名人」というものなのかは知りません。でも、一つのきっかけは、東日本大震災だったと思います。震災の頃までは、Twitterの使い方を僕もよくわかっていなかったというのが正直なところで。その頃ある出版社さんとの仕事で、その担当者とTwitterで「今2階にいます、来てください」「わかりました」みたいなやり取りをしていたんです。だから、Twitterっていうのはそういうものだなって。「140字だから、みんなが何してる、とか、今どこにいる、っていうのを言い合うものなんだな」くらいな感じだったんですよ。

それが、3.11で大変なことが起きてしまってから突然、「○○に物資が足りない」というようなことを、一部の人たちがTwitterで言い出し始めたりして。そこで、Twitterの使い方がさまざまな形にわかれていった気がします。政治的なことを言う人も増えたと思います。それまでそんなこと言ってなかった人もそういうことを言い始めたり、それでやめちゃう人もいたり。

―確かにあのタイミングでよくもわるくもTwitterの世界が変質したように思います。

そう。僕はそれを夜な夜な見ていたんです。仕事もテレビの美術制作をやっているんで、悲惨なものごとを扱うことが多くなりました。だから「殺伐としてきたなあ」って思っていたんですよ。夜中にTwitterを眺めていても、被害があった地域ではまだ行方不明の人がいたり、震災の影響でうまく眠れない人がいるとか、そういう悲惨なことが、虚実まじってタイムラインにあふれていて、僕も寝れなくなっちゃって。

そのときに、何かの拍子で「フィッシュマンズの『ナイトクルージング』っていうのをかけて寝るっていうのはどうかな」って自分に言いきかせるようなポストしたんです。フィッシュマンズの「ナイトクルージング」っていう曲を僕が好きだったもので。

そうしたら全然知らない人たちから「フィッシュマンズ懐かしい」とか「その『ナイトクルージング』って曲を知らないんだ」って返事がきて、僕もそれに返事をしたりして。そんな知らない人たちとみんなで一緒にフィッシュマンズを聴く夜みたいなのがあったんです。

―いい話ですね。そうだったんですか。

そのときに「こういう感じで繋がることもあるんだ」って思ったんですよね。世界が殺伐としていても、ふとしたことで、みんなが「暖を取る」ように集まって。だから僕のフォロワーが幸いにも増えていったのは、僕がこの時に「これからもこういうふうな使い方をしたいなあ」みたいに思って、その後もそういうふうに使ってきたのかもなあって思います。

―なるほど。「暖を取り」に来てくれるように人が集まると。

あとは僕は昔、ラジオのハガキ職人をずっとやってましたから。みんなが喜ぶようなことはこういうことなんじゃないか、って投稿してみたりして。スケベな感じですよね(笑)。

―「ラジオのハガキ職人」の経験が一つのきっかけだったっていうのは他のインタビューでもお話しされていましたね。でも、燃え殻さんのツイートを拝見していると、ポストの内容は、ネタに走り続けているわけでもないですよね。ふざけすぎちゃってたり、ちょっと露悪的になっちゃうとか。そういうのがなくて、「盛らない」印象がありますね。あまり自分のキャラクターをセットしてゆかずに、燃え殻さんの日常的かつストレートな声をすーっと書いているのかなあって。

それは、逆に「そういうキャラクター」をセットしてるのかもしれないです(笑)。できる限り、そうなりたくないっていう。それこそラジオへハガキを送る人とかも、「自分は芸能人や有名人じゃないけど、この番組に参加したいんだ」ぐらいの、「そっと入る」みたいな姿勢で。そういう気持ちでやってるのかもしれない。「僕はここじゃ常連なんですけど」みたいなタイプは気分悪いじゃないですか。で、誰なんだお前っていう。

―確かに、燃え殻さんには押し付けがましさがない。Twitterに限らずSNSってフォロワーやいいね数が増えれば増えるほど少しその人を勘違いさせてしまう傾向はありますよね。

フォロワー数を競うような発想って僕は「気持ち悪いなあ」と思いながら、でもやっぱりフォロワーが多いことで「ああ良かった」って思うんですよ。それは承認欲求です(笑)。だから「気持ち悪い」→「良かった」→「気持ち悪い」→「良かった」のループです(笑)。それが「気持ち悪い」ですね(笑)。

遅れてきた思春期、そして一番ダサかった時代、「90年代」

―その部分も、あけっぴろげにお伝えいただけることも、燃え殻さん的だなあっていう感じがしますね。

ああ。そうなのかなあ…。

―「ほぼ日」での糸井重里さんとの対談でも、メディアからの取材時に「『90年代の空気みたいなものを一つの本に閉じ込めたかったんです』というウソを、この1か月ぐらいずっとついてた」とカミングアウトしてましたよね(笑)。

ああ、言ってましたね。そう回答した方が座りがいいってのがあって、雑誌なので、「90年代が大好きだということなんですけど」って言われて。いやそれは、単純に「僕には90年代の記憶が一番鮮明ってだけだから」っていう話なんですよ(笑)。

―「俺は90年代を生きていただけだぞ」って(笑)

そう。90年代に遅れてきた思春期みたいなことが僕にあっただけで、90年代がとにかく大好きだという話と、本当は別で。「90年代のカルチャーが好きだそうですが」みたいな、すごい大掴みなインタビューをされたことがありました(笑)。そんなこと言われると「俺90年代の何が好きだったっけな?」って一生懸命答えようとして、気づいたらめっちゃ嘘になってます(笑)。それで「めっちゃ90年代好きなんだな」って話になってしまって「めっちゃ90年代好きだと聞きました」ってなっちゃって(笑)。

―小説の中で、例えば、WAVEの袋でも、フリッパーズ・ギターもそうですが、様々な90年代アイコンが散りばめられていて、そのせいで「90年代小説」ってラベリングされちゃうのでしょうけれども。

僕はそれを愛情だけで書いたわけではないんですよね。僕の中では「僕が一番ダサかった時代」が90年代だったからなんですよ。「WAVEで買ったレコードを持っている俺」とか「シネマライズでキアロスタミの映画を観てる俺」とか「フリッパーズ・ギターを聴きながら元ネタをレコファンで探す俺」「ラブホテルで夢語る俺」。あー全部ダサいなあっていう(笑)。でもこの感覚はわかる人にはわかってもらえるみたいで、僕と違う世代の人からも「俺もそんなときあったよ」って言われます。80年代の俺にもそんなことあったよって教えてもらったりして。だから、人はそれぞれダサい期がある。それこそ今この時代が一番ダサい人たちもいるでしょうね。僕はそれがたまたま「90年代」だっただけです。

―なるほど。よくわかります。

僕が思い出深い「僕が一番ダサくて、人も物も愛おしかった頃=90年代」だなあ、みたいな。

―僕も同世代なので、今おっしゃっていたことが全部身に染みてわかります。確かにキアロスタミを観てわかったかのようなツラするっていう、そんな時代ですね。

そうそうそう。

―なんだったんですかね。あの時代というのは。

たぶん、「エヴァンゲリオン」とかが出てきたりとか、ウォン・カーウァイ「恋する惑星」とか、ラリー・クラーク「KIDS/キッズ」っていう映画だったりとか、「わかんないこととか解決しないこととかをわかってる俺、わかってるふりをしてる俺」みたいのをカッコいいと思ってたんです、多分。でも家帰ったら何もわかんない(笑)。『STUDIOVOICE』を「何でこんなものをお金ないのに買っちゃったんだろう」とか思いながら、トイレに置いてました(笑)。

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発売日 : 2014年11月28日

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―あの当時独特の背伸びの仕方がありましたよね。人が知らない領域を知ろうとする何か不思議な…、マイナーなものマイナーなものに…。

僕は『ぴあ』の隅っこまで読んでたんですけど、あの頃はそういうのは「俺しか知らない」と思ってたんです。今はインターネットで自分より知ってる人はすぐみつかる(笑)。

―そうなんですよね。

その「がっかり感」ってネット時代の罪だと思うんですよね。やっぱり、人ってある時期まで、「これは俺しか知らないんじゃないか」みたいなことが、大切だと思うんですよ。ラブホテルの中で飾ってあったラッセンのパズルについては少し小説の中でも触れましたけど、当時、彼女から「最近さー、すごいさー、シャチとかがすごい写実的ですっごい綺麗な絵知ってる?」って言われたんですよ。僕は知らなくて「何なの?」って聞いたら「ラッセン」って。「ラッセンがダサい」てなる前なんですよ(笑)。だから「すっごい綺麗な絵だ」、「緻密だね」って言って褒め称えていたんですが、その後、ラッセンめちゃめちゃディスられるじゃないですか。ディスられたら、もう当たり前のように「ラッセンってダサいよね」と(笑)。

―80年代から90年代前半にかけてラッセンが一つ、少し前のヒロ・ヤマガタ的な感じで消費されて。

そうそうヒロヤマガタ、ラッセンって流れはありました、ありました(笑)。

―なんかそのあたりは黒歴史ですよね。個人史でもアートシーンでも。

僕は彼女とデート中に、ラッセンのジグソーパズル買いましたからね(笑)。そのパズル組みながら「これ額装したいね」って言い合って、渋谷の画材屋に完成したジグソーパズルを持っていって「これに合う額ください」って言って、ちゃんとした額を購入して(笑)。

―いい話ですね(笑)。

それで、「黙っていたけれど、誕生日おめでとう」って彼女に渡して「ありがとう」って言われて。全部ダサいなー(笑)。みんな、近いことあると思うんだけどなあ。あるけど小説に書かなくていいとは思うけど。

自分も、他の人も、「普通」であること

―燃え殻さんとお話ししてみると、また小説の感じとは雰囲気がちょっと違いますね。

それは最初、小説を書くときに担当編集の方から「どういう感じでやりますか」って聞かれて、「僕はこれ1冊しか書かないから、かっこつけたいですねえ」って言って。「それもいいですね」って言われて。すげぇ突き放されるという(笑)。

―かっこつけたんですか。確かに…そういう感じはしますね。

かっこつけたいとは思います。でも、そもそもで、90年代の頃の僕は「かっこつけていた」んですよ。ダサいくらいに、それはそれは。

―ああなるほどなるほど。

あの頃「今日は月が綺麗で…」とか言って、テープに自分たちのラジオ番組を録音したりして(笑)。そのテンションで小説書くという。

―読者はそのテンションだと認識して読んでるんですかね。

帯にコメントを寄せてくれた尊敬する方には「すげぇわかる!」って言ってくれたんですけど、あとから「それで何でお前こんなかっこつけてんだよ」と言われました(笑)。でも僕からすれば「かっこつけさせてくれよ」って。「『とにかくかっこつけたかった』ときのダサさってあるじゃないか」っていう、せっかくの人に読まれるものを書く機会だとしたら、それをやりたいなって。

―なるほど。

でもこれはTwitterも一緒です。フォロワー数ばかりを気にしている自分がダサすぎるから、太ももつねって「そんなんじゃないです」っていう感じでバランスを取ったり。

―燃え殻さんは、「普通の人」であり続けたいんですね。

だって「普通の人」なんですよ(笑)。「普通の人」です。

―恥ずかしい部分もかっこつけたい部分も全部ひっくるめて、燃え殻さんは「普通の人」である、と。

「普通の人」です。でも、ほとんどの人は、ほんとに「普通」です。僕が会いたかった大槻ケンヂさんや糸井重里さんに会って一番良かったと思えたのは、みんな「普通の人」だっていうことがわかったことです。昔、著名な人は本当に怖い人だと思っていたんです。

―その気持ちはわかりますね。

僕は、広告専門学校の宣伝・クリエイティブ科という学科にいたんですが、最初の授業が「糸井重里とは」っていう授業でした。「糸井重里に俺は会った」っていう先生の自慢から始まるんですよ。どんな授業だったんだろう(笑)。


インタビューはまだまだ続きます。このあと、登場人物のモデルとなった人たちのこと、そして彼ら彼女らへの思いについて更にうかがっています。後編も近日公開予定!お楽しみに。

燃え殻(もえがら)さんについて

1973年生まれ。テレビ美術制作会社で企画・人事を担当する。新規事業部立ち上げ時に始めたTwitterが話題になる。2017年、初小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』が話題に。同作が第6回ブクログ大賞受賞。

参考リンク

燃え殻 Twitter
燃え殻さん、どうして「書く」の?【糸井重里×燃え殻】
燃え殻×大槻ケンヂ 大人にだってフューチャーしかない/燃え殻『ボクたちはみんな大人になれなかった』刊行記念対談

関連リンク

[2018年12月20日]何者でもなかった、大人になれなかった人々のために―燃え殻さんブクログ大賞受賞インタビュー後編
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