ノーベル賞受賞の舞台裏!一瞬で枯れた在庫!?早川書房で起きた大騒動に迫る!カズオ・イシグロ担当編集者山口晶さんインタビュー前編

こんにちは、ブクログ通信です。

2017年ノーベル賞が発表になってから1月がたちました。今回、多くの人に衝撃を与えたのはやはり文学賞でしたね。カズオ・イシグロさんはいまだ関連報道が続いていて、書店でも毎日飛ぶように本が売れています。

ノーベル賞発表の日以降、文学賞だけでなく物理学賞や経済学賞の関連作も発刊していた早川書房さんは、たいへん大きな話題になりました。そんな早川書房さんについて、ノーベル賞発表以後に起きた大騒動、そしてなぜこんなにノーベル賞関連作を刊行していたのか、みなさん理由を知りたくないでしょうか?

今回「ブクログ通信」では、早川書房の編集者、山口晶さんへインタビューしました。インタビュー前編では、山口さんにノーベル文学賞発表当日以降の騒動を当事者として語っていただきました。そして受賞直後に書店で起きた大反響にどう対応してきたかも伺っています。

取材・文・撮影/ブクログ通信 編集部 大矢靖之 持田泰

ノーベル賞受賞の裏側で起こった大騒動

早川書房編集本部本部長兼企画室室長 山口晶さん

─今回のノーベル賞発表について、本当におめでとうございます。

いえいえ。我々が受賞したわけじゃないので。たまたま恩恵を被っただけですよ。

─今回発表のノーベル賞について、早川書房さんが3賞にわたって関連作を出版されていました(※)。

(※…文学賞を受賞したカズオ・イシグロさんの作品を出版。経済学賞を受賞したリチャード・セイラーさんの本については主著『行動経済学の逆襲』を刊行していた。さらに物理学賞についても関連作『重力波は歌う』を今年9月に刊行。ノーベル賞を受賞したライナー・ワイスさん、キップ・ソーンさん、バリー・バリッシュさんらに取材し、重力波観測の舞台裏をあらわにした一冊)

その中ではやはりノーベル文学賞の時が一番注目を集めていて、大きく報道されていましたね。でもカズオ・イシグロさんの文学賞について、今年受賞するとは予想していなかったのでしょうか?

予想していませんでしたね。別の作家が取るかと思ってたんです。広報的な立場の人は毎年発表の時間念のため会社に残ってるんですけど、受賞を予想していたわけではなかった。僕も会社に戻ってきましたけど、みんなも外から戻ってきて、わたわたしながら取材対応を始めたという感じでしたよ。

─取材応対された早川社長のインタビューを拝読しましたが、いずれは受賞すると思ってはいた、ということをおっしゃってましたね。

それは間違いないです。みな、いずれ必ずノーベル賞を取る作家だと思ってました。

─その思いはほとんど早川書房さんの総意だったんですね。

はい、いずれは。でもノーベル賞は水ものというべきか、いつ受賞するかはわかりませんからね。

─そうですね。発表後、営業部員が次々と社に戻ってきたそうですが、最初いらっしゃったのは編集の方が多かったんですか?

そうですね、ただ営業でも残ってた人もいましたね。戻ってきたのはひとりふたりで。戻ってくると帰れなくなっちゃう、家の遠い人もいますので。

─戻ってきた人々は、電話が鳴りやむまでずっと対応されていたとも伺いました。

はい。でも僕は、当日、この場所(早川書房本社一階「カフェ・クリスティ」)で取材対応、地下で記者会見も行われていたのでほとんどこっちにいてその現場にはいませんでした。(ハヤカワビル上階の)編集部に行ったらすごい電話がかかってきてて。受賞発表当日は、なんだかよくわからないうちに、嵐のように過ぎて行った感じでしたね。

─受賞記者会見ですか。当日に行われていましたものね。

社長がすぐに戻ってきて、対応を始めました。

─この日は本当に、お疲れ様でございました。

いやいや、びっくりしました。ふつうの海外作家さんが文学賞を取る時って、こんなに反響はないんです。イシグロさんは一応イギリスの作家さんなので、取材の人がこんなに来るとは我々も思ってなかった。戻ってきたらここにもう5社くらいの方がいらして、最終的には20社ほどいらしたと思います。それも予期してなかった。単純に、「同僚とお祝いだ」って飲もうかなと思って社に帰ってきたんですけど(笑)それどころじゃないって感じでした。

─報道では、カズオ・イシグロさんが日本出身、日本生まれっていうことをだいぶ打ち出していましたよね。

そうですね。今年はそれまでに、日本の方が誰も取ってなかったので、マスコミのマグマ的なものがイシグロさんに流れていった感じだと思うんです。

─「カフェ・クリスティ」で行われている企画:「フィリップ・K・ディック酒場2017」も、カズオ・イシグロさんが展開の前面に立っていますね。

本当はフィリップ・K・ディック酒場も全部ディックの著作で埋め尽くされていたんですが、一気に前面がノーベル賞仕様に代わっちゃって。ちょっとかわいそう(笑)ディックとカズオ・イシグロさんの両方が合体した場所になってしまいましたね。

フィリップ・K・ディック酒場2017

─文学賞以外でも、経済学賞、物理学賞も早川書房さんから関連作は出ていました。文学賞ほどの騒ぎはなかったのでしょうけど、どういうような影響がありましたか。

とにかくいろいろ注文いただいて、対応してきました。波に乗ってこれで売上伸ばそうっていう流れになってます。いやいや本当に、我々が自分で取ったっていうことではないんですけどね、やっぱり運が良かった。

─「運が良かった」のですか?

早川書房が地道にやってきたから取れたんだっておっしゃってくれる人もいますけど、そういう所に因果を見ちゃいけないっていうのが行動経済学の教えなので(笑)ちょっとは要因があるかもしれないですけど、運が9割以上だと思います。売れるものができた、売ろう、っていう思いです。ラッキーです。「本がなかなか売れない」とか、基本的な出版業界の問題がノーベル賞受賞によって解決したわけではありませんから。

ノーベル賞の反応というのは持ち回りですからね。毎年、ベストセラーを出す出版社は変わります。ただ、なかなか回ってこないなとは思ってました。

─それが今回、ビッグバンみたいな反応が起きてしまった。発表翌日の朝も大変だったと思いますが、どんな騒ぎでしたか?

発表当日と同じでしたね。朝から取材の人がどんどん現われる。発表の日は終業後だったので中はお見せできなかったのですが、次の日は朝から色々な場所にカメラが入った。営業部にも入って撮影して、それが順次どんどんテレビで流れる。電話も鳴りやまない。FAXもずっと入ってくる(笑)

ちなみにネット上で誤解があったので補足しますが、オンライン上でも早川書房の本は注文できます。でもやっぱり書店さんからの注文はFAXが多いですね。早川書房はSFなのにローテクだって書かれたんですけど、そういうわけじゃなくて、各書店の需要に合わせてFAXも受けてるんです。

─書店からのオーダーは、電話、FAX、オンライン、さまざまな仕方がありますよね。

はい。そして結局は、その日も1日ほとんど取材対応でした。主に社長と副社長が対応してましたが、編集部にもかなり問い合わせがあって。イシグロさんにこういうことをしてほしいとか、何してほしいとか。オファーがすごい来て、その対応もしてました。

一瞬で枯れた在庫、全国から集まる書店からの注文……重版大騒動

─カズオ・イシグロさんはもちろん定番かつ有名な作家さんですから、早川書房さんでも書店でも、ある程度は本の在庫を持ってたと思うんですが。それらはどうなりましたか?

まず、「在庫が一瞬で枯れる」っていう現象を初めて見ました。書店のデータでは、ほぼ0になった。書店さんでもかなり在庫を持ってもらってる作家なんですけど、もう、本当に、次の日にほぼ0になった。

そこから制作部っていう本を作る部署が「翌週にある程度の数を刷ろう。重版を仕上げよう」と試みました。5日の木曜夜に受賞が決まって、6日金曜の朝から重版を始めて、翌週11日水曜には書店さんに本を届けるスケジュールで。

このとき、10月7日(土)から9日(月)までが体育の日を含む3連休だったんですよ。実質、ビジネスデイは2日、金、火しかしかない。だからそこで頑張った。

─ものすごいスピードでしたね……!

数日で書店にまあまあ供給できました。で、後日出す予定だった、文庫化となる『忘れられた巨人』の新刊を、10月19日から発売を繰り上げた。早いところで13日の金曜日には首都圏の書店に到着しました。

─それは大きかったですね。

印刷所の人と製本屋さんがかなり頑張ってくれました。みなさんもこういう時は特需みたいなもので、いろいろご協力いただいて。「まだ市場には足りない」って言われるんですけど、まあこの時点でやれるだけの供給はできたかなと思います。

─今回の新聞報道のなかでは産経新聞さんがいろんな切り口で紹介していましたが、土曜日の流通センターにも取材してましたね。ひっきりなしに、休日返上で土曜日に配送していたそうですね。

テレビでも倉庫を撮ったりとか印刷所に行ったりとか、けっこういろんな所に取材が入りました。やっぱりテレビは画を撮らなきゃいけないですからね。「輪転機回ってる所撮れますか?」って取材もありましたが、うちの取引先の印刷所さんがいいですよって答えてくれました。

─今回のかなり大変そうだと思ったのは、重版のためにも必要な、原料の「紙」ですよね。実際の。最初の重版のあと、2回目は70数万部とも言われる重版と聞いています。そこで使われる紙の供給はうまくいったんですか?

最初はちょっと足りなかったみたいですね。ただ結局、それも製紙会社さんに対応してもらい、かなりスムーズにいきました。

─あの早川さんの文庫は、普通の紙を使ってるのでしょうか。

早川文庫用紙というのがあるんです。特にハヤカワepi文庫っていうのはepi文庫の専用の用紙でした。一時は足りないかな、と思ったんですけど、実際はなんとかなった。というよりも、「なんとかした」んじゃないでしょうか(笑)

─大重版のあと、さらなる重版の話は出ていますか?

ものによっては重版しないといけないかもしれないな、という感じですね。授賞式を控えてますし、記事もまだ出ると思いますし。もしかすると『日の名残り』とか足りなくなったりするかもしれません。

─書店においては返品が生じることがありますが、それが生じるかどうかは見えそうですか。

まだわかりませんね。重版分でも何十万部かあるので、恐ろしいといえば恐ろしい。

電子版よりも紙の本が圧倒的に売れている─実際の売上について

山口晶さん4

─なるほど。今回の大重版と、『忘れられた巨人』の発売を数日繰り上げたこと。それで土日の販売機会を1回増やすことになりますから、本の実売も数万部以上変わってくるんじゃないかと思えました。

そうなんです。部数については、ふつう外国の作家さんがノーベル賞を獲っても、単行本だったら正直数千部重版できればいいほうです。ノンフィクション、経済学とノンフィクションは需要があってより売れますけどね。

今回、イシグロさんというのは日本人でもないし、むしろ外国作家という要素が強いかたなので、正直何部売れるかわからないって迷いがありました。一応営業の人とか取次さんとかに相談したんですけど、彼らもわからない。日本人では、以前ノーベル賞文学賞獲ったのは大江さんですよね。でもその時の数字なんて参考にならないし。だから今も不安です。……でもようやく、ちょっとは「大丈夫かな」っていう気持ちになってきましたけどね。

─各書店に重版分が入ってきてると思うんですけど、それらの実売数から「大丈夫」という判断に至ったんですか。

はい。供給した分、売上が伸びている。かなり量が入った分の売上が伸びてるのが見えてきましたから。

─ただ、カズオ・イシグロさんって、ドラマにもなったりして知名度はあります。だけどまだ読んでないっていう人が「じゃあ読もう」となるチャンスですよね。

そういう反応はかなり多いですね。

─カズオ・イシグロさんは、ああ、読まなきゃいけないって思ってたんだっていう人がすごく多そうな気がします。

それはけっこういろんな方に言われましたね。日本人なのかわからなかったという反応もありました。

宣伝しがいがありますよ。元々、それまでの作品を全部合わせて95万部くらい売れてたので、普通の日本作家さんのアベレージよりも全然売れてるんですけど、やっぱりまだまだ読んでもらいたい。いろんな作品があるんですけど、基本的にはテーマが結構深くても比較的読みやすいので、まだまだ広げる余地はあると思います。

─皇后陛下が『日の名残り』を読んでいた、というニュースもありました。これに限らずさまざまな追い風がさらにありそうですよね。

そうですね。まだ12月上旬の授賞式もあります。各社、日本のメディアは取材に行ってくれるから、お正月くらいまでは売っていきたいです。

─発表後初日は紙の本の品切が相次いだこともあったせいか、電子書籍も売れたようで、各書がランキング上位に入ってましたね。

でも総体としてみたら、紙媒体のほうがやっぱり売上がすごかったですよ。

─そうなのですか。

ネット書店ランキングでも、紙の本は1位から7位までカズオ・イシグロさんみたいな感じでしたから。今回の売上を見ていても、電子は思ったより伸びてない。紙で欲しいっていう人が多いみたいですね。最初、書店店頭では10月7日から9日までの三連休で品切期間があったので、その分電子書籍の売り上げが伸びるかなと思ったのですが。まあまあでしたが、でも総数では4万くらいで。悪い数字じゃないんですけど、紙のほうの売上見込み100万っていうほうが大きい数字ですよね。普通の売上比率だと「電子1:紙10」くらいで、10%くらいの売上ですから。

─圧倒的な比率ですね。「ノーベル賞受賞」っていうメディアの反響で購入まで至った人は、もしかしたら電子書籍派よりも紙派が多いのでしょうか。

そういう人は、電子書籍じゃないんでしょうね。とくに年配の方で受賞を新聞で見て、「テレビで見て」買おうという人は多分本屋さんに向かう。「ネットで見て」というきっかけだとそのまま電子書籍を買う人も多分いますでしょうけどね。

ただ結局どの媒体に何が出たかって、全部は把握しきれませんでした。我々はメディアへの露出があったらこまめにクリッピングして保存してあるんですけど、今回テレビは取材したそばから放送するし。ラジオにも電話で出たんですけど、電話切った瞬間に自分がどの番組出たのかわからないくらい、多かったんですよ。

─把握できなくなってきたのですか。

はい。広告効果はかなりのものがあったでしょう。いや、想像すると恐ろしい。何億円どころじゃないんじゃないかな。もしかしたら10億円くらいの露出効果があったかもしれません。

─三賞にわたって関連作を出していたことで、Twitterにおいても早川書房さんが讃えられてます。こうしたデジタル面の広告効果を加味したらどれだけのものになるか想像できないですね。

誰かに計算してもらいたいです。(笑)

─ちなみに物理学賞関連作の『重力波は歌う』、経済学賞関連作の『行動経済学の逆襲』についても、今回受賞が決まってから重版したんでしょうか。売れ行きはどうでしょう。

両方重版してます。経済学のほうはやっぱり売れ行きがいいですね。

─経済学賞だと読者層が広がるのでしょうか。日経新聞を読むような方々や、ビジネスマンが新しく買うことになる?

そうなんですよ。実際ビジネスにかなり役立つので。単純に受賞者の本だけじゃなくて、同じ行動経済学のつながりでカーネマンの『ファスト&スロー』もちゃんと売上が上がってきてる。我々としてはそういうほうが嬉しいです。ジャンルが盛り上がったほうがビジネスになる。

─なるほど。

だからイシグロさんも、全部早川書房で出しているのがよかった。やっぱり全部翻訳を持っているっていうのが大きいです。一作だけだとやっぱりこうはならない。いろんな出版社で一人の作家をシェアするような形だと、大きなビジネスにはなりにくいですからね。


山口さん、ありがとうございました。インタビュー前編はここまで。インタビュー後編では一歩踏み込んで、今回ノーベル賞受賞関連作は、あらかじめノーベル賞など大きいところを狙っていたかどうか? そしてカズオ・イシグロさん本人についての逸話や、これから早川書房さんが目指していく方向についてお伺いしていきます。インタビュー後編、「あらかじめノーベル賞を狙っていたのか?早川書房の出版戦略を聞く カズオ・イシグロ担当編集者山口晶さんインタビュー後編」もぜひご覧ください!

参考リンク

ハヤカワ・オンライン(早川書房公式ホームページ)
早川書房 Instagram
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早川書房 note

「ノーベル経済学賞」と書店(2017年11月20日)

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