主人公が二枚目なのは絶対条件だった『永い言い訳』西川美和監督インタビュー

自身の原作小説が直木賞候補に選ばれたことでも話題の西川美和監督最新作『永い言い訳』が10月14日にいよいよ公開。なぜ主人公は国民栄誉賞を受賞した名プロ野球選手「衣笠幸雄」と同じ名前なのか、映画より先に小説を選んだ理由、主演・本木雅弘との出会い、SNSに潜む病理、さらに「自分が撮ったことにしたい愛すべき映画」の紹介も。『永い言い訳』をより深く楽しめる、西川美和監督独占ロングインタビューです。

取材・文・撮影/Filmarks FILMAGA 編集部 斉藤聖 鸙野茜

小説はやっぱり自由だなと思いましたね

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−本作『永い言い訳』をつくる出発点には、どんな想いがあったのでしょうか?

はじめに思いついたのは前作の映画『夢売るふたり』を撮っている最中の2011年でした。その年の3月に東日本大震災があって、私もいろいろな報道を目にしていたんですけれども、今当たり前にある日常が、ある日突然なんの前触れもなく壊れてしまうことに強く感じ入っていました。

−どのようなことに強く感じ入っていましたか?

自分みたいな人間だったら、ああいう日の朝に家族や友人と喧嘩したままにしそうだなと思ったんです。「あんなこと言うんじゃなかった」とか「なんで一本電話入れなかったんだろう」とか、悔いても悔やみきれないような別れ方を私はしてしまうんじゃないかと。
そんな思いの中で、ある日突然に生活を奪われて、不慮の別れ方をした人間がどのようにその後の人生を取り戻していくのか、そんな話を書いてみたいなと思いまして、それがはじまりでした。

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−表現の方法として、映画ではなく小説を選ばれたのはなぜでしょう?

小説から映画というのは、今までやったことのない順番だったので、小説から始めたらどうなるのかを試してみたくて。

−実際に試してみていかがでした?

わかってはいたけど、やっぱり自由だなと思いましたね。今回は、半分以上自分のために書いていたところがありました。後々映画にして行くために、私自身が登場人物や設定について深く理解しておけるようにと少しずつ書き進めていった感じです。登場人物の成り立ちだとか性格だとか、それぞれの関係性とか、映画だときりがないくらい時間を使っちゃうことを小説でしっかり構築できました。

−小説から映画にするプロセスではどんなことを意識されていました?

小説と映画で別の作業になる方が楽しいんです。映画が小説の焼き直しだとやっぱりそれは作業としてもつまらない。とはいえ、後々映画にすることを想定して書いていた小説ではあったので、セリフのやりとりをそのまま反映したところもあります。でも、小説にないシーンを映画でどれだけつくれるか、別の表現に書き換えられるか、そういうことを意識していましたね。

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小説家・衣笠幸夫と小説家・西川美和

−主人公・衣笠幸夫の職業をご自身と同じ小説家にしたのはなぜですか?

本当に早い段階で決めたんですよね。アイデアが浮かんだ瞬間にもう「あ、小説家がいいな」と。自分に近い設定のキャラクターがいいだろうなと。というのも、やっぱり「悔いても悔やみきれないような別れ方を私はしてしまうんじゃないか」というところから始まっているので、主人公=自分として書いていったところはあると思います。

−映画監督ではなかったんですね。

映画監督だとあまりにも特殊な職業に見えてしまうし、自分に近すぎるとそれはそれで書きづらいんですよ。自分と半歩くらい違う方が大胆になれる部分もあって。それで性別も男性にしました。

−たしかに、小説家の日常はイメージできますが、映画監督の日常はすぐに浮かびませんね。

小説家が主人公の物語はすでに世にたくさんあるから、受け手の方にも馴染みがあるだろうと。映画監督だと「映画監督って普段どんな生活をしてるんだろう」って、そっちに興味や展開が取られていってしまうこともあるでしょうから、小説家の方がよりシンプルに進められるのではないかと。

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−やはり、主人公の衣笠幸夫と自分は似ていると感じますか?

どちらもやっぱり自己中心的な人間だと思います。すごくそう思いますよ。それでないと、こういうお話にはなっていないんじゃないかなぁ。

−衣笠幸夫は、妻の葬式が終わった後の夜、普通であれば悲しみに暮れるであろう局面で、自分の名前をエゴサーチするという一見異常とも呼べる行動をしますね。こうした気質は監督の中にも?

多分にそういうところはあると思いますよ。自己中心的というか、歪んだ自己愛を持て余したりとか…、でも自分のことをうまく愛せているわけじゃないんですけどね。ただ、それは私に限ったことでもないのかなぁと。

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−多くの人にもあてはまると?

今の世の中って、人と人のつながりが希薄な時代だとよく言われますよね。たとえば、目の前に家族がいるのに家族と話さないで携帯電話でSNSを見ていたり。自分はちゃんと人に認められているのだろうかと自信がなくなって、それが自己承認欲求という言葉でよく表現されていますけど。
たしかに、誰かに認めてもらいたい欲望の必要量はあると思います。でも、今はそれが肥大して、必要以上に求めてしまう世の中なんじゃないかと思うんです。私も小説や映画のように世の中にモノを出しているので、自分の名前や作品のタイトルをふとした拍子にインターネットで検索したことはあるんですよ。

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−そうだったんですね、ちょっと驚きです。結果はいかがでしたか?

検索結果がドドドッと出てきて、その時にゾッとしたんです。でもその一方で、調べる手を止められない自分もいたりして。さもしいことをしていると感じている自分もいるのに、やめることができない自分もいる。
このまま続けていたら、私の性格的にも本当に気持ちが蝕まれていくような気がして…。でもこれは、何かを自分の名前で公に発信する職業じゃない人でも似たような感覚あるんじゃないかなと。

−「調べる手を止められない自分」というのは、身に覚えのある感覚な気がします。

例えば強迫観念のように自分が食べたものを写真に撮ってSNSに載せたりする人もいますよね。よくよく考えてみると、そこで誰かが「いいね」とかコメントをくれたりすると、本来要求しなくてもよかったはずの承認欲求のようなものが肥大化していくのかなって。

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目の前にいる人と言葉を交わすことが先なのに、携帯電話をチェックしてしまうみたいな。そういうことって世の中に溢れているじゃないですか。主人公が自分の名前を検索するシーンを描いているけれども、あの病理のようなものって、絶対私だけじゃないはず。

−なるほど、実はすごく普遍的なことなのかもしれませんね。

そう、やめたいのにやめられないところに来ちゃっていると思うんですよね、きっと。

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長島茂雄でも山本浩二でもなく衣笠祥雄だったワケ

−主人公・衣笠幸夫の話をもう少し。なぜ彼は名選手「衣笠祥雄」と同じ名前を背負わされているのでしょうか?

自分が生まれ持ったものをいい歳になっても受け入れられない幼稚な人間にしたかったんですよ。もともと映画にすることを想定していたので、最初の10分で主人公のキャラクターを説明するにはどうしたらいいだろうかと考えている時に、「こんな名前に生まれたせいで…!」とずっと言っているキャラクターにしたらいいなと思いついて(笑)

−そうだったんですね(笑) そうすると、たとえば「長島茂雄」とか他にも色々な名前の候補がありますよね?

長嶋茂雄さんだとちょっと世代が上すぎるんですよね。幸夫の年齢を逆算して、背負うには大きすぎる名前の人で、偉人といえば誰だろうなと考えた結果、「キヌガサ・サチオだ!」って(笑) 私は広島県出身の広島カープファンなので。でも、山本浩二さんだと普通にありそうなお名前だったから、衣笠祥雄さんなら名前の希少さ具合といい、偉人度といいドンピシャだなと(笑)

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それと、衣笠祥雄さんのおおらかなキャラクターや生き神様のような笑顔と、この衣笠幸夫はまるで対極的じゃないですか。こいつの人としてのちっこさと言ったら!っていう、その対比もありましたね。

−広島カープといえば、公開の頃(10月14日)はちょうどクライマックスシリーズですね。

そう! 公開日はちょうど3戦目なので、3連勝でセ・リーグ優勝が決まるかもしれない。広島カープ日本シリーズ進出!『永い言い訳』公開!って、タイアップなのかっていうくらいの勢いですけど(笑) そうなったら嬉しいですね。

主人公が二枚目なのは絶対条件だった

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−以前、「幸夫と本木雅弘は似ている」と監督がおっしゃっていた記事を拝見しました。どういった経緯で本木さんの出演が決まったんですか?

もともと似ているとは知らなかったんです。そもそも、幸夫という人物は、外見が恵まれ過ぎているという不幸をもった男なんですよね。それが彼の自意識をさらに肥大させてしまった悲しい特性でもあって、だからある意味で二枚目であることは幸夫役の絶対条件だったんですよ。本木さんは、ずっとご一緒したかった方でしたし、たしかに幸夫と年恰好はドンピシャなんだけれども、本木さんご本人のキャラクターについては知らなかったんですね。

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−どのようなご縁で出演のきっかけができたのでしょうか?

是枝監督が樹木希林さんとたくさんお仕事をなさっている関係で、本木さんともお会いになったことがあったらしくて、ある時是枝監督に「主役どうなってるの」って聞かれて、まだ決まっていないと答えたら「モックンは幸夫にすごく似てるよ」っておっしゃったんですね。
「えっ!」と意外に思って。本木さんってそんな風には見えないじゃないですか。もっとストイックで、美意識が高くて、人に弱音を言い訳がましく言うタイプではないと思っていたんです。

−たしかに、一般的にもそんなイメージがあると思います。

かといって単にめんどくさいヤツということでもないらしくて、是枝監督も「どこか可愛げがあってチャーミングな人だよ。会ったらわかるから」っておっしゃったのが決め手で、じゃあお会いしてみようと。で実際にお会いしたら、会ったその瞬間から3時間しゃべり続けて(笑) 自問自答するようにひとりであーでもないこーでもないと。

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−それは驚きますね。でも是枝監督のおっしゃる通り、本木さんが幸夫的な何かをお持ちであることはよくわかる気がします(笑) 是枝監督から他にアドバイスなどはあったのでしょうか?

シナリオの段階で、「幸夫はこんなに子供が苦手な男なのに、なぜ大宮家に行くことになったのかがちょっとわかりづらい」と言われまして。もう少し詳しく言うと、「大宮家の生活をネタにまた小説を書こうとしているとか、そういう明確な動機があればこの男らしいんだけど、善意のようなものが急に湧いたように見えることに違和感を感じる」とおっしゃった。

−たしかに、それまでの幸夫の行動原理からは変わっているようにも感じます。

でも私は、それはちがうと思ったんですね。たとえば、彼らをネタに次の小説を書こうというのは、言い換えれば、生きようとする意欲じゃないですか。その時幸夫はそういう意欲すら奪われている状態なんじゃないかと、私は想定していたんですね。

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彼は妻を失っても自分は平気だと思っているつもりだけど、実は心の根っこは見えない罪悪感や喪失感で空洞化していて、社会との接点も失い、ある意味で生きる理由をまったく失くしてしまっているし、なぜ自分がそういう状態に陥ってしまっているのかを誰にも相談できないところまで追い込まれている。そんな男だったので、小説を書けなくなったことにショックを受けて、なんとか次のネタを探そうとするような覇気のある状態ではないと想定していたんです。

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−なるほど。その想定の中で、是枝監督のアドバイスをどのように作品に活かしたのでしょうか?

幸夫は大宮家で徐々に子供たちに頼られることが快感になっていって、小説を書くことすら忘れていき、人に求められることに没頭し始める。そんな中で、マネージャーの岸本(池松壮亮)から釘を刺されるわけです。「(小説に)書くんですよね、それ」と。でも幸夫は、まるで書くことすら忘れていた表情になっていた。そうした彼が辿るプロセスを描く上で、是枝監督が言ってくださったことがきっかけで、増えたシーンもありました。

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−最後に、西川美和監督にとって「自分が撮ったことにしたいくらい愛おしい映画」を教えてください。

そうだなぁ…『クレイマー、クレイマー』ですね! 『永い言い訳』と奇しくもテーマが似ているということもあるんですけど。子供の面倒なんか一切見たことがない仕事一本のお父さんと子供だけが家に残されて、ぎこちない生活を送り始める。そのうちに、ふたりの時間と生活が欠かせないものになっていくっていう。

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1970年代の終わりの頃の作品ですかね。でもまったく題材が古くならない。とてもコンパクトなお話なんだけれども、全世界どこの人間でもわかるということと、俳優の演技のうまさ、それから時間をかけて丁寧に作られているという点で、自分にとっても金字塔ですね。

−西川監督、お忙しい中ありがとうございました!

映画『永い言い訳』は10月14日(金)より全国ロードショー

公式サイト:http://nagai-iiwake.com/
(C)2016「永い言い訳」製作委員会

提供:Filmaraks FILMAGA

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著者 西川美和さんについて

1974年広島県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。在学中から映画製作の現場に入り、是枝裕和監督などの作品にスタッフとして参加。2002年脚本・監督デビュー作『蛇イチゴ』で数々の賞を受賞し、2006年『ゆれる』で毎日映画コンクール日本映画大賞など様々の国内映画賞を受賞。2009年公開の長編第三作『ディア・ドクター』が日本アカデミー賞最優秀脚本賞、芸術選奨新人賞に選ばれ、国内外で絶賛される。2015年には小説『永い言い訳』で第28回山本周五郎賞候補、第153回直木賞候補。2016年に自身により映画化。

西川美和さんの作品一覧